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Zippoの話だけどちょっと違う出会い方

まねきさんのnoteのコメントに突然お名前が出てきた。
コメントですよ〜

本文の内容ではなくて、コメントに出た名前を話題にするのは、異論はあるのかもしれないが、「寛容な天使 まねき」とプロフィールに書いてあった(?)と思うのでいいでしょ。


 思わぬところに開高健さんの名前を見つけて、おぉーと声を出してしまったので書いてみる。

 私の大好きな作家さんの一人だ。彼の「生物としての静物」は愛読書だ。といっても、そんなに何度も読み返してはいないので、愛読書ではなくて愛書というべきか。出会いの最初は「書斎のダンヒル、戦場のジッポ」という章だった。私もZippoを使っていたので、勝手に親近感を持った。その上、何処で勘違いをしたのか、Zippoについて同じように文章を書いてみようと思ってしまった。この辺りの私の思考回路は支離滅裂だと思う。何度も真似をして書いてみたが、当然だが、その度に挫折を繰り返している。現在進行形だし、きっと未来も同じだろう。
 いつの日か、雰囲気から出る空気感のようなモノの一端が感じ取れる気がしますね、と、リップサービスでいいからいわれてみたい。どちらかといえば、ハッキリと真似して書きましたと宣言してしまえばいいだけのような気もする。パクりましたねといわれて一件落着だ。

 いったい何が違うのだろうかと、考えてみたことがある。もちろん文章を書く能力ではない。それを比べたら失礼だ。私がたどり着いた答えは、モノの見方と洞察力の違いだ。違いはあって当たり前だが、表面的な見方ではなく、本質というか、中心や重心を、そして背景までも分析し理解しているところだ。

 私はどちらかというと・・・

 今更だが、開高健さんと私を比較分析するというのは、もしかしたら暴挙なのか? ・・・とも思うが、勝手でしょ。
 
 で、続けると、私はふわっとモノを見る質だ。広く浅くも人生哲学だし、物事を深く追求するのは苦手だ。そんな私がふわっと見えているモノを、文才もないのに文章にすることは、とても無理な話だと思う。

 と、この辺りのことを分析結果にしてお茶を濁そうとするところが、根本的な相違点のようだ。

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