20241109 最後のお茶
今日、峙(sowa)の閉店時間である16:00が近くなって、帰る準備をしていたら、蔵王堂でアンケート収集のお仕事をされているKさんがやってきた。今日は17:00から、蔵王堂の夜間拝観のチケットの販売のお仕事があるらしい。それまで時間があるから、お茶でもしませんかとお誘いいただいた。
実はKさんとわたしは、偶然帰りが一緒だった時から仲良くなり、気づけば行きも帰りも同じ電車なので、一緒に山道を登り下りし、電車でもおしゃべりする中なのだ。
Kさんもわたしも、ずっと行きたかったカフェが帰り道にあって、ちょっとお高いけれど、行ってみませんかとのこと。ケーキセットの値段も覚えてきて教えてくれた。そういう細やかな心遣いをされる方なのだ。わたしはふたつ返事でOKした。
金峰山寺の本坊に鍵と金庫を返していつものところへ行くと、Kさんがお団子を買って待っていた。聞けば、Kさんのシフトとわたしのシフトが合う日は今日で最後だった。淋しいね、と言いながらも、カフェのオシャレな内装に興奮しながら注文をする。2人とも、吉野柿のタルトを選んだ。Kさんはホットコーヒー、わたしは四季の紅茶を頼んだ。
タルトは柿まるまる一個使っているのではというほど大きかった。四季の紅茶はマリーゴールドの華やかさとパイナップルの甘い香りが、仕事終わりの心を開放感に満ちた華やかな気持ちにしてくれた。
話しているうちに、今日が夜間拝観の日なら、わたしも見てみたいなと思いだした。
金峰山寺蔵王堂の夜間拝観は、春と秋の季節に、普段は開かれていない夜の蔵王権現さまを拝観できる。吉野の照明で有名なあかり工房さんの灯籠で浮かび上がる蔵王権現さまは、厳かで神秘的だという。見てみたい。先にお店を出たKさんを見送って、帰ってやるはずだった仕事をどうするか少し悩んだ。けれどその時点で既に、帰るつもりはなかった。思えば峙(sowa)で働き出してから、蔵王権現さまをきちんと拝観していない。夜間拝観は18:00から。あと少し、お店でゆっくりして、蔵王権現さまを見て帰ろうと思った。
夜の吉野山は昼にも増して神秘的だ。闇の向こうに暗い山かげが浮かび上がって、はっと我に帰る。ここはどこだ、と自分に問い掛けたくなる。世界を炭で塗り潰したように風景が消えて、異界に迷い込んだような、人以外の何者かの気配を感じる。
蔵王堂から光線が伸びていた。吉野大峯世界遺産20周年記念のART FESの展示作品の一つだ。光線の色が綺麗で、子どものころ好きだった色だ。星のような光。あの頃のわたしならいつまでも見ていたかもしれない。
そして、蔵王堂に入らせていただいた。半年ぶりに拝む蔵王権現さま。「やっと、お会いできましたね」と心の中でつぶやいた。初めて拝観した時、美しくも恐ろしかった蔵王権現さまは、灯籠の灯りによっていっそう鮮やかに照らされた青いお身体で、薄闇に浮かび上がっていた。もう恐ろしくはなかった。感謝が自然と心に湧いてくる。ありがとうございます。
帰りの山道は、電灯がところどころに点いてはいるものの、闇と静寂の中をひとり歩くのは怖かった。人が居なくなり、人以外の存在の、気配が強まる。畏れとは、このことか。神さまの世界。あの世の入り口。役行者さんは、自然の恐ろしさを桜の木に彫ったのかもしれない。駅の灯りが見えてほっとした。普段は都会ぎらいで自然が好きなわたしだけれど、人と文明は、同じ人の味方なのだと改めて知る。
また、吉野で生まれ育ったあかり工房の坂本さんの、あかりに対する思いを想像する。心細い暗闇に、小さな灯りを見つけた時の、心にも灯る温もり。
無事吉野駅に着いて電車に乗る。電車はありがたい。わたしが吉野へ通えるのもこの電車のおかげ。けれど、山を開いて大きな音で走る電車は、さっきまでの静寂に比べると落ち着かない。あんなに恐ろしかった静寂が、あたりまえのような気がして、ふたたび我に返ったら、文明はすでにトゥーマッチな気がするのだ。それでもわたしは文明なくして生きてはいけない。そのジレンマに、いつか答えは見出せるだろうか。