「艱難辛苦」とコロナ禍でもがく私たち
連日、新型コロナウイルスの影響で、生活が不安定になった人の話をニュースで見かける機会が増えています。
当初は、飲食店や観光業に目が向きましたが、今やあらゆる産業で影響があります。きっと皆さんの身の回りでも。
仕事、お金、人との関わり、いままで手に入れたものが突然消え、当たり前が当たり前でなくなった世界。
社会人だけではありません。女性も、子供も、老人だって。葬儀さえ開くことができない世界です。
私たちは、このウイルスにより、体を攻撃されるのではなく、もっと次元の異なるものを攻撃されて、崩壊させられているような気にもなります。
荒廃する世界は荒廃する心を生みます。
人々を直接死に追いやる戦争さえ、戦っている側の人は気分の高揚さえあり、決してすべてを否定する場ではなかったでしょう。
一部の成功者、このコロナ禍にあっても、売れている商品や才能を開花した芸能人など、羨望の眼差しよりも、いつか引き落としてやろうとする悍ましい目を向けられている時代です。
けっして、時代のせいにしてはいけませんが、、、
言葉は刃物。人の心を切り裂く怖さと同時に、
人を癒やし、助け、救う効果もあると信じたい。
「艱難辛苦汝を玉にす」とは
艱難にあうのは決して不幸なことではなく
これは人生経験の少ない人にとっての最高の良薬である。
艱難を経験することで人は心を明敏にし
性格を練り鍛え、変化に対応する知恵を身につけ
物事を計画する力を養うことができる。
まさに艱難によって人は力を得るのだ、という意味です。
人は常に壁にぶつかるものです。
失敗することも、後悔ばかりの人生を過ごすこともあります。
しかし、生きていく以上は、いつまでも後ろ向きにならずに
しっかり前に進むことがとても重要です。
「逆境は、決して敵ではなく時には逆に自分の恩師となって人生に
尊いものを教えてくれるもの」ともいわれ
さらに、「自分の心の指針を導く神からの恩寵でさえある」ともいわれます。
艱難によって潰れてしまう人が多いのも事実です。
艱難辛苦というものが、必ずすべての人を磨くものではありません。
まず、その人が困難とどう向き合うかが一番大事なのでしょう。
逆境の苦しいときは
逆境の時にしかできないことが必ずあり、
自らが鍛えられ、成長して進む関門だと、思えるかどうか。
つまりは、
何事もまずはきちんと向き合うこと。
どんなに辛いことがあっても
そこから逃げていては何も生まれないことを知る事。
自分の受け止め方次第で
よい方向に変えることができる。
明けない夜はない。。。そう信じたいですね