「スパンコールのかさぶた」抱えながら生きる私とあなたへ 〜ADO「ギラギラ」を踊って〜
心の根っこに刺さって共鳴してどうしようもない曲って、
誰にでもあるかと思います。
私にとって、ADOさんの「ギラギラ」という曲がその一つです。
この曲を先日のハフラにて踊らせていただきました。
どこがそんなに刺さって共鳴したのかというと、
この歌の「私」が、コンプレックスを抱えながら傷つきながらも、
前を向いて自分らしく生きていこうとする姿、
そして愛し愛されたいと強く願いながら、
そんなことは無理だと諦めている歌詞の裏に、
実は一番求めているのは、自分自身を愛し、自分自身に愛される、
ことなのではないかというところでした。
この歌詞で直接的に語られるコンプレックスは、顔の話ですが、
これは、外見的なコンプレックスだけではなく、
才能のコンプレックス、
性格のコンプレックス、
人それぞれのコンプレックスが当てはまると感じます。
そのコンプレックスは、自分からすると、
まるで他人全員からそう見られて、
憐れまれているとまで勘違いしてしまうこともあるのですが、
実は、一番気にして、縛られて、憐んでいるのは
自分自身、だったりするのではないかと。
過去に、
何気なく言われたことだったり、
時には、他人の心ない悪意の言動によって、
心に傷が生まれ、
それを自分で癒せずに、自分自身を好きになれないこともあるものですが、
それでも、この曲の「私」は、折れずに、
思い通りに行かずに自分を傷つけるこの世界と自分自身に、
負けるもんかとギラギラと青い炎を燃やし、
派手に武装したスパンコールのかさぶたで自分を守ろうとしています。
その強さは、まだ傷が癒え切れていない彼女に取っては、今は必要で、
確かに彼女を奮い立たせてくれる大事なものです。
「あいつにだけは負けたくない」とか、
「あいつらを見返してやりたい」と言った、
負の感情を原動力にした力は、時に何よりも勝るほど強いものです。
でも、それでは自分の中も同時に燃やし尽くしてしまいかねない。
負の感情はそれほど毒性も持つものだと私は思います。
負の感情を餌とした青い炎の、そのさきに彼女が本当に必要なものは、
肩の力を抜いて、やがて癒える傷の派手なかさぶたをそっと取って、
いつの間にか自分自身で縛り付けていたコンプレックスから解放されて、
ただ、自分自身ありのままを愛しんで抱きしめてあげることだと
この曲と向き合う中、気づきました。
今回この曲を踊るにあたり、
この曲の中「私」にどれだけ没入できるかを考えて
踊りました。
私自身も、そして多くの人が断片的には経験したことのある、
心の傷、
それを抱えながら戦う苦しさ、
思い通りに行かないやるせなさ、
詮ないことを望んでしまう切なさ、
そういったものを少しでも表現できていたらと
思いました。
と同時に、この曲の中では彼女は本当の意味で
癒されることなく終わります。
なので、ここからは私の中だけの希望として
抱いたものなのですが、
青い炎をちらつかせて、
ギラギラと強く生きようとすることでしか
自分の身を守ることのできない彼女が、
いつかこの先、傷が癒えてきた頃、
本当に癒される日が来ますように、と
自分自身で自分を愛することができますように、と
暗転する舞台の中、
そっと
かつての自分のために、
そしてきっとこの世のどこかで同じ思いで苦しんでいる人たちに、
祈って、踊り終えました。
誰かお一人にでも、何かが届いていたら、そう願いつつ、
踊らせていただいたこと、改めて感謝でしかありません。
実は、ハフラのショーケース動画は、オンライン観覧は5月末日までご覧いただけます。
私の演目もこんな思いを込めて踊ったので、もしみていただけたらとてもとても嬉しいです。
個性あふれる他の5人の合格者リアスターズの皆さんの踊りも素敵ですし、世界大会でも優勝歴を何度も持つ師匠Rhiaさんの、踊りも堪能できるので、必見です。今回はスペシャルゲストの生演奏とRhiaさんとの共演もありましたので、是非是非ご興味ある方はご覧ください。
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