何故読めないんだ。 君のことはなんでもわかっている。 正確に観察し判断し対処してきた。 読みには自信がある。 なのにどうして別れようというのだ。 トイレに入ったら、ポタッと水滴がタンクの中で落ちる音すら見逃さず、 水道代にどれほど影響があるか、 修理を呼ぶべきかを考えながら、 もう何ヶ月も観察を続けているというのに。 「いつも読むだけなのよ。もう待てないの。」
わたしは走っている。競争している。 死ぬまで走っている。 このトラックを何周走ればいいのだろう。 先頭走者は遥か彼方。 もうやめよう。 どうせ周回遅れになる。 止まってやった。 お陰で一日に二回も、 先頭走者と確実に並べる時が来る。
鳩は馬鹿だ。 すぐ捕まる。 ぶくぶく肥えて、 カラスに追いかけられても逃げられない。 ろくに巣も作れない。 景色が変わると迷子になる。 なのに未だに絶滅しない。 ダーウィンよ、説明してくれ。
母の背中ごしに見たのは、赤い光だった。 それしか覚えていない。 遠ざかるのか近づいてくるのか、 それも覚えていない。 ただ、夜の駅のプラットホームだった。 汽車に乗ったのか、降りたのか、 それも覚えていない。 寒い季節だったように思う。 あの赤い光は、近づきもせず遠ざかりもせず、 ただ線路の彼方にとどまっていたのかもしれない。 このようなぼやけた記憶は、 後に自分で無意識のうちに後付けで上書きされた記憶かもしれない。 赤い光を見たこと以外は。
生き甲斐なんてありゃしない。 強いて言えば仕事かな、 趣味もなくスポーツもしない、 なんの楽しみもないけれど、 仕事が楽しいし、それで飯も食える。 家族も養っている。 子供の成長が楽しみだ。 だから、やっぱり俺の生き甲斐は働くことかな。 だいたい白人は罪滅ぼしで働いてるだけだ。 俺は働くことが生き甲斐なんだ。 いつも最後にはこんな台詞になる。 そうするとあいつはもう問いかけなくなる。 また出た、という顔をして斜め上の空間のある一点を見つめる。 しばらくしてあいつは「出ようか
トラブルがあって残業することになった。 納品が間に合わないのだ。 ミスによって一から作り直さねばならない。 現場全員と事務方二人が残った。 既に帰宅途中の責任者も、連絡を受けて戻ってきた。 全員一丸となって、翌朝の納品に間に合わせるべく励んだ。 寒い夜空が薄っすらとしらみはじめた頃、 ようやくすべての製品が完成した。 帰る頃はもう通勤ラッシュの前だ。 電車に揺られながら朝日を見ている。 睡魔もなければ疲労感もない。 ただ体中に充満するやり遂げた充足感があるだけだ。 働くことは
あの時はうまく出来たのに今、どうしてもうまくゆかない。 何度やってもうまくゆかない。 焦ってしまってなおうまくゆかない。 うまく出来た記憶はあれはまぼろしだったのかもしれない。 冒険も、恋愛も。
頑張ったら結果が出るとは限らない。 だからといって頑張らなければ何も起こらない。 どだい、生きることはそれ自体が不利なのだ。
母は編み物が好きだ。 母が毛糸のセーターをほどいている。 ほどいた糸を、ぐるぐる巻いて手毬のようにするのが僕の仕事。 ときにはほどいた糸を左右の手に巻き付けることもあった。 その違いが理解できない。 その理不尽が、僕の嫌気を増幅させる。 しかも、ほどいた毛糸でまたセーターを編むという。 もう拷問だ。
定年までがむしゃらに働いた。 お金を稼いで家族を持ち、養う。 それが生きる道だと。 無理が祟ったのか、いくつかの持病で医者に通うようになった。 医者に通い、薬を欠かさないことが、生きる道となった。 流石におかしいと気付いた。 聞けば、薬に頼らなくても幸せに生きる道があるという。 新興宗教に生きる道を見つけた。 縋る順序の合理性だけに今、縋っている。
自分で納得したことを他者に説得できるか。 納得させたことを説得と言えるか。 説得しなければ納得させられないのか。 どう頑張ってみても、納得するのは自分ではない他者だ。 つまり自分と同じ考えを他者の頭の中に作り上げることだ。 犬に芸を覚えさせることとは違うのだ。
カルボナーラばかり注文している。 昔食べたカルボナーラを、あの味をもう一度味わいたくて、 いつもカルボナーラを注文する。 あの味にもう一度出会うだろうか。 出会わないだろう。 あのときのあの味は、もうとうに忘れているから。
大きな屋敷に住む女の子がいた。 立ち居振る舞いが上品で他のクラスの仲間とは違っていた。 好きだったが、ろくに会話した記憶がない。 高嶺の花とはじめから諦めていた。 卒業の日、手紙を呉れた。 その子は遠くへ引っ越していった。
太陽を掴みたい男がいた。 山を越え、谷を渡り、追いかけに追いかけた。 いつか掴めると信じて。 ある日、追いかけて山を登ってゆくと、 もう行き止まりで足元は垂直の絶壁が延々と続いる。 底の見えない深い谷がどこまでも深く深く続いている。 谷の向こうはなにも見えるものはない。 ただ太陽がはるかな空の、彼方に浮かんでいるだけだった。 男は無の世界を初めて見た。 男と太陽の間には、無があることを知った。 太陽を掴むには、無になるしかない。
今日も畑仕事に汗を流している。 来る日も来る日も。 なんの取り柄もないただ働くだけの寡黙な男。 一日のささやかな喜びと、少しの苦の種とを、 天秤にかけ、どっちが重いかを確認しては眠りにつく。 人生のトータルでどうなのかなんかはどうでもよくて、 ただその日一日がどうであったかに一喜一憂し、くらす。 そうするうち、予想し戦略を練るようになってくる。 どうすればささやかな喜びが勝つかを考えながら暮らすようになった。 ときには大胆に、ときには小出しにし、 自分の人生をコントロール
断片ノート? 自分をさらけだして、 楽しいか?