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恥の感覚。共感性羞恥とかそこら辺の話


共感性羞恥という言葉がちょっと前から一般的な語彙として扱われ出した。

共感性というのだから本来は恥ずかしがっている人をみて自分も恥ずかしくなってしまうような場面で使われるはずだけど、実際には意味の範囲が広がり、他人が恥ずかしく思っているかどうかは関係なくただ他者の言動や振る舞い(失敗やダサい場面など)を側からみて自分が恥を感じてしまうというようなニュアンスで使われることが多い。
(本当はこの場合は観察者羞恥という言葉が別にあるらしい。)


俺はちょっと前までこの広い意味で使われる共感性羞恥のような、いわゆる”他人に恥ずかしく思われること”が怖くて自分の行いに制限をかけていた節がある。

特に人前に出る時や馴染みのない人が集まるような場面ではとりあえず悪目立ちしないように心がけていて、自分の本質みたいなモノが見えないように一般的な価値観と論理を搭載したAIみたいな受け答えをしてその場を乗り切っていた。

高校の途中くらいまでは見た目においても個性が出ないような黒い服ばかりを着ていたし、髪の毛のセットなんかもほとんどせず、もはや無頓着性を演出していたまである。


とにかく20歳前くらいまでは他人から、「頑張って自己演出していて恥ずかし笑。」と思われたら嫌だなとずっと思っていた。


そういう類いの自意識の圧迫で自分そのものがぎゅっと縮まって息苦しい状態が続いていたような気がする。



でも最近はなんかちがう


何かきっかけがあったとかではないけど、最近はなんか平気だ。


他人に恥ずかしいと思われてもしょうがないというか、俺を見て誰かが恥を感じたとしても「そんなの知らねー」みたいな気持ちになるようになってきた。

知ったこっちゃないよという感じ。


だからある程度、ファッションも好きに出来るし、人前に出ても初対面の人相手でも俺自身の状態で喋れる。



そして、自意識の圧迫が緩まってきたあたりから他人に対しても羞恥を感じることが少なくなってきた。


まだ感覚として、「こういう場面を見て恥ずかしくなっちゃう人いるだろうなー」みたいなことは分かる事はあるんだけど、実際の他人の振る舞いを見てられないほど恥ずかしくなっちゃうなんてことはほとんどない。

まぁまだ全てのことを余裕を持って受容できるわけではないけど特に他人の失敗する場面とかではもうほとんど恥を感じなくなってききた。

ナチュラルにドンマイを出せる。



あれもわりと平気よ。あの、なんか例えば自分の事かっこいいと思っている人がその実、不細工な挙動をしていたり格好が悪かったりみたいなやつとか。

実態とズレた自己過大評価とそれによるナルシズムの発露って一般的には羞恥の的だと思うけど、俺はこれも平気になりつつある。
すごいでしょー。

(俺自身も最近インスタのストーリーとかで自撮りとかあげたりしちゃってる。なんか別に良いっかなって。恥ずいっすか?自撮りしちゃう人見るの恥ずい?どう?というか皆は自分の容姿好き?俺はダイエットで痩せてから自分の容姿が好きになってきているよ。実態とズレてるかどうかは知りません。あと堀越千史さんっていう方の「今日のすがた」というTwitterアカウントがずっと好きで多大な影響を受けている。素敵なので見てみて。容姿問題とナルシズムの話とかもあとで書こうかな。千史さんが自撮りについてめちゃくちゃ良い事言っていてちゃんと引用したいんだけど記事が見つからない。あとで探さなきゃ。)



というか、最近はもはや他人を見て勝手に羞恥を感じてる方が少しダサい気がし始めている。
なに傍観者が恥ずかしくなってんだよみたいな気持ちになる。
俺は元々広い意味の共感性羞恥を感じやすい気質だったからそれが薄まったことで一個自分が成長したような気になっていて、それ故に未だに共感性羞恥を感じやすい人をどこか未熟者だなと思ってしまっている感じがする。
これは逆に行き過ぎか?
行き過ぎでもダメなんだよな。


でも他人を見て羞恥を感じる時って、その瞬間、そいつを安全圏から見下していたりバカにしていたりすると思うんだよな。

側から見て恥を感じるって事は「自分がああなったら嫌だなぁ」という気持ちが少なからずあるわけだから。

んで、そういうスタンスって基本ダサいじゃんか、もう世がそういう流れになってきてるじゃん。
嘲笑の時代は終わりみたいになってきてるじゃん。俺もそういう気分なんすよね。

嘲笑するなら腹括って、個人として、正面から相手をバカにする構図じゃないともうダメな気がする。
他人の振る舞いを側から多勢でクスクス笑うのとかもうダサいじゃん。

仕掛けるなら個人として働かないと。


そゆことなんすよね。


でも一方で俺はピースの又吉とか昔の星野源のエッセイとかが好きで、ああいう少し捻くれたセンチメンタルに憧れている節も正直ある。

好きな人や好きなエンタメもそういう類いが多い。

だから自分の変化と共に自分の好きなモノへの共感ができなくなってしまうんじゃないかというのが少し怖い。

今くらいのバランスならどっちも分かるから良いのだけど、そのうち何においても恥を感じなくなって恥の感覚すらほとんど忘れてしまったら、他人のセンチメンタル的な細かな心情描写をリアルに理解できなくなってしまうんじゃないかと思うとほんとに恐ろしい。


なんかうまく調整していけたら良いんだけど、、

自意識とか恥の感覚ってある程度はないとただの無敵の人になってしまうからな。

気をつけていかないと。


じゃ俺は帰る。またね

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