いちばん遠い夏
自分の中の「当たり前」が、誰かにとってのそれではないことなんてとっくにわかりきっていたことで、
私の大切にしてきた「当たり前」が、顔も知らない誰か、或いは親しいはずの人間に踏みにじられて殺されていくようすを、私は人生で、あと幾度眺めて耐えればいいのでしょうか。
踏みにじられる側は、どうしていつも耐える側なんでしょうか。私、何か悪いことをしたでしょうか。特にしていないなら、私の大切にしてきた当たり前は、その人の気分ひとつで踏みにじられていいような、軽いものなのでしょうか。
両親が愛し合っていることがそんなに変か。両親と友人同士のような関係を築いていることがそんなに変か。お小遣い制度が採用されていないことがそんなに変か。家族と毎日電話をすることがそんなに変か。
死にたいことが、そんなに変か。
踏みにじられることを受け入れて、耐えて、受け流して笑うのが人生なら、私はそうして我慢することを強いられて生きていかなければいけないなら、
どうぞ、気にせず、あなたの人生に私のことなど入れなくていい、仲間外れで構いませんので、
どうか、一人勝手に死なせてください。