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半年間の米国赴任
20250201 米国への出国
半年間に及ぶ米国でのビジネス研修に出発する。会社の制度で、各国の現地法人に若手中堅社員を派遣し、それぞれ設定するテーマを基に現地での風習、生活、文化に触れ、対応能力を向上させる、というものだ。
今回、僕は米国派遣に選抜された。遡って2020年に、中国に同じプログラムで派遣されることが決まっていたのだが、武漢熱によりキャンセルとなった。
そして今、たまたまトランプ大統領収入直後の米国へ赴く。
もし中国に行っていれば、全く異なる人生経験となっていただろう。
折角の機会でもあり、現地で触れたこと、感じたことを機微に触れないものは公開情報のnoteでも記録していこうと思う。誰の役にも立たない随想録だ。
その端緒として出国について記載したい。
本当は渡航の準備や手続き、荷造りなどから随時記載したかったのだが、
筆不精でもあり、退屈になった機内で、出国間際の記憶を書くことにした。
出発直前まで、あまり、日本を長期で離れるという実感も気概もなく、
普段から頻々に行っている出張に近い感覚でいた。
しかしながら当日は違った。
祖国を離れ、残していく家族、家が名残惜しくて仕方がない。
自分でも意外だ。
離陸する瞬間にイヤホンからたまたま流れてきたのが、このフレーズ。
“からっぽのからだ ながれるときに ういてしまいそうになるけど
あなたのことだきしめたい この気持ちがつきうごかすの” 絢香/おかえり。
これで思い出したのが学生時代。
ふるさとの大阪を離れ、遠い札幌に旅立つ時、期待に胸が膨らんでいたはずなのに、地元や友達に別れを告げるのがさびしくて仕方なかった。
けど飛行機は気持ちに関係なく進み、慣性で涙はほほを後ろにつたう。
何もかもが嫌になり、バイクに乗って日本一周した時も、
各地をめぐることは楽しくとも、それは自分に帰る家と家族がある前提であり、日々頑張ることで非日常が素晴らしく輝くのだ、と悟ったことにも似ている。
全ては自分の捉え方次第だ、ともミスチルの櫻井さんは言う。
自分のために何をするのかはあまり考えずに、人のために、
ここでは家族のために何をなすのか、僕の感情の大事な部分であるのだろう。
残念ながら会社や仕事がどうか、という思念はほとんど出てこない。
僕にとって成果をあげたり、会社に貢献することは自然にやるけれど、
どうしても大事に思えないことだ。
いってしまえば、次代のチビ達に格好いい背中を見せたいから、
頑張っているにすぎない、と単純化できるかもしれない。
あまり難しいことを考えてもできないことはできない。
であれば出来ることを一つずつやっていこう。
幸いにも母校の理念は簡便で秀逸だと思っている。
Be Gentle, Be Ambitious! で米国で頑張ってみる。