自分とは。
なんとなくnoteをはじめてみた。
文章を書くのは子供のことからなぜか好きだ。
よく母親から「たくさん本を読まないと文章は書けない」と言われた。
しかし私は本を読むという行為が死ぬほど苦手だ。首が凝る。
小学生の頃、夏休み課題の読書感想文は「本の中身を書き出しただけ」と担任に怒られたっけ…。
そんな「基礎のない」私のnoteですが、
誰かの目に留まり、「ふふ」っと思われることがあれば嬉しいです。
別に面白おかしく盛るつもりもないけど、
不本意にせよ私の人生は「本に出来そう」と言われてきました。
Twitterでは収められない、Facebookでは本音すぎて書けない、
Instaに出せるほどキラキラしてない(苦笑)
そんな私の気持ちの備忘録とでもなればなぁ、程度。
お目汚し恐れ入ります。はい。
「自分とは。」
昭和時代に寒い地域で生まれた3人目。
動物がたくさんいる家で育った。
人生のほとんどをノリと勢いだけでやり過ごしてたら初老を迎えた。
夫とはもう生きてきた時間の半分以上でペアを組んでいる状況だ。
生活の都合上、「長い時間、一緒にいる」のとは違うので、とりあえず「ペア」
そんな夫は主成分の半分がネバーランドで出来ていると思う。
「好きな事しかやりたくない」と平然と言ってのけるパン船長さまだ。
人生の半分以上の時間を、
私はなぜか、そんな夫を中心に考えてきて今に至る。
中学生の頃にノリと勢いで始めた個人スポーツ。
本気でやりたいからと親を説得し大学を退学した一週間後に致命傷を負い、
リハビリするも戻りきれずにふわっと引退した10代最後。
20代前半にふわふわと転職しまくる私を
高卒公務員の義理兄は「羨ましい」と言った。
20代以降は、
10代後半の頃からくっついたり離れたりしていた彼氏(現:夫)中心の人生を送っていると自他共に思っている。
そんな私の結婚について当時、
夫の友人達は「あいつは本当に幸せものだ」と喜び、
私の友人達は「一回落ち着いて考えた方がいい」と止めにかかった。
おかげさまで、私の友人たちは未だに「アンチ夫」も多い。
それほどまでに私のことを心配してくれる友人達には感謝してる。
結婚してから15年以上、付き合い出した時期からだと20年以上。
もはや私は来世のために必死に徳を積むための苦行に励んでると思う。
夫の人生に寄り添うこと最優先で過ごした生活のなかに、
「産休」「育休」がとれるような時間は見つかるわけもなかった。
子供はいらない、だからせめて、私のやりたいことにももう少しフォーカスしたいと思い動き出した矢先。
結婚して10年以上たった平成の終わりに、唐突に息子が増えた。
いや、ちゃんと自分で産んだのだけれど。
そんな息子も気づいたらあっという間に年少さんになった。
コロナ禍で何もさせてやれないと言い訳しながらぼんやりしてたら
もう乳児から幼児にステップアップしていたことに軽く驚いた。
息子もすくすく育って、若干育ちすぎてる感も否めないが
発狂することもあるものの、それでもわりといい子だと思っている。
「産み、育てる」ということをギリギリまで迷い悩んだ私だけど、
出産・育児という経験値が増えたことは悪いことだと思ってはいない。
でも、その経験したほうがいいよ!というつもりもさらさらない。
なぜならなくてもそれはそれで、とも思っているのが事実だから。
その経験を選択し、選べたことは、
人から言わせたら贅沢な事なのかもしれないけど。
そんな息子のことも、いずれは。
さてここまでつらつら書いたけど、
やっぱり「私」のことは薄い。
18回くらい読み返したけど、薄い。
これは本当に私の人生なのだろうか。
そんなことをぼんやり考えていたら、noteの設定をしてから数ヶ月経過していた。
毎日が24時間では全然足りないと思う日が来るとは、
10代の頃の私は到底思えなかっただろう。人生とは皮肉だ。
さて。とりあえずはじめよう。
続けられるだろうか。
まずは、エンター。
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