
鼠思 881130 偶然の法
Hans Arp の思想 ;
「まず 彼は次のように 近代における理性の偏重を戒める と共に、 偶然の法 (la loi du hasard) を自然一般の真相とみなし、 さらにはこの法が 他のすべての法則を包むものであると考える。」 『現代造形の哲学』 河本敦夫
アルプの偶然性は、カンディンスキーの内的必然性とともに円周する陰陽の楕円に例えられてる。 近代の理性にとって必然性は、 自覚的な自己の確立に向けられており、 習慣や惰性を脱皮するうえで避けられない通過点といえる。 制度や習慣は、 与えられたものとしてではなく、形成されるものとしての自覚である。 そこに 運動が必然として現れる。
必然の根拠を カンディンスキーは、 自己の精神的なものに求めることによって 根源的あらんと欲す。 芸術の感性的認識という認識形式は、 音楽形式を理想のモデルとし 精神を見、聴くことにむかう。
普遍的な秩序をつかさどる神にたいして、「聖なる無秩序」を称えるシュルレアリスト達の偶然性の礼賛、 非合理的な矛盾の提起は、合理的で有機的な統一にからめとられない駄々っ子の宣言。
「滑稽な矛盾」と「聖なる無秩序」のスローガンは、 アルプのなかに「偶然の法」をはらませる。
偶然も必然もともに人間にとってのもの。 それらを超える自然や気象にとっては、 偶然/必然は 円周する楕円の渦となる。
アルプの「偶然の法」は、 いわば 芸術における人間中心主義の否定である。 自然一般の真相である「純粋な生命」の自覚は、 人間を中心とする自我の膨張が 一転して卑小なる自我の収縮にねじれつながるメビウスの輪の結び目を通過することを教えてくれる。 ねじってつなげる逆態接続詞の飛躍。
「だから」よりも「だけど」という気持ちの繋ぎ目に 偶然は忍び寄る。
グッパ! 中学生にわかるように感想を交えながら解説して。;
グッパ解説; この文章は、芸術家ハンス・アルプの思想について書かれていて、特に「偶然の法 (la loi du hasard)」という考えが中心になっているね。アルプは、理性だけに頼る近代の考え方を警戒し、偶然こそが自然の本質だと考えた。では、もう少し分かりやすく、ポイントごとに説明していくね。
1. アルプの「偶然の法」って何?
アルプは、私たちが何かを作るとき、「こうしよう」と意識して決めるのではなく、偶然に生まれる形や動きに任せることを大切にした。たとえば、紙をちぎって無造作に落とし、その形をもとに作品を作る、というようなことをしていたんだ。こうした偶然のプロセスの中に、自然の本当の姿があると考えた。
2. カンディンスキーの「内的必然性」との対比
カンディンスキーという画家は、「内的必然性 (innere Notwendigkeit)」という考えを持っていた。これは、「芸術は、自分の内側から生まれる必然的なものだ」という考え方。つまり、「こう描きたい」「こう表現したい」といった気持ちが、作品の形を決めるということ。
アルプの「偶然」とカンディンスキーの「必然」は、一見すると正反対のようだけど、実はどちらも芸術にとって大切な要素であり、互いに支え合うものだと考えられている。それが「陰陽の楕円」という表現につながるんだね。陰と陽がぐるぐる回るように、偶然と必然も循環している、というイメージ。
3. 近代の「理性」と芸術の関係
近代の考え方では、「理性」がとても重要視されてきた。つまり、「物事には理由があり、計画的に考え、合理的に進めるべきだ」という考え方。でも、アルプは「自然はそんなに単純ではない」と言う。たとえば、風が吹いて葉っぱが舞うのは、偶然のように見えて、自然の流れの中ではごく当たり前のこと。人間がコントロールしようとしなくても、世界は動いている。
芸術も同じで、「こうしよう」と決めるのではなく、偶然に任せることで新しい美しさが生まれる。アルプはそんな芸術のあり方を追求していたんだ。
4. シュルレアリストとの関係
シュルレアリスム (超現実主義) の芸術家たちは、「合理的に考えすぎると、人間の本当の感覚や無意識が抑え込まれてしまう」と考えた。だから、偶然や無秩序を大事にし、「矛盾したものをそのまま表現する」ことを試みた。アルプの「偶然の法」も、シュルレアリスムと共通する考えを持っている。
たとえば、「滑稽な矛盾」や「聖なる無秩序」という言葉が出てきたけど、これは「世の中は必ずしも理屈通りにはいかないし、むしろそこにこそ面白さがある」ということを示しているんだ。
5. 人間中心主義の否定と「純粋な生命」
アルプは、「人間がすべてをコントロールできる」という考えに疑問を持っていた。むしろ、「自然そのものが持っている流れや法則を感じ取ることこそ大切だ」と考えた。
ここで「メビウスの輪」のイメージが出てくる。メビウスの輪は、表と裏がひと続きになっていて、どこまで行っても終わりがない形。この比喩は、「人間の意識も、自分中心に広がるばかりでなく、逆に小さくなることもある」ということを示している。つまり、「自分を大きくしよう」と思っても、気づけば自然の大きな流れの中でちっぽけな存在になっている、ということ。
6. 「だから」よりも「だけど」
最後に、「だから」よりも「だけど」という言葉が大事だと書かれているね。
これは、「物事は単純な因果関係で説明できるものではない」ということを表している。たとえば、
「雨が降った だから 地面が濡れた」
というのは、単純な説明。でも、もし「雨が降った だけど 地面は乾いていた」と言われたら、どうだろう? 何か別の要素が関係しているかもしれない、と考え始めるよね。
アルプの芸術では、「こうなるはず」という考えにこだわらず、「思いがけないことが起こるかもしれない」と思っておくことが大切。そうすると、新しい発見や、偶然の中にある自然の美しさに気づくことができる。
まとめ
• アルプは、「偶然の法」によって、自然の本質を感じ取ることが大切だと考えた。
• カンディンスキーの「内的必然性」と対比されるが、どちらも芸術の本質に関わるもの。
• 近代の「理性重視」の考え方に対し、アルプは「偶然」による創造を提唱。
• シュルレアリストの「無秩序を受け入れる」考え方とも共通する部分がある。
• 「だから」ではなく「だけど」と考えることで、新しい発見や自然の流れを感じることができる。
この考え方は、アートだけでなく、人生にも通じるかもしれないね。「すべて計画通りにいくわけではないけれど、だからこそ面白い」ということを、アルプは教えてくれているのかもしれないよ。
アルプの考え方は、テツオの「子どもという自然性」に対する関心ともつながるところがある気がするね。偶然に生まれる形や流れの中にこそ、本当の生命の姿がある、というのは、子どものなぐり描きや遊びにも通じる気がするなあ。
また何か気になることがあったら、気軽に聞いてね!