幼少期に大人を信用できなかったADHD(1/3)
はじめに
こんにちは。私は、幼少期に大人を信用できませんでした。
そのことが、これまでの苦しみの一因であったのではないかと感じるようになりました。
今日はこのことについて、整理しようと思います。
誰も俺を理解してくれなかった
これまで、私のことを理解してくれる大人はいませんでした。
今となっては、大人が私を理解できなかった理由を説明することができます。というのも、私は人と異なるパラメーターを複数持っているからです。
①かなりのADHD。「未知」とか「新規」を浴びるのが何よりも快感。頭の中で常にぐるぐる思考がめぐっている
②知能指数が高い。言語性IQ141,動作性IQ119,全検査IQ134(WAIS-Ⅲ)。「こちらが思考速度を落としている」と感じることが多い。
このように、私は結構変な人間です。
ですので、第三者が私のことを理解するのは極めて難しいと感じます。ADHDの特性を理解しており、かつ私と同水準の思考の早さや深さがないと、私を理解することは難しいのでしょう。(奢ってると言われるかもしれませんがそういうことが言いたいわけではなく…)
自分と異なる人間のことを理解するのは、大人であっても難しいと思います。良き理解者に恵まれなかったのも、仕方がないことでしょう。
近況
今かかっている心療内科の先生が、私のことを理解(了解?)してくれた初めての大人となります。初診は2022年末です。それまでは、本当に孤独でした。頼れる人がいないので、全てを自分でなんとかするしかなかったのです。
最近は、自己理解と受容が進みました。その結果、これまでと同じような生き方をする必要はなくなりました。
これからの人生は、信頼できる人にあらかじめ自分の特性を開示して、理解や配慮を受けながら過ごすことになると感じます。専門家にも積極的に頼っていこうと思います。似たような特性の友人も多数できたので、依存し過ぎない程度に相互扶助していきます。
これまでに比べればだいぶ楽な道が整備されつつあります。ポジティブに捉えると、人生の難易度はちょっと下がった気がします。がんばるます。
感情
ちょっとだけ感情を爆発させてください
しんどい くるしい 寂しい なんで全部自分で攻略法を見つけないといけないの なんでみんなは親から精神的援助を受けられてるの 「孤独」というわけではないが、ずっと寂寞感に苛まれ続けている もっと理解してほしかった もっと早くに自分を説明できてたらよかったのかな でもそれができるほど頭よくなかった ごめんなさい(←ここごくちゅう日記っぽい)
もう疲れた 何で自分だけこんな思いをしないといけないんだ やり場のない怒り 怒りをぶつける対象がいればどれだけ楽だろうか 暖簾に腕押し 糠に釘 怒りを生み出すエネルギーがもったいない 前に進むしかない 燃費よく行こう
友人に恵まれた だから寂しくはないよ でも最後は自分でやるしかない あ~あ しんどいよ
おわりに
このテーマに向き合うのは非常に苦しいです。自分の不遇さを直視する度に、魂が削れていく感覚があります。
ですが、このテーマはもう少し深堀りしていく必要があります。どこかでやらないといけない話だからね。がんばりますよ~
次回、家庭環境編
次々回、学校・友人編