人生初仕込み体験
私が働く五反田のSAKE storyでは、関東では当店でしか飲めない「酒場の純米大吟醸」というお酒を出している。
11月某日、その蔵に仕込みのお手伝いに行く事が決まった。
その蔵は「伯楽星」や「あたごのまつ」を手掛ける新澤醸造店様で、店主である橋野が崇拝しているレベルで尊敬する、新澤巌夫さんが社長を務めている。
以前から、新澤さんの懐の深さや功績を橋野の口から幾度となく聞いていたため、そんな蔵元の仕込みの手伝いにバイトの私が行っていいものか葛藤はあったものの、またとない機会だと思い、初めての夜行バスに乗り仙台へ向かった。
7時からの集合に対して自分のバスは5時着。
集合まで満喫でシャワーを浴び仮眠をとって時間を待つ。
仙台駅に到着後は、酒場の純米大吟醸を卸している他の店舗の方々と酒蔵に向かう。
初参加の自分は、仙台市内にある和醸良酒まるたけの石山さん(https://www.sake-marutake.com/)の車に乗せて頂いた。
仙台駅を出発後、1時間弱して酒蔵に到着。
山々に囲まれたその場所はとても空気が澄んでおり、日本酒に欠かせない水が美味しそうだなぁという印象。
大きな駐車場があり、その横には伯楽星と刻まれた旗が大きく掲げられた建物がある。
その建物でまず十数名の最初の挨拶が始まった。
最初は伯楽星のロゴが入った前掛けとTシャツを頂いた。
前掛けは以前から使っていたものの、ノベルティとしてこんなに質の良いTシャツまであるなんて流石…と、感激しつつ単純にそれらが頂けてとても嬉しかった。
酒蔵についてから終始感動はしているものの、内心は全く心穏やかでなく、久しぶりに普通にしていて心臓の音が聞こえる程だった。
実際車の中ではあまり話をしていなかったと思う。
そんな緊張の中、酒場の純米大吟醸の生酒の発注本数の確認が始まった時、話を聞いていなかった私は寝耳に水で更に心臓がバクバクになる。
すぐに橋野に確認のラインをしたが、もし起きていなかったらどうしたものかと本当に手に汗握った。
それらが落ち着くと、早速と言うように蔵の見学が始まった。白の作業着に帽子、長靴を履いて蔵の中に入っていく。
通常日本酒はざっくりと
洗米
↓
浸漬
↓
蒸し
↓
製麹
↓
酒母
↓
醪
↓
上槽
の工程を行う。
今回はその中でも、蒸米の出来上がり後運ぶ作業と、蒸米に麹をふりかける作業、醪の時に行う櫂入れを体験させて頂いた。
中に入ると目を引くのがお米を蒸す大きな釜である。
既に蒸しが始まっている釜は湯気を立てており、もう少しで蒸時間が終わる頃合いだった。
一旦その釜の前で参加した人達で写真撮影を行った。
後日頂いた写真を見てあらびっくり。
写真を転送してくれた橋野の様子から何となく察してはいたが、完全に給食のおばさんの私が写っていて、割とかなり本気でへこんだ。
蒸しの終了時間が来ると、大きなネットいっぱいに蒸された米が釜の上に吊るされた。そのネットの一端から二人がかりで少しずつベルトコンベアに米を乗せ、冷ましつつ米を運ぶ用のネットに移し替える。ベルトコンベアの先で待つネットにどんどんお米が落ちていくのだが、ネットの両端にいるスタッフさんが、一定の重さになるとネットをくるっと巻き上げ、それを渡してくれる。いつもの作業なのだろうが、2人の息のあった動きに圧倒されながら、慣れない足つきで長靴を鳴らしながら運んでいく。おそらく、米の量は少なめに調整してくれていたのだと思うが、腰からしっかりと持たないと落ちてしまいそうなくらいの重さはあった。これを何度も繰り返す作業は相当肉体労働だ。1人3−4周終わった頃、運ぶ米もなくなり麹室に移った。
ここでは日本酒の肝とも言える、麹菌をお米に定着・繁殖させる作業を行う。
そこでできたものを麹というが、完成した麹は醪のタイミングで、米のデンプンを糖に変える重要な役割を果たす。
この糖を酵母が食べることで、アルコールが発生し、日本酒になっていく流れだ。
麹室では、重なった下部のお米を上部にのせて熱が均等になるよう下げていく作業を行う。
そして一定の温度になったら黄麹をかけて麹菌を定着させる。
黄麹は塩こしょうが入っているような瓶に入っており、それを上から均等に振りかけていく。
抹茶の様な緑色の黄麹がお米に振りかけられた後、またその麹が均等に広がるように再びお米をひっくり返したりしながら混ぜていく。
ここで驚いたのがお米の硬さである。
普段食べている炊きあがったお米と全く違い、プラスチックのような硬さがあり、さらさらとまでは言えないが素手で触ってもがくっつかない程度の粘度であった。
内硬外柔でさばけの良いお米が蒸米として良質と言われるのだが、これがそうなのか、と初めて教本のその部分を自分のものに出来たような気がした。
聞いていると体力を使わない仕事に聞こえるが、量が多く腰を常に使う割に、手で温度を測り黄麹をかける頃合いを見計らうという、繊細な仕事である。この温度が酒の造りに関わると思うと精神的にもすり減らす仕事だと感じた。
その後階段を十数段上がり、大きなタンクを見下ろせる高さまで登る。
そこでは酒母を造るためのタンクの櫂入れを行った。
先程の麹菌が浸透した米を使用し、より多く酵母を増やしていくための作業が酒母造りという工程である。
こちらも中々力仕事で、如意棒のような長さの櫂を使って下から米を上に持ち上げるような感覚で混ぜる。
きちんと片足を前にして踏ん張らないと持ち上げられず、こちらも重労働だった。
その並びには大量のタンクがあり、発酵の段階毎に分けられている。
自分たちが混ぜたタンクの中身はあまり量がなく底の方だったため、まだかき混ぜやすかった方だと思うが、その後醪へと育てると、三段仕込みを行う関係からかさが増していく。
その中身も見学させてもらったが、それを混ぜるとしたらどれだけ足腰踏ん張らなければならないのかと、改めて足腰の重要性を感じた。
また、発酵が進むと表面を白い泡が覆っていく。
それは発酵することで出てくるもので、発酵の度合いを計るものである。
個人的に桃やバナナのような甘い良い香りがするそのぶくぶくの所々ひび割れた泡を見て、大きなカルメ焼きが頭から離れなくなったのは秘密である。
見学後、はじめに集合した会議室に戻り、新澤醸造店の歩みを聞いた。
今でこそとても大きなタンクを複数扱うほど大きな蔵ではあるが、専務の杉原さんと小さな蔵の頃から二人で築き上げてきた。
FIFAワールドカップ公認の日本酒に選ばれたり、世界最高精米歩合である9%精米の残響がアメリカ・グラミー賞にて振る舞われるなど数々の功績を残したが、東北大震災時も蔵が3棟全壊するなど、大きな被害を受けて大変な時期が長かったようだ。
にも関わらず、これだけ有名なブランドを作り上げ、更に困難の上でもその品質を維持し続けているのはのは本当に凄い事だ。
しかもそれだけでなく、現在は労働環境にまで気を配っている。
8時間労働を守れる様に様々な最新の機材を取り入れ、1人1台車まで与えるという太っ腹ぶりだ。
また、お酒の製造がメインにも関わらず、未成年でも働けるようにと地元の学生のインターン先として受け入れも開始している。
特に2018年に、渡部七海さんが22歳での全国最年少女性杜氏となったのはとても話題になったようだ。そんなお話の中で1番驚いたのはお酒の分析量である。
自店のお酒は勿論、数多ある他社のお酒を徹底的に成分分析し、お酒の傾向・トレンドを見極めている。
例えば、ここ数年で呑み口がフルーティで甘い余韻のお酒が増えたという。
味わいのような感覚的なものだけでなく、数値からも明確に分かるようだ。
その契機がコロナのタイミングなのだという。
外食が減り、よりお酒を飲むタイミングが減った事で、蔵元さんも不安になり、大衆に受け入れられやすいお酒を作り始めたのだと結論付けていた。
確かに、私の周りでも意外と日本酒は飲みやすいんだ、と聞くことが増えたように思う。
そんな時代に逆行して、新澤醸造店さんは、その甘さに頼ることなく、むしろ酸のあるお酒造りを行っているとの事だ。
ちなみに超有名で今では入手困難なある蔵のお酒は、何年のお酒もある成分の数値に一切のブレがないそう。
その事に流石、と新澤さんは感心されていたが、この分析を続けている新澤醸造店さんも相当だと思う。
様々お話を聞かせてもらい、改めて今最後の質疑応答の時間が設けられた。
圧巻なお話を聞いて自分は、緊張で引き続きただただ心臓がばくばくで、何も質問できなかったのはかなり後悔している。
麹の造りに力を入れているとお話をされていた点で、もし次回会える事が機会あったら白麹を使った日本酒は造ってみないのかと質問してみたい。
が、また上がっていたらこの事すら忘れてしまうのだろうと思う。
新澤醸造店様は究極の食中酒を目指してお酒作りを行っている。
個人的にも、新澤醸造店様のお酒は食事中に飲み続けても飲み飽きない味であると思っている。
実際に蔵に行かせて頂いて、味わいだけでなく、お酒に対するこだわりや、酒造りに留まらない探究心は本当に敬服した。
そんな素晴らしい蔵元さんとのコラボレーションが3月の下旬に行われた。
イベントの話し合いも兼ねてか、2月中旬ごろ、杜氏である渡部さんと、山岸さんが仙台よりお店に足を運んでくれた。
お二人は店にある日本酒の銘柄を見ながら利き酒を始め、更にどちらの蔵の日本酒かを当て始めた。
ただ日本酒が好きなだけな自分としたらその姿勢も勿論だが、実際にどちらの蔵のお酒かを当てていて、驚きやら尊敬やら、言葉にしきれないものがあった。
こんな方々の元に実際に見学させて頂いた事は、本当に自分自身の意欲となっている。
小さな事ではあるが、これらのこだわりや熱意をお店に飲みに来るか方に伝え、より新澤醸造店様の日本酒を広げ、より日本酒に興味を持って貰える様な契機にしていければと思う。
余談だが、蔵見学の後、行きに運転をしてくださった和醸良酒まるたけに遊びに行かせて頂いた。
飛び込みだったにも関わらず暖かく迎えて頂き、ものすごい数のお酒に出迎えられ酒好きにはたまらないお店だった。
そろそろ帰ろうかと考えていた頃、新澤さんがお連れ様とお二人で来店された。
いい感じに出来上がっていた自分にまた緊張が復活。
酔っているとはいえ、粗相は犯してはならぬと気を引き締め挨拶に伺わせて頂いた。
その際にお話されたのが糠の再利用の話であった。
この時の自分は、この糠が3月のイベントのメイン食材になる事をまだ知る由もない。
新澤さんが先にお帰りになるとの事で、再度挨拶をさせて頂き、自分も会計を済ませようとすると石山さんから既に料金は頂戴してるとの事。
今度は恐縮する気持ちで、どうすれば良いものかとすぐさま橋野に鬼ラインをしたのは、今思えば自分でも迷惑だったと思う。
落ち着くような言葉をもらっても興奮冷めやらない自分は、また一杯日本酒を頂いてお店を後にするのだった。