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医師免許がなくてもできる仕事ばかりするな

医師免許がなくてもできる仕事ばかりするな──

 初期研修中、救急科をローテしていたときに先輩医師から言われた言葉。これを耳にしたとき、正直ぎょっとした。

当時の私は、重症患者ばかりが運び込まれる現場で、ベッドを片づけ、エコーを拭き、採血用のスピッツにラベルを貼る。誰にでもできる雑務をこなすことばかりに注力し、いつの間にか「気の利く研修医」として器用に立ち回ることばかり身についていたのだ。
 もちろん、そんな姿勢も一部の上司には評価される。褒められれば嬉しいし、「できレジ(できる研修医)」などと言われると自信が湧く。
 だが、その先輩医師の言葉は鋭かった。

表向きの評価に甘えて、本当に医師として身につけるべき手技や処置から逃げてはいないか。
初期研修だからといって、自分から能動的に患者さんの治療に一歩踏み込む勇気を自分で封じてはいないか。

そう問いかけられた気がした。あれは、自分にとってある種の警鐘であり、もっと自分が医師として責任を持って患者の診療に関わろうと決意するきっかけにもなった。

 自分が本来身につけるべき処置や診療のスキルからは目を背けていたかもしれない。いわれるがままに 誰にでもできる作業に追われて、いつの間にか「できレジ」というレッテルだけに安堵していたのだ。


医師免許がなくてもできる仕事とは?

この言葉を聞いて、おそらく皆さんが連想するのは、あのドラマのセリフだろう。

医師免許がなくてもできる仕事は一切「致しません」

ドラマ『ドクターX』の大門未知子が「医師免許が不要な雑用は一切引き受けません」と言い放ち、以下のような契約書を病院に主張するシーンは、極端ではあるが痛快だった。

帝都大学附属第三病院との契約書
教授の論文・研究のお手伝い「致しません」
学会のお供、ゴルフの送り迎え「致しません」
飲み会のお付き合い、教授の愛人隠ぺい工作「致しません」
医師免許がなくてもできる仕事は一切「致しません」
(勤務時間8:00 - 17:00、年俸約1200万円、時間外労働は時給3万円)

ドラマ『ドクターX ~外科医・大門未知子~』より

彼女の「手術をするためにここにいる」という姿勢は極端ではあるが、あくまで医師としての専門性や、プロフェッショナリズムを発揮する仕事にフォーカスした働き方を象徴しているともいえる。研修医時代の自分には、足りなかった姿勢である。

 「外科医として切る」
「内科医として診る」
「救急医として命を救う」

医師には、医師だからこそできる役割がある。それを放棄してしまったら、医師免許を持つ意味はどこにあるのか。
ドラマの大門未知子が「医局に所属しない」「権威や束縛を嫌う」という姿勢を貫くように、医師が担うべき専門性や熱量を突き詰めるのも一つの生き方だろう。

では、すべての医師免許がなくてもできる仕事は不要なのか?

だからといって、すべてを手放せるかというと、そう単純ではない。
外科医が「メスだけ握っていればいい」というわけにもいかないのは、おそらく周知の事実だろう。ドラマではクールに手術をこなすだけのように映るが、現実にはそうはいかない。
 手術当日だけでなく、翌日には朝一番で患者を回診し、検査データを確認するのが当たり前。さらに毎日が手術の連続なので、その日の朝からオペに入るまでのわずかな時間にフル稼働して、術後管理のための準備や情報収集を行う必要がある。
難しい手術や専門性の高い領域であればあるほど、術後管理に外科医の腕が問われるのだ。
 確かに、そこには医師免許が不要と思われる作業も含まれているかもしれない。たとえば検査のオーダーやベッドコントロール、各種書類の作成など。それでも、この部分を「サボって」しまえば患者の全体的な治療に支障が出るのは目に見えている。手術が成功しても術後管理をおろそかにしたならば、最終的に患者が望む結果を得ることは難しいだろう。

 また、病状説明やインフォームドコンセント(IC)なども医師免許が必須かといえば、厳密には「医師以外のスタッフでもある程度の説明を行える」場合がある。
 ただ、患者さんやその家族は大きな不安を抱えながら治療に臨む。
「本当に手術はうまくいくだろうか」
「自分(家族)は助かるのだろうか」
と頭の中は疑問だらけだ。
そうした不安を傾聴し、専門家として解決策を示すような医師でなければ、誰もその人に大切な手術を任せたいとは思わないだろう。手術に限らず、医療は医師と患者の間に強い信頼関係がなければ成立しない。
高い専門技術を持つだけでなく、患者に寄り添い不安をほぐすコミュニケーション能力も、立派に“医師免許を持つ者の仕事”だと言える。

医師として、目の前の仕事にどう向き合うべきか?


 要するに、“医師免許がなくてもできる仕事”をすべて排除すればいいという単純な話ではない。むしろ問題は「本来、医師がやるべき仕事」と「誰でもできる雑務」の境界が曖昧なまま混在していること。
ここを意識せず、日々走り回り手を動かし続けていることで、あたかも自分も成長している気になるという、勘違いするのが問題なのだ。思考停止で効率よく雑務をこなすことに専念してしまうと、医師が自分の専門性を高める機会や時間をを奪われることになる。
 昔の私のように、研修医が自分の成長を棚に上げ、周囲に気を遣いながら雑務ばかりでお茶を濁してしまう状況にもつながっているのかもしれない。冒頭の先輩の言葉で、私はそれに気づくことができたのだ。

 医師としてメスを握ること、患者を診ること、治療方針を考えること、コミュニケーションをとること。
一見雑務に思えることも含め、そのすべてが結局は“医師免許があるからこそ”生かされる仕事なのではないだろうか。
とはいえ、雑務も重要だが、それだけでは医師としての本当の力は磨かれない。
手術でも診療でもコミュニケーションでも、医師免許の有無などにとらわれず、すべてに積極的に飛び込むことで、医師としての価値は最大限に発揮される。
技術の研鑽も、術後管理も、患者との対話も、まるごと自分の成長に結びつく──要はどんな仕事も自分の姿勢次第なのだ。
患者さんと向き合うことから逃げず、言い訳をせずに、前を向いて働こう。
そう毎日心に決めて、白衣に袖を通す。


最後まで記事を読んでいただき本当にありがとうございます。
今後も医師、医療の視点から日々感じたことを心を込めて綴ります。
皆さんの毎日に彩りをもらたしたり、何か日常や生活について考えるきっかけになる記事を作って参りますので、もしよければスキ、フォローいただけると嬉しいです。犬のように懐いて喜びます。


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三谷雄己|綴る救急医
救急の現場を少しずつ知ったうえで、一般の方々との感覚のズレが少ない今だからこそかける文章を心がけて。 皆様のサポートは、多くの方々に届くような想いが書けるよう、自己研鑽にあてさせていただき記事として還元できたらと考えています。 共感いただけた方は何卒よろしくお願いいたします。