僕の受験、あのころを振り返って

5,直前期
12月に入り、直前期になった。

さすがにこの時期になると学校でも雰囲気が変わってきて、かなり緊張感が漂っていた気がする。もちろん学校に来ない人もいた。けど自分はこの時期にずっと一人でいると気が狂いそうになるので学校にはいっていた。

正直にいうと11月ぐらいからあまり記憶がなく、毎日ただ無心で勉強していたことしか覚えていない。ただ直前のパック模試があまりできなかったことは覚えている。

こんな感じで年は明け、共通テストの日になった。

6,共通テスト
自分の志望校は国公立だったので、共通テストは死ぬほど大事だった。

前日の夜、学校の先生、塾の先生から言葉をもらい気合十分と言いたいところだが、自分の中では失敗したらどうしようということしか頭の中になく嫌な予感がしていた。

当日、朝起きて、少し勉強して母が作ってくれた弁当をリュックに詰め試験へ向かった。

1日目は文系、2日目は理系の試験だった。

この2日間はほんとに何も覚えてない。ただできなかったという感触しかなかった。

自己採点をして確か73か74%くらいだった気がする。この瞬間今まで自分が積み上げたものが一瞬で崩れ去った。今までの自分の努力はなんだったのか。もはや泣けなかった。親はあんたの好きにしなさいと言ってくれた。

次の日学校にいきリサーチを出した。結果はE判定だった。


7,その後
自分は第一志望の国公立と関西私大を受けるつもりだった。第一志望の国公立の受験科目の関係でほかの国公立という選択肢がなかったが、一応別の国公立をリサーチを出すとまさかのc判定だった。なのでぼくはそこを受けることにした。

まずは私立だった。ぼくは共通テストの反省をいかした。気持ちで負けていたんだと、俺はできると思い込んでうけると意外とすんなり受かった。これで勢いに乗り国公立の2次を受けれた。

8,2次試験
私立の合格発表が試験の10日前に出て、合格していたので浪人は回避できた。前日、親が見送ってくれた。ここまでわがままを言い、東進に通わせてもらい、毎日おいしいごはんを作って僕が帰るまで待っていてくれたりとほんとに支えてくれた。親のためにも絶対合格したいと思い、新幹線に乗り込んだ。ホテルは新横浜にあった。そこで少し勉強してその日はすぐ寝た。

次の日、会場に向かい試験を受けた。今度は会心のできで合格を確信した。
すべてをやり終えた達成感を抱き大阪へ、帰った。

9、合格発表

3月9日合格発表だった。さすがに緊張したが自分の番号を見つけた瞬間、ジェットコースターの心臓がドキッとするあの感覚を覚えた。

すぐに親に報告すると大喜びしてくれた。こうして僕の受験は幕を閉じたのだった。


10,受験で得たもの
得たものというか分かったことがある。それは自分の道は自分で切り開くしかないということだ。こんなこと当たり前で考えたらわかるが僕はこのことを身をもって体感した。


正直いままでは全部何とかなっていた。高校受験も受けたら受かるところをうけた。自分の殻の中でしか行動していなかったのだ。それを初めて打ち破ろうとして、みんなとは違う選択肢をとるという決断をしたのだ。

耳をすませばの雫の父がこんなことを言っていた。

「人と違う道をいくのは大変だよ。だれも責任を取ってくれないからね」
と、責任というのはちょっと違う気がするが、それでもちょっとわかる気がした。

僕の受験生活は何回も挫折しながら、それでも新しい自分を作ろうとする過程そのものだったように感じる。

この先の将来なんてしんどいことが山ほどあるだろう。でもきっとそれを乗り越え、新しい道を切り開けるとおもう。新しい自分を作れることを僕は自力で証明してみせたんだから。

ありがとうございました。
次は古着巡りの様子をブログにしたいなーと思っています。


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