
モラルハラスメントの記憶 vol.3
小学校入学を控えた息子は神経質で敏感なところがあり、少人数は頭で処理できるものの、人が増えれば増えるほど頭が追い付かなくなりパニックになる傾向があった。療育にも通い、自分の気持ちの整理の仕方なども学んでいる状況だった。彼が通っていた保育園はかなりの少人数だったのだが、それでいきなり小学校に入ったら授業どころではなくなってしまうのではないかと私は心配になり、人数の多い保育園に転園させることを5月に決めた。
転園して1か月して、段々と息子は新しい保育園に馴染み、前の保育園では同い年が1人もおらず先生相手にしか遊べなかったのとはうって変わって、一気に20人もの同い年に囲まれ楽しそうにしていた。私も転園させてよかったとほっとしていたのだが、突然それは訪れた。
「お風呂、入らない」
ある日突然、息子が保育園から帰った後、怒ったような顔で私を睨みつけた。特にこだわりも無いので優しく声掛けする。
「いいよ、そんな日もあるよね」
「やっぱり入る!」
「そう?じゃあ入ろうか」
「入んない」
「いいよ?やめとこう」
「入るって!!!」
「ええと……」
「入んない!!!」
こんな押し問答をひたすら30分ほど続けたあと、突如、息子は私の体をグーで殴った。小さいとはいえ男の子。重いパンチの痛みに、私は顔をしかめた。
「ど、どうしたの……?」
「うぁああああああぁぁああ!!!!!」
今度は泣き叫びながら、また殴ってくる。それをなんとか彼の腕を押さえて防御するが、すごい力だ。やめて、とお願いするも泣き叫びながら、隙をみて殴ろうとする息子、なんとか止めたい私、呆然とそれを見守る2歳の娘。その状態は2時間ほど続いた。
その日だけかと思ったが、それから週に3~4回は家に帰ってから2時間押し問答をしてから泣き叫びながら殴るという行動が続いた。その癇癪はある時はお風呂に入ろうと裸になった時に起き、ある時はご飯を食べようとした直前に起きたりした。その度に私は必死になって息子を押さえながら耐えた。療育の先生からは環境が変わって自分の中で処理しきれないものが家に帰ってから爆発するのだろう、あまり声掛けをしないで刺激しないようにして、じっと収まるまで待ったり、きっかけを与えて収束するように促したりしてみましょうと言われていた。
夫はその現場に初めて居合わせた時息子に声を掛けたが、息子は錯乱し夫の体を一度殴った。その瞬間、夫は息子の頭をはたき、また息子が殴り返すと夫は今度は息子の体をどついた。私はまずい、と思った。息子は単に感情がコントロールしきれないので叩いているだけだが、夫は怒りを込めてやり返している、このままだと大変なことになると思った。
「やめて!あなたはもう、何もしなくていいから、叩くくらいなら部屋にいて!!」
間に入ってなんとか制止すると、息子が後ろから今度は私を殴ってくる。痛い。私の言葉を聞いて、夫はふん、と部屋に引き籠った。私は息子に向き直ると、落ち着こう、ね、と宥めた。息子は興奮した様子で私にターゲットを変え、またひたすら殴り、叫ぶ。娘はその様子を固まって見ていた。
その日から夫は仕事から帰宅して、息子が私を殴る姿を見てもちらりと一瞥するだけで部屋に引き籠るようになった。広くない3LDK、私たちの声は夫の部屋には聞こえていたはずだ。私は息子に叩かれながら、こころの電話相談に何回も電話をかけては、一から状況を説明して(相談内容は記録されない仕組みなので)、相談員の方に「お母さん、大丈夫ですか、パパは……そうですか、息子くんは電話でお話できないかな」と声掛けをしてもらったりしていた。娘のイヤイヤ期と重なったのもあり、家の中が2人の泣き声で溢れている時も、私は泣きながら、うずくまりながら電話をかけて、誰かと繋がっていたいという気持ちでなんとか生きていた。
ある日曜日、息子が暴れ出して殴ろうとしたので私は彼を掴んで押さえ、いつものように静かに収まるのを待っていたのだが、彼が身をよじって逃げようとした次の瞬間、コキッと鈍い音が。
「うわぁああああああ!いたぁい!いたあああああい!!!!」
息子が狂ったように泣き出し、床に転がる、この感覚には覚えがあった。肘が抜けたのだ(彼は肘が抜けやすい)。しかし今は日曜日。普通の病院は開いていない。
「救急に行こう」
体の弱い息子を休日診療に連れて行くのに慣れ過ぎている私は、すぐに支度をしようとした、が、そこに夫が立ちはだかる。
「そいつは放っておいていい、それだけの仕打ちを受ける必要がある」
「え……だって肘抜けてるんだよ?はめないと直らない」
「知ってるよ、痛がらせておけばいい、当然だ」
私は何を夫が言っているのか分からず、唖然とするが、息子のすすり泣く声に我にかえる。
「とりあえず……なんでもいいから、行くの!あなたも娘をみてもらわないとだから来て!」
必死だった。娘は私がいないと泣き通しになり、それも虐待される恐れがあったので夫を同行させるしかなかった。あとでなじられるのは私だ、それならそれでいい。とにかく、肘を直さないと筋を痛めるといけない、とタクシーを捕まえて病院へ急いだ。
幸いすぐに処置してもらい、息子は癇癪のピークを過ぎ、いつもの大人しくて優しい様子に戻っていた。病院の外に出て、帰りのタクシーを呼び到着を待っていた。息子は娘と階段でジャンプして一緒に遊んでいる。
「なあ」
夫が話し掛けてきて、疲れ果てていたが私は彼の方を向いた。
「息子、やっぱりおかしいよ。娘も扱いづらいし……子供ふたりとも施設に入れてさ、ふたりでやり直そう」
結婚する前によく見せてくれていた穏やかで優しい笑顔で、夫は私にとんでもなく残酷なことを言う。私はあまりの驚きで言葉が出ず、え……くらいしか言えてなかったと思う。その後直ぐに、答えが頭に浮かんだ。
それなら私は子供じゃなく、あなたを捨てる。
その後息子の癇癪は4か月程度で収まり、保育園で沢山の思い出を作り、小学校入学の際も保育園の友達がいたのでスムーズに学校に馴染むことができた。小学校に入ってからは彼はのびのびと過ごしている。
ただ私は絶対に忘れない。
夫が冗談なのか本気なのか、どっちにしろ絶対に言ってはいけない言葉を口にしたことを。彼が子供を捨てようとしたことを。