穀雨 第十七候 霜止出苗
先月半ばから広がったCOVID-19の第三波、海外からの観光客は居なくなったとはいえ人の行き来が多いチェンマイは、バンコクやその周辺に次いで感染者数が多いという事態になり、この頃(4/25~4/29)は県境をこえての移動の制限やマスク着用の義務化など、このパンデミックが始まった頃よりも深刻な空気に街は包まれてしまいました。
そんな、どこか硬直しそれでいて焦燥感が漂うような人の様子と裏腹に、前の週の雨のおかげで霜止むはないものの、緑の勢いはいよいよ盛んでした。
庭の水場は、強い日差しのおかげでこまめにタイルを磨いたりフィルターを掃除しないと、緑の沼のようになってしまいますし、雨水を吸った芝生は水道水を撒いていた時とは桁違いにもくもくと芽の密度を膨らめるので、毎日近所のどこかの家から芝刈り機の音が聞こえてきて(もちろんわが家も)、植物たち天水を貪食し、繁茂していくさまを目の当たりにしていると、
「水は光。」
そんな言葉がふと思い浮かんだりします。
おりしも苗いずるの言葉どおり、芽吹きの時なので、緑は明るい若葉色。光に透けてその色は眩しく輝くようで、そんなイメージが実感としてせまってくるようです。
眩しく、あと少しでその高度が天頂、90度に至りそうな太陽の下で朝から始めた芝刈りがやっと終わる頃には、暑さとほとんど影がない庭の眩しさで少し酩酊するような感覚になり、何かでひんやり喉を潤したい。と、まずはジャスミンを浮かべた水を飲んで一息。すっと喉がジャスミンの香りになり、体が香炉になったかのよう。銀色の光の粒子が目の周りを漂うようです。花も光です。
そして口にした大きなポメローの実のひと房。
淡い黄色を噛むと、たっぷりの甘酸っぱい水気と、鼻をすんと鳴らして目元をすっと細めたくなる、少し松ヤニの香りもするようなレモンより優しい芳香が口の中に広がり、嚥下とともに熱っぽかった口腔から喉、胸からお腹へと、体が水のように透明になり少し光を放つ感覚が広がりました。
今の季節は、果物の季節の始まりで、殊にポメローが美味しい季節ですが、花は無論のこと、果物もやはり光をはらむ水の塊であったようです。