ボカコレとレギュレーション問題:あの騒動をたびたび繰り返さないためのひとつの考察
ボカコレ2023年春では、ちょっとした騒動がありました。
この騒動で、一部参加者がかなり「ダメージ」を負う結果になったり、レギュレーションをめぐる公式発表が変わって混乱に拍車がかかったりするなど、事務局の対応の不備で混乱が拡大した面もありました。
そこで、ボカコレというイベントで、今後同じような問題が起こらないためには、どのようなレギュレーションや運営姿勢が必要なのか、いつものように考察してみます。
「誰得?」な約9000字へレッツゴー!(壊)
レギュレーション巡るトラブルの概要
かなりざっくり言うとこんな流れです。
ボカコレ開催前にレギュレーションが発表される。「ボカコレのTOP100とルーキー参加作品では『完全新作』で参加してくださいね」というあいまいな内容が含まれていた。
ボカコレ開始後からぶっちぎりトップの作品で、冒頭部分の「ついにはじまりました。ボカコレです」というわずか5秒ほど部分が、当人の過去作と同じだとの指摘があった。
ボカコレの事務局が「これは過去作からの引用に当たる=レギュレーション違反」として、ランキング除外を決定。
その後「引用」を含む作品を発表していた参加者に対して、事務局から「TOP 100およびルーキーのタグを外す」よう要請。タグを外すと「そのランキングには参加していないこと」になってしまう。
その後、「さすがに冒頭5秒の、曲の根幹には全く関係ない部分を捉えて、引用として、ランキングから除外すると言う決定は妥当なのか?」という疑問や不満が噴出。
事務局で再検討の末「引用は全面禁止でランク除外」ではなく、「全体として過去作との同一性が高いかを個別判断する」みたいな感じに、レギュレーションの運用や解釈を開催途中で変更。
事務局の要請どおりにタグを外した参加者は、なまじ「事務局の決定に沿って行動した」ために、ランキング対象から外れることに。その結果として、視聴数や順位にマイナスの影響が出たまま、ボカコレを終えることに。
すごく簡略化して端折っているので、雑だったりする点はご容赦を。
問題点の検討
わたし自身、ボカコレというイベントは好きですし、事務局の方々にも感謝の気持ちでいっぱいです。ぶっちゃけ感謝しかない。
でも、この件に関しては「たぶん、この件の処理に関して、適切に処理するための基本的な考え方をわかっている人がいなかった」のかなと感じます。
わたし個人としては、次の各点について取り上げてみたいと思います。
(1)曖昧な用語の定義
そもそもの問題点は「レギュレーションで『過去曲からの引用もダメですよ』とまで明文化されてたか?」なんですよね。
普通に読んだら「以前作った歌の(実質)替え歌みたいなやつはダメ」くらいな感じですよね。それに「完全新作」って、すごくあいまいな言葉です。
これは嫌味ではなく、単純な興味と再発防止のために、事務局の人たちがどういうロジックで「この規定を根拠に引用不可という結論を導き出したのか」を聞いてみたい気もします。
(2)投げかけられた重要な質問
このあいまいな規定に対して、参加予定者から次のような質問が事務局に対して投げかけられました。
これに対する事務局の回答が「過去作から引用したらダメ」という内容だったようです。
ボカコレ開催までかなり時間のある時期でしたので、ここで大々的に「レギュレーションに関する重要なお知らせ」という形で、この「解釈」を発表して注意喚起すれば良かったわけです。
この規定は、参加楽曲をランキングから「除外=失格」にできるほど重要で、言ってみればボカコレの運営上もっとも重要なルールのひとつと言えます。事務局サイドに、そういう理解や認識が不十分だったことは反省点だと思います。
(3)レギュレーションの目的を逸脱した解釈への固執
そして「冒頭5秒だけ」過去の作品と同じ部分がある曲が、ルーキーランキングでぶっちぎりのナンバーワンをひた走ります。
この作品の「冒頭の5秒」が問題となったとき、事務局は「個別に回答した解釈」に基づいて処理をします。
そもそも、全員に十分周知していない解釈で処理しようというのが間違いですし、そもそも事務局が「自分たちの解釈」を基準にランキング除外を決定したことも問題でした。この点は後述します。
ここで考えたいのは「音楽を作る人間は、一般的に、この5秒を『引用』とみなして問題にするのか?」ということです。
ぶっちゃけ、控えめに言って、音楽作っている人の8〜9割は「問題ない」と答えると思います。もっと言えば「なんでコレが問題になるの?」じゃないかと。
なぜなら、曲の根幹をなす部分のオリジナリティに影響がないから。
長さの問題じゃないんです。例えばベートーヴェンの交響曲第5番。運命と呼ばれるアレ。冒頭のジャジャジャジャーン。アレを使ったら「あっ!あの曲!」となります。
このように、楽曲の印象を決める部分を誰が創作したか。ここを楽曲を作る人たちは問題にします。
なので、自分の過去作であれ、他人の楽曲であれ、曲の印象を決める部分での使用や、引用部分がやたら目立つとかいうケース以外では、たぶん問題にしない人の方が多いと思います、統計をとっていないので個人的な感想ですが。
おそらく、この規定の目的は「ボカコレには新曲で参加してね」というものだと思うのですが、その目的が規定の運用もしくは解釈に生かされていないわけです。何のための規定かという目的抜きに物事の解釈を考えたら、当然変なことになりますよね。
(4)解釈が問題になる場合の基本的な処理ルール
ここまでのことを全部抜きにしても、やはり事務局の方には「ルール」を扱う準備が不足していたと思います。
ルールが定められる時、通常は「ルールを作った人」と「作らなかった人(ルールを守る側)」がいます。
ルールにあいまいな点があって、解釈の仕方がいくつかあるとします。Aという解釈は「ルールを作った人」に有利。Bという解釈は「ルールを作らなかった人」に有利。
さて、この場合、原則として解釈AとBのどちらを採用すべきでしょうか?
答えはBです。
解釈に疑義がある場合は、ルール作成者側の不利な解釈を採用する。これがルールに疑義が生じた場合の原則です(作成者不利の原則)。
考えてみてください。ルールを作った人が悪い人ならどうしますか?
わざと、どうとでも取れるルールを作ります。そうすれば、いつでも「自分にとって都合よく解釈できる」のです。他人を過剰に束縛(支配)したい人、DVをする人、ブラック企業、独裁者などが大好きなやり口です。
自由にルールを作る権限があるわけですから、最初からきちんと明文化しておきなさい。あなたが明文化しないことで、なにか疑義が生じたとしたら、それはあなた(ルールを作った側)の問題もしくは過失でしょ?そんな感じの理屈です。
こうして「疑義が生じたら、ルールを作った側に不利な解釈を」とすることで、ルールを作る側の暴走を防ぐわけです。
あっ、もちろん、解釈は「その条文から読み取れる妥当な範囲」でないとダメですよ。ときどき自分の都合のよいように、文章をねじ曲げて解釈する悪質クレーマーがいますが、ああいうのはダメです。
で、問題の規定は「完全新作」でないと参加できないと書かれています。この場合の「完全新作」とはどういう意味か疑義がある。冒頭の5秒で「完全新作と言えない」という意見と、「いやいや、そりゃ違うでしょ」という意見、どちらもありうる。だったら「参加者有利(作成者不利)に」解釈すべきだったわけです。
記憶違いじゃなければ、YouTubeなどニコニコ以外の場で発表している「自分で歌ったオリジナル曲」があるとします。それをボカロ曲にして(ボーカルを合成音声に差し替えて)ボカコレ参加するのはOKだったかと(間違っていたらごめんなさい)。もしそうなら、ますます「完全新作って何?」「冒頭の5秒でランキング除外って何?」ですよね。
(5)紛争処理の手順の不在
実際には手順(処理フロー)があったのかもしれませんが、そうだとしたら、ますますお粗末でした。
ちょっと話は逸れますが、ここ最近のボカコレというイベントの成長ぶりと、各種メディアへの積極的なアピールは、
「このイベントをメジャーイベントして位置付けたい」
という、会社としての意志を感じます。まじめな話、収益の上がるイベント、少なくとも「ボカコレをやってる会社」ということが、会社のイメージアップや利益にもっと貢献するようにしたい、というのは間違いないと思います。
当たり前の企業活動なので、むしろ「頑張って!」と思っています。
すると「内輪のノリ」ではなく、さまざまな人を巻き込むに足るコンセプト、ルール、運営体制、そして紛争もしくは苦情処理体制が必要になるわけです。
これって、日本のオンラインゲームの業界の成長によく似ています。
スマホとかのゲームって、ある日突然「何十億儲けた!」みたいなことが、過去にはいくらかあったわけです。いまもかもですが。
急激に利用者が増えると、そもそもオンラインゲームの「中の事情や常識」を知らない人も利用しますよね。古参ユーザーや中の人は「そんなん常識!」と思うわけです。でも、常識って「内輪の論理」なんですよ。外から入ってお金払っている人からすると、「常識?いや、それって非常識だから」となるわけです。
そこで苦情が生まれる。
でも、これらのベンチャー企業には、そもそも苦情に対応する体制なんてほとんどなかったんですよ。法務に詳しい人材もいない。ホントに、売り上げが100億円超えるような会社が「法務部?苦情処理?何それ?食えんの?おいしいの?」レベルだった時代がありました。なので、オンラインゲームの草創期には、たぶん各方面からけっこうお叱りを受けたんじゃないですかね?
それと似た感じのことが、今回の事件だと思うんです。
イベントは巨大化。メジャーなイベントととして各方面とコラボできるような、「きちんとした」ものへの脱皮が必要になってきた。
でも、参加者も事務局も、まだ「内輪でわちゃわちゃ」の感覚が抜けきれていない。だから、レギュレーションの公開、解釈問題、紛争処理の一貫したフローなどが十分機能していなかった。
そんな印象を強く受けました。
そうでもなければ、イベントの真っ最中に解釈論でゴタゴタした挙句、タグを外させたり、ランキングからいったん外したり、短期間で「いまのなし!ごめん!」でレギュレーションそのものを変えてしまうなんて、正直あり得ないですからね。
今後の運営体制についての個人的な提言
すでに、同じことが起きないよう、十分に対策を練っているとは思います。それでも、こういう議論や意見の交換は、今後のボカコレというイベントを上手にメジャーにする上で、意義があると思うので、余計なこと(提言っぽいもの)を書きます。
(1)基本理念の確立
ボカコレを今後「開かれた音楽イベント」として確立したいなら、ほどほどにニコニコの「文化」と決別する必要があると思います。
ぶっちゃけ、小学生の子たちがそこそこ安心して聴けるようなイベントにできるかどうかがカギだと思っています。できなきゃ、内輪のイベントのままですね。それはそれでいいのかも知れませんが。
明確でシンプルな理念をいくつか、せいぜい5つまでくらいで、バーンと掲げるといいかと。「子どもを含めたあらゆる人が安心して楽しめるイベントを目指す」とかですね。
後述する紛争解決は「この理念に沿って、レギュレーションの規定を解釈、運用するものとします」とするわけです。これによって「自分勝手で無茶苦茶な解釈」の余地を潰せるという意味もあります。
(2)レギュレーションの明確化と用語の定義
必要なことは言語化する。用語、特に重要な用語は定義を掲載する。
それでも解釈などで問題になりそうな部分は、例を挙げて説明することも必要かも知れません。
非難ではないんですけど、代表の栗田さんが「若い子が、全部細かいことも言語化してくれっていうけど、実社会はそれじゃやってけないよ」的なツイートをなさったことがあります。
このツイート自体は、若い人たちに、実社会で上手に生活してほしいという、あたたかな気持ちで書いたものだと思います。
ただ、ルールやレギュレーションの文脈で考えると、アウトです。
ムラの中ならいいんですよ。みんなでべったりと、朝から晩まで顔を合わせて。全部、なんとなく呼吸というか、顔色や表情見たら、何をどうすべきか分かりますので。
でも、さまざまな背景を持つ、さまざまな人が集まる場所では、それは通じない。
だから、明確なルールを作るわけです。「常識」って言われても、あなたの常識が世界共通ではないですよね?みんなの「常識」がぶつかったら、誰の「常識」が一番優先なんですか?
この「どこにも書いてないけど、偉い人の心にある常識とやらを、周りが探りながら生きる」ってのが、いわゆる「忖度(そんたく)」の世界です。
少なくとも、理屈上は世界中に開かれたイベントでは、内輪や古参の「常識」なんて通用しないわけです。だからこそ、それを参加者全員に理解してもらい守ってもらうには「言語化」しなければならない。そして、言語化されたルールやレギュレーションで明確に禁止されていないことは、「何をやっても自由」ということが保証される必要があります。これを若い世代は求めているわけです。
ちなみに、これは「法治国家」の基本原理ですね。
(3)解釈におけるユーザー(参加者)有利の原則
ルールやレギュレーションに合理的な解釈の余地がある場合は、参加者有利な方向で扱います。
栗田さんのツイートの表現で言うと「グレーゾーンは社員とか生徒とか参加者に有利に解釈する」ということです。完全にグレーゾーンのない規定は作れません。大事なのは「そのグレーゾーンをルール作成者が有利に活用したらダメ」と言うことです。
さらに、ボカコレの直前に「この規定はこういう解釈でやります」言われても、曲を修正することは困難です。なのでレギュレーションについては、たとえば「おおむね開催の1ヶ月前」には解釈も含めて確定。それ以降は変更(および解釈の追加など)はしない、というのも重要だと思います。
(4)紛争処理の手順と人材
開催中に解釈などを巡って疑義や紛争が生じた場合は、誰が、どのような基準で、どのような手順で問題を扱うか、明示することをお勧めします。
基本的には「ランキング除外」の対象になるかどうかが重要なポイントですよね。すると……
ボカコレ期間中であってもランキングから除外するケース
審議に時間が必要なので、事後にランキング除外となるケース
次のボカコレでは禁止事項とするケース
など、取り扱いを変えることも必要でしょう。そうなると、やはり判断基準や手順の確立が必要になるわけです。
で、本当に申し訳ないのですが、この判定をニコニコの担当者だけでするのは非常に心許ない。この手のことに造詣の深い人(著作権などに詳しい弁護士さんとか)に審議委員を構成してもらい、特に重大なケースについては「審議報告」を出してもらった方がいいんじゃないかなと思ったりします。
審議報告には「問題の争点」「関係する規定」「規定の合理的な解釈の幅」「今回の裁定の根拠や話し合いの内容」「裁定」「裁定に基づいて何をどうするか」「今後はどのようにレギュレーションを扱うか」などを記載します。
これがあると「今後は同種の問題が起こらない」ので、判例みたいな意義が出てくるかと。
(5)レギュレーションおよび解釈の変更
最後に、次回に向けたレギュレーションのメンテを行います。
開催中にレギュレーションが変わるなんてのは、あり得ません。不都合でも開催中はレギュレーションは触らず、事後に規制する。そもそも、新しいレギュレーションの効果を遡及させたら、その前のレギュレーションを守っていた人が馬鹿を見ます。ルールを守る人をガッカリさせるって、その後の運営にすごくダメージを与えることなんです。
キツイことを、あえて問題になりそうな表現で言いますが「バカが多いと、どんどん息苦しいイベントになる」ってのは、わたしたち参加者が覚えておいた方がいいことです。
ルールを無視する参加者、抜け道を探そうとする参加者、理念を無視してギリを攻める参加者が増えると、禁止事項がどんどん追加されるわけです。一般に「禁止ルールは失敗の歴史」と考えればいいかと。
今後、レギュレーションがうるさくなったとしたら、それは「バカが増えたんだな」と考えるほかありません(不快な用語の連発を心よりお詫びいたします……)。
今後のボカコレってどうなるんだ問題
個人的には「子どもが安心して視聴できるイベント」っていうラインを引かないと、メジャーにはなり切らないと思います。
「メジャーにする必要はない!」という声は多いでしょうけど、収益上げなきゃニコニコがなくなるんでね。じゃあ、参加費10000円寄越せってなったら、やっぱり大半の参加者は逃げるでしょ?
参加者数が力って面がある以上、参加費とらずに収益を上げる=広告やスポンサー収入などの増加が必要なわけです。
すると「一般の人が注目し視聴するイベント」にせざるを得ない。それって結局「子どもにも安心なイベント」ってことなんですよ。
実際、わたしの知ってる方は「ボカコレ曲などは、先に親のわたしが見て、大丈夫なものだけ子どもに見せる」と言ってます。お嬢さんが小学生なので、正直ニコニコに上がってるボカロ曲の中には「かんべんしてくれ」というものもあると。
今後、そういう曲を「ゾーニング」できるかどうか。ここが分かれ目かなぁと思ったり。
法律で禁止されてはいないものの、少なからぬ人にとって不快であったり、子どもたちの心身の健康に有害な恐れがあるもの。それってどうする?そういうことって、まーまーありますよね。
基本はゾーニングです。
好きな人はそこに行けばいい。いやな人の目には触れないようにする。タバコとか、風俗関係とか、場所が限定されてるでしょ?それそのものの禁止はできないが、ちょっとね……ってヤツは、ゾーニングで対処するのが基本です。
これを発表したら、ものすごい拒否反応が出るんでしょうけど、やらなきゃボカコレが「有力な収益源」にはならないかなと。そこは経営的なことなので、わたしがダラダラ妄想することでもないんですけどね。
結び:ムラからクニになるためのレギュレーション
顔色をうかがってもらえる権力者や、仲間内のノリで新参者を排除したい人にとっては、ルールやレギュレーションの明文化ではなく、「常識」の方が都合がいいです。
ムラの論理です。
しかし、あらゆる人が入り混じり、規模を拡大させ、それでも秩序を保とうと思えば、ルールやレギュレーションの明文化が必要です。まあ、ムラの掟は不文律(常識や空気)で、クニの掟は法律だと考えたら良さげです。
このあたりの感覚は、わたしも含めた日本人の弱いところなので、気をつけたいところです。
ボカコレでは「ネタ曲」の扱いについて「俺らガチ曲勢としては、ネタ曲が上位に来るのが目障り」的な敵意みたいなものが感じられます。でも、そもそもコレも「めっちゃズレてんなぁ、おい」なのですよ。
レギュレーション違反でない限り自由。しかも「あなた方は事務局でも主催者でもない、ただの参加者じゃないですか。何様?」なわけです。わざわざ敵を作るような不用意な文章を書きましたよっと。
で、まとめると
基本理念を再考して明確に掲げよう。
レギュレーション(および重要用語)はできるだけ疑義を生まない表現で明文化しよう。
解釈に疑義がある場合は作成者不利の原則で処理しよう。
紛争解決のための「この手のことがわかる人材」を用意しよう
参加者は事務局に協力的でいよう。
みたいな感じで。
今後のボカコレがどういう方向になるのか。もしくはなるべきなのか。いろんな人の意見をぶつけて、いい方向に進めばうれしいなと思っています。
最後に。けっこうキツイ表現でキツイことを書きましたが、正直言うとボカコレの運営(事務局)のみなさんには感謝しています。苦労も多いだろうし、わたしたちが見えないところで、いろんなせめぎ合いもあるんだろうな、とか。
でも、それはそれとして、やっぱり「土台」となる部分を頑丈に作らないと、建物を大きくした途端に倒壊しますよね。それで、このレギュレーション問題については、しっかりと手を入れて、今後の基礎を築いてもらえたらなと思った次第です。
もしかすると、お読みいただいたみなさん、もしくは当事者だったに不快な思いをさせたかもしれません。その点については、心よりお詫び申し上げます。