大暑 第三十五候 土潤溽暑
大暑 第三十五候は、土潤溽暑。つちうるおうてむしあつし。
期間は 7/28~8/1まで。
2011年のタイ全土が大洪水に見舞われた年以降、チェンマイの雨季はながらく雨が少なめです。
以前は日々繰り返されるスコールに、土はいつの間にかぬかるんで、街を通り抜けていく大きな河、ピン河の水もいつの間にか増水して、橋脚は半分くらい水の中になっているのが常で、それを超えるほどの雨がふり始め、河沿いの遊歩道やそこに植えられた木が水に浸かりはじめたら、人は洪水に気をつけるようにする。そんな雨の降り方が雨季の常でした。
けれどここ数年のピン河は、橋脚の土台さえ水に隠れるほど水かさが増したことがありません。
タイとラオスやミャンマーとの国境を流れるメコン河も、数年来の小雨に加え、ダムの作りすぎで雨季になっても船が通れる水深にならなかったり、河床が露出したままの場所もあると聞きます。
今年は去年や一昨年よりは気温は低くなり、雨も降っているのですが、それでもやはり橋脚の土台は見えたまま。
洪水を望んでいるわけではありませんが、あの、土をたっぷりと抱えこみ、時には大きな木や布袋葵や水蓮をまるごと根こそぎにしたものさえ攫い、うるうると勢いに満ちて盛り上がりうねる茶色い水の奔流は、いかにも雨季の大気が天地をめぐり、海と陸を往き来する、自然の息吹と生命力の勢いを象徴するようで篤く、見ているだけでお腹の奥底からうわあ!と声をあげて飛び跳ねたくなる風景でした。
世界のいたるところで熱波と山火事が起き、蒸し暑く薄暗い雲は通り過ぎていくのに、タイの空に生じる積乱雲は小さくなり、一方で日本のような山国ではその急峻な地形にふさわしくない大雨が降るようになり、そのアンバランスは地球がなんとか呼吸を続けようと精一杯の身悶えをしているようで、けれどそれも力尽き、風が、自然の呼吸が止まってしまう日が来るのではないだろうか。乾いて剥き出しの橋脚の土台を見ていると、そんな不安がふと兆してしまいます。
そして、今はバンコクとその周辺の止まらない感染拡大とロックダウンを受けて、また、毎日50名前後の新規感染者が見つかっているチェンマイも学校が8月末まで休校になったり、人が集まることが禁じられるなどし、日常は続いているといいながらも、身を低くし、息を潜めているような気持ちがつきまとう日々。
それが天から注ぐ水なのか、内側より組み上げるべき水なのかはわかりませんが(あるいはその両方?)、何か、自然も人も深く芯から静かに満ちて澄んでいくような水が欲しい。
そんな気がする大暑次候土潤溽暑でした。