どうもAIイラストが苦手な人たちと議論がうまくできない件を考察してみた
いきなり炎上しそうなタイトルですが、こう書くしかないので、炎上したらあきらめます……。
AIイラスト推進側にも、正直のところ「全く理解も共感もできないこと」を言ったり実行したりする方が、けっこう目につくわけですが。いずれにしても非常にヒステリックな罵り合いが多い気がしています。
その中で、いくつか気になることをピックアップして、考察してみようと思います。
内容ですが、(1) AIイラストに関するいくつかの深刻な誤解(2) AI絵師という名称の2点をおもに扱います。
はい、今回は7000文字超え(誰が読むんだ……)。
(1) AIイラストに関するいくつかの深刻な誤解
①AIイラストはどうやって作るのか?
知人などから「AIイラストってどうやって作ってるの?」と質問されたとき、雑に答えていい場合は……
AIに材料を渡す。つまり絵や写真を見せる。
材料はドロドロのスープみたいな状態になる。原型はとどめない。
スープに呪文を唱えるとイラストが出てくる。
というように、ぐちゃぐちゃな説明をしています。大体これで「ふーん……」で終わるから、すごく楽で助かるもんで……。
真面目に説明するとこういう感じです。
ある人にいろんな人の顔写真を大量に見せる。
その人にテキトーに作ったモザイクの画像を見せる。
そして「これって人の顔写真にモザイクかけてるんだよ」って言う。
モザイクを見せられた人も「だよな!俺もそう思ってたぜ!」と、その気になる。
その人に「このモザイクかかった写真って、二十代前半で、アイドルっぽい顔の女の子なんだけど、どんな顔か想像して絵を描いてみてよ?」と言う。
想像図ができる=AIイラスト。
ただのモザイク画像を見て、過去の記憶を頼りに、想像で描いたイラスト。これがAIイラストの正体なのです。
②AIイラストを「上手に描かせる」ために必要な要素
前の説明から、まずはベースとなる「顔写真」が必要だとわかります。
もしも、この顔写真が「特定の人(女優さんやアイドルさん)」の顔写真だったとします。この場合は、想像図は「その女優さんやアイドルさんの顔」にそっくりになりますね。
これに似ているのが、有名な漫画家さんやイラストレーターさんなどの作品だけを読み込ませて、その漫画家さんやイラストレーターさんのような漫画やイラストをAIに描かせた場合です。これは現在でも明確にアウトです。法律的にダメなやつです。
しかし、ものすごく大量の写真やイラストを見たうえで、ある人が一生懸命に想像上の人物を描いたらどうなるか。それは「創作」と考えられます。わたしたち人間のイラストってそうですよね。過去の学習や記憶の「要素」を土台にしながら、何かを作っているわけです。
これは著作権法上アウトにできない、と言えそうです。
次に必要なのは「指示」です。
ただのモザイク画像から、自分の思ったような想像図を描いてもらうためには、まあまあ具体的な指示が必要です。
「女性」とだけ指示するのか。それとも「17歳前後の、女性。髪は黒髪ロングのストレート。肌は白く、目は切れ長の二重で……」と指示するのか。
後者の指示の場合は、たぶん何度か書き続けてもらっても、似たような感じに仕上がると思います。この指示のことを「プロンプト」とか「呪文」と呼んでいます。
実は、もう一つ指示の仕方があります。
それは「こんな感じの人の写真が隠れているんだよ」と、指示する人が自分でラフ図を描くことです。これを「img2img(イメージ トゥ イメージ)」と言います(わたしのイラストでimg2imgを試してみました)。
要は、最終的にイラストを描く人に「あーそう言う感じね」と伝わればいいので、上手である必要はありません。言葉による指示と同じく、描き手であるAIが「こう言うことがしたいんでしょ?」とわかるように描くのがコツですね。
実際には「img2img」だけで描いてもらうより、「img2img」と「プロンプト」を組み合わせるのが一般的ではないかと思います。
このように、AIイラストは「学習(データ)」と「指示」によって生み出されるものだと言うことが、議論の前提となります。
③AIイラストはパクリ、トレース、コラージュ???
ここまでの説明が理解できた方なら、AIイラストを「パクリ」「トレース」「コラージュ」などと言うのが、けっこう微妙であることに気づかれることでしょう。ハッキリ言うと「当てはまらない」と感じるほうが普通ではないかと。
実は、人間がイラストを「創作」する過程と、AIがイラストを生み出す過程には、かなり似た部分があります。
たとえば、小説を書く方であれば、好きな作家さんの作品を書き写した経験があるかもしれません。文体やリズムを体に叩き込むのにいい、なんて言われます。
そうでなくとも、好きな作品は何度も読み返して、けっこうな部分や要素を覚えています。
そうやって学習して積み重ねた「知識や記憶のスープ」に対して、「オラ、今から、こんな場面の作品を描きてえ!」という呪文を唱えると、必要な要素が抽出されるわけですね。これが「創作」の大きな部分を占めています。
イラスト漫画も、好きな作者さんの絵をトレースした方は多いはずです。そして、その「要素」は、その人の「血肉になっている」なんて言われますよね。つまり、パクリでもトレースでもなく、あなたが新しいものを生み出すための「ドロドロのスープ」になっている、と言うわけです。
だいたいコラージュって「切り貼り」です。そもそも、本来的な意味のコラージュであれば「切り貼り」という行為(素材の切り方や並べ方など)に独創性があるので、「創作」と考えられています。それはそれとして、AIイラストの生成過程には、コラージュの技法は使用されてはいません。
トレースは「なぞる」こと。これもAIイラストには少しも当てはまりません。
なので、AIイラストをトレースだのコラージュだの言っている時点で「あーわかってないんだなぁ」となり、まともな議論ができない人であることがわかってしまいます。
話を元に戻しますが、AIイラストを「パクリだから全面禁止せよ!」と言うのは、暴論です。なぜなら、人間の創作もAIイラストの生成過程と似ているから。もしも、無作為かつ広範囲の画像を学習したデータから、問題のない指示やイラストをもとにイラストを合成することを禁止するなら、それは人間の創作活動に対してブーメランのように跳ね返ってくるわけです。
④AIイラストがアウトなケース
わたしはAIイラストだけでなく、あらゆる分野で「AIが効果的で有用なら推進すれば良い」と考えています。
「芸術分野だけはAI立ち入り禁止」と言う意見に対しては、率直に言ってピンとこないです。
とはいえ、AIイラストがアウトになる、つまり「パクリ」となるケースがあることも承知しています。
簡単にいえば「指示」「材料」に偏りがある場合です。
指示の時点で「これこれと言うアニメ風に」って言うのはダメじゃないかなぁと思っています。指示の問題については、実際にはこんなに単純な線引きではありません。この部分については「わたし個人は「アウト」と思っています」くらいの意味です。
材料の場合はもう少し明確な気がします。特定の漫画家やイラストレーターさんの作品ばかり学習させたら、これは「パクリ」です。だいぶ前の方でも書きましたが、現行の著作権法でもアウトです。
現在「数十枚の絵柄を読みこませてから、AIにイラストを描かせる」という手法も出ているとか。「数十枚の絵柄でフィルターをかける」わけですね。「これらのサンプルのように描いてくれ」みたいな感じです。そこに「勝手に誰かの作品を読み込ませる」っていうことをする輩がいるようです。これもアウトだろうなぁと思っています。
つまり、一応は現時点の法律でも、一定程度はAIイラストの暴走みたいなことを禁止したり抑止したりする仕組みはある、と言うことです。
AI推進過激派みたいな人たちの中に、それを完全に見過ごしているか、あるいは故意に違反をしているか、いずれにしても「この人たち頭大丈夫かな?」という人も少なからずいるのが気になっています。
同時に「AIイラスト全面禁止」を声高に主張する人たちの中には、やはり現行法の枠組みやAIイラストの仕組みなどについて理解不足のまま、非常に偏った言説を広めている人も見受けられます。
ぶっちゃけ、双方の過激派が退場してくれたら、有益な議論になるんじゃないかなと思っています。
(2) AI絵師という名称
個人的には「名称なんてどうでもいいわ」と思っています。
ずいぶん昔に「我々をビジュアル系と呼ぶな!」と宣言して話題になったロックバンドがありました。ファンの方には申し訳ないんですけど、これって「みなさんが決めることじゃないんですよ」って言うことでして。
つまり、世の中のいろんなことってカテゴリー分けすると便利なわけです。
ヤンチャな若者を「ヤンキー」って言ったりするじゃないですか?あれって、当事者に了解とかとってますか?取らないですよね?誰かが命名して、その表現とかが世の中に受け入れられたら、「そういうカテゴリー」に収まっちゃうわけです。
だから、当事者が「ヤンキーって言ったらコ口スぞ、ゴルァ!」なんて言っても、その表現がなんとなくしっくりして、世の中で定着したら、そう呼ぶしかないわけです。
「AI絵師」も似たようなもんだと思っています。
たぶん、ある程度定着していくんじゃないでしょうかね?嫌だったら、それに代わる、もっとピッタリな言葉を発明して、流行させるしかないかと。なので、そこにイラつくと言う気持ちはわかりますが、そこばっかり言ってもしょうがないなと思っています。
同時に、わたし個人としては、AI絵師と自称する人たちの中に存在する、「ある種の属性や主義の方々」が「嫌がられる」のも、そりゃもっともだよねと思っています。
わたしの感想としては、それらの方々には「恥ずかしながら感」がない。そこが恥ずかしい。
前段のAIイラストの作り方を思い出してください。AI絵師さんは絵を描いているでしょうか?
指示のための下絵さえ描いていない人も多いですよね?下絵を描いているとしても、あくまでも「指示」の手段であって作品とは呼べないでしょう。
描いているのはAI。
ここをすっ飛ばしているから嫌われるんじゃないかなと。だから「AI絵師(恥ずかしながら)」「AI絵師(照)」「AI絵師(笑)」など、いささかの「恥ずかしながら感」が前面に出ていたら、こんなに拒否反応はなかったんじゃないですかね?
わたしは下絵を描いてAIイラストを作っている人間ですが、自己認識としては「AI画伯にイラストを描いてもらっている発注者」なんですよ。仕事でイラスト発注とかもやることがありますが、まったく一緒です。
なので、基本的には「創作者」ではなく「発注者」とか「クライアント」とかの位置付けですね。
モノによっては、わたしの関与やコントロールが大きいので「わたしが一応創作者ですが、かなりAIの手助けをしてもらってます」みたいな言い方もします。ここらはケースバイケースですね(リンク先の記事は、わたしが「創作者」と名乗って良さげと考えているイラスト作成の記録)。
この場合のイメージは「工房」です。中心となる人(親方など)がいて、その下にアシスタントというかお弟子さんとかがいる。中心人物の設計図的なものをもとに作品を作った場合は、一応「創作者は中心人物」ってなりますね。
子どものころやりませんでしたか?「大阪城を作ったのはだーれだ?」ってやつ。「大工さん」「豊臣秀吉」と2つ答えがあり、どっちを答えても「ブッブー!」となる、あのくだらないやつです。でも、やっぱり、一般的には「豊臣秀吉が建てた」ってなるわけですね。
個人的には、豊臣秀吉ではなく、本当に「設計した人」がいるはずで、その人の名前が出てきたら、その名前を「設計者」「作った人」とした方がスッキリします。それにしても、まあ大工さんとは言わないでしょうね。つまり「創作の主要な部分を誰が実質的に担ったか」によって、創作者の考え方は変わってくる、ということです。
そこからしても、かなり独創的な世界観をお持ちの方が、その世界観を自分では描ききれないのでAIに手伝ってもらったという場合であっても、「AIと共作」とか「かなりAIに手伝ってもらってます」って言うのが妥当ではないでしょうか?
この認識があるかないかって、個人的には重要な気がしています。
嫌われないため、と言うよりも「創作という行為への敬意」みたいなことです。
(3)たぶん最後まで分かり合えないとは思うけれども(個人的な総括)
膨大な作品を学習したAIに対して、めちゃめちゃ大変で精緻な指示を我々が出したとしても、必ずしもいい作品に仕上がるとは限らない。AIイラスト生成の経験者ならよくわかると思います。たぶん「いい絵を描かせるには、プロンプトに膨大なノウハウが必要なんだから、我々は特殊技能でイラストを生み出しているのだッ!」って、勘違いしちゃうんでしょうね。
「AI絵師(恥ずかしながら)」のみなさんが見過ごしていると思える点で、けっこう大事なことがあります。
それは「絵師」「漫画家」「イラストレーター」などと呼ばれている人たちは、「機械学習(絵を描くための膨大なインプット)+プロンプト詠唱+アウトプット」をすべて自力でやっている、ということ。わたしの感覚としては「AI絵師(恥ずかしながら)」って、プロンプト(指示)のとこしかやってないじゃん、です。
要は「絵師の条件を満たしていない」のに「絵師」と名乗るから、嫌がられているんじゃないかと。
だから「AI絵師(恥ずかしながら)」っていう恥じらいを持ったらどうなのって思うわけですよ。あなたたちが絵師と名乗るのは、やっぱり傲慢だとか勘違いだとかって言われても仕方ない。そこは認めたらどうですか、と。
だって、イラストを描くための「膨大な知識やノウハウ」と「その知識を使って絵を描く力」を持っているのは、あなたではなくAIの方でしょう?なので「AI絵師」じゃなくて「絵師はAI」というべきじゃないかと思うわけです。
ごく最近までは、創作者の頂点にいる一握りの人だけが、名声やお金などを得られるという、めちゃくちゃ厳しい世界でした。
そこに、AIという道具を用いた「自分では、およそまともな絵を描けないであろう人たち」が乗り込み、恥じらいもなく「絵師」などと名乗るうえに、金銭まで得る=市場を食われるわけで、それは拒否反応も強いだろうと。まあ、嫌われるには理由もあるよな、と。
ただ、一方で「だからAIイラスト禁止しろ」って言うのも、わたしの感覚ではメチャクチャだな、と。
経理の仕事をするのにソロバンが必要だった時代から、今は表計算ソフトが使えれば(もしくはソフトウェアに数字入力ができれば)良い、みたいになっています。じゃあ「ソロバンできる人の仕事を奪うから表計算ソフトは使うな!」なんて言いますかね?
世の中の大半の仕事で、熟練した技術者でなくてもできるように、いろんなものを発達させてきた。その結果、たくさんの恩恵を受けてもいるわけですよ。自分が恩恵を受ける時は技術を批判しないのに、自分の市場が危うくなると批判をはじめる。
自分の利害に敏感になること自体は当たり前のことなので、それが悪いとまでは思わないんですよ。
でも「そういうことじゃないんですか」とは思います。自分のフィールドだけは聖域だなんて思うのは、ちょっと違うんじゃないかと。
たぶん、もっと深刻な摩擦が生まれて、それこそ大規模な訴訟なども経て、ようやくAIイラストとの折り合いみたいなのも付くようになるんじゃないでしょうか?もしくは、折り合いがつかないまま、普及してゆくかもしれませんね。
いずれにしても、問題が「感情論」に終始すると、問題は解決しません。そうじゃなくて、ある程度の正確な知識に基づいて、問題を整理し、どうにか上手に共存できるように考えるしかないんじゃないですかね?
以上、AI推進・反対両派から殴られそうな個人的考察でした。
(4)余計なおまけ:現在行われている議論の方向性と個人的な感想
AIイラストには「これはAIイラストですよ」と書き添えるような国際ルールはどうか、という提言もあるようですね。
それだけではなく、「AIイラストを生成するための「材料」は偏っていないか(少なくとも合法的な方法で、なおかつ偏りなくランダムに収集しているか)」とか、「イラストを生成するためにどのような指示(プロンプトや元絵)を使ったか」とか、トラブルが起きたときに検証できる方法は取れないかとも思っています。
少なくとも「img2img」の原画は検証可能なように保存する仕組みがないと、それこそ著作権侵害がやりたい放題になるでしょうし。
悪質な違反行為で「本物の絵師」たちが困るのは本意ではないので。
AI推進過激派が、意図的というか悪意を持って見落としているように思える点として「AIには学習元のデータが必要」っていうことがあります。
そのうちにはAIイラストも学習元になっていくでしょうが、それにしても人類の「過去作」の上にAIイラストは成り立っています。その過去作や、今でも「創作」によって多様な作品を生み出している人たちって、基本的には「人類の宝」だと思うんですよ。
これって、一度自分でペンダコ作るまで絵を描いた経験があれば、あたりまえに腑に落ちることだと思っています。
これは極論ですが、暴走的なAI推進過激派の方々の言い分を見るにつけ、「この人たちって、自分で汗かいて創作したことないんだろうなぁ……」と感じます。ま、ただの偏見かもですが。苦労しないで、ただ消費してきた人たちが多いのかな。こういう人たちの中には、もしかすると著作権侵害サイトみたいなところのヘビーユーザーがけっこういたりしてなぁ……とか。
どうでもいいことですけど、AIイラストのプロンプトの書き方を覚える前に、指がおかしくなるくらいイラスト練習してみることをお勧めします。たぶん、泣くような思いをして描いてみて、それでも自分には「描けない」という事実を知ったら、もう少しだけ「AIイラスト反対!」の創作者さんについて、理解を深められると思います。
一応お断りですが。この記事はすごく厳密に法律その他の解説をしているのではなくて、ザックリと物事つかめるように、敢えて大雑把に表現しています。ですので、よほどの事実誤認があればすぐ直しますが、法律などの解説書を読む感じではなく、「世の中にはこんな議論があるのね」くらいでお読みいただければ何よりです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?