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昔むかしあるところに・・・『忘れられた日本人』 宮本常一 著
柳田國男、折口信一等の民俗学に影響を受けた宮本常一。柳田や折口は民謡や民話などからその土地の風土、文化を研究したことに対し、宮本が求めたものは、その土地に生きている人々の生活に溶け込み、対話をすることだった。その土地で生きていきた人の語りを聴くことで、その土地の文化や風習、慣習なども顕現してくる。
その土地に暮らす生の声を聴き集めたものがこの著書である。田植えをしながら女性達がする談笑(卑猥な)、盲目の浮浪者の語り、老人達の座談会での会話、寄り合いでの村人達の話し合い、この土地で暮らすことになった人生譚など。村の共同体という狭い世界で生きる術を身につけていった人たち。そこには、その土地で必死に生きてきた人たちの歴史や、土地の歴史が見えてくる。
宮本は、目的地へ向かう険しい山道の途中、ある老婆に出会う。その老婆は、顔はボコボコで、手には指がなく、ボロボロの着物姿。ハンセン病の患者である。業病の人にとって、まともな道を歩くことはできず、業病の人が通る道というものがあることを宮本は知る。
多木浩二の著書にこんな文章があった。
タイタニックのような巨船の沈没は歴史的な事件だ。だが、「難破につづく溺死者のながい漂流」は歴史の外にある。その溺死者たちが「偶然、どこからか流れてきて、次々と浜辺に打ち上げられる」。
(『映像の歴史哲学』より)
宮本のフィールドワークというのは、そうした歴史から埋もれてしまいそうなこと、忘れ去られてしまう人々の過去を掘り起こすことなのである。
昔の人にとって、その土地の歴史を知る手段というのは、日常の会話だったり、老人達がきかせくれる話だったり、寄り合いでの話し合いだったり、そうした日常の生活の中に伝承としての機能があった。本書には学校や教科書などで教えられる表層的なものではないアクチュアルな歴史が綴られている。