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春分 第十一候 桜始開

この春分次候、さくらはじめてひらくのままに、日本の桜の便りが届くようになりました。桜は、好きな花の一つですが、それはどこか蕩尽的なものぐるおしさがあるからに他なりません。
だから坂口安吾の小説「桜の森の満開の下」は好きだし、あたりに光の雲が満ちているような淡い桜色が咲き誇るさまも、狂おしい散り際が好きなのです。
とはいえ、あの一斉に咲く理由が、ソメイヨシノは一本の木を祖とするクローンだからだと知ると、ちょっとぞっとしませんし、全体主義の暗い印象もないわけではなく、なにか腐臭のようなものに気づいてしまった心地がして、桜でもあの一斉に咲く桜を手放しに好きとは言いがたく嫌悪を感じることさえあります。

北タイで桜といえば野生の桜、ヒマラヤザクラ。
開花期はその年にもよりますが、大体12月から2月の末か3月の上旬にかけて。地域によってその時間差はもちろんありますが、思いかえせば同じ地域に生える桜でも咲く時期は微妙異なり、花の色も違ったり、同じヒマラヤザクラといえどもその中でも微妙に種類も性質も異なり、それぞれが伸び伸びとその場所の微細な気象に合わせて咲いている気がします。

ヒマラヤザクラ


思い返せば、和歌に現れる桜も西行法師春死なんと焦がれた桜も、ソメイヨシノではなく、日本の野生のヤマザクラの一族。
どちらも山を登り、涼しい空気と透明な光の中で、そっと会いにいくのがふさわしい、ともすれば人などいない中で、そこだけ光り輝いているように咲いている孤高さの方がふさわしいような桜。
そんな風雅な人々が焦がれた桜の花の系譜を振り返ると、個人的にはこれら山中の桜の方が好ましく思えます。
とはいえ、チェンマイの奥山の桜は、もう来年までおあずけですが、何につけ落ち着かない今、胸中に花を思うのも悪くない気がするこの頃です。

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