沖縄国頭郡今帰仁村 創作帳#001
表現者なら一度は滞在制作を夢みる場所ー琉球王国w!
上陸真近!
明日(2019年5月23日)より最大6ヶ月を目処に国頭郡沖縄県今帰仁村にて住み、働き、食べ、創作するときを過ごそうとただいま移動中。今、高速バスの中です。プチ移住道具や必要機材は、現地へ今朝送り、いよいよ自分を現地へ配送中w。今回の創作主題は、ずばり、際(きわ)です。今帰仁村は、19の集落から出来ていて各々の生活文化、祭り儀礼等、独自のあり方を保ちながらお互いの暮らしにみられる風習を継続しています。わたしは、村の際/境目に立ち寄り隣接する集落の関係性に触れ、そこから生み出される際を表現しようとおもお。
【村の魅力】19の集落を形成するようになるまでには各字の合併、分割、または他地域からの寄留、移村が繰り返されている。海に隣接していない集落もあるが、港もあるため外国との関係性も村の歴史の中に残っている。その中でも魅力的に感じられる点は、地域が合併した後でも祭りのあり方や風習は、比較的融合されずに独自の行ない方で継続されている点である。
勝手ながら、推測すると「これって場所や移動が行なわれたとしても村のアイデンティティを祭りなどの風習を介して感じたり、保ったりしているのかな。。。」村の祭り、とは移村者や分割、寄留者にとってどんな存在なのだろうか、と思いを馳せるようになった。
小さな風習の異なりが隣接するなかで、独自の祭りを継続した理由は、 なんだろう。
住む場所を移動したり、分割したりしながらも祭りの風習を変えぬ理由は、なんだろう。
村民の知恵と欲求を突き止めたい!
と言う訳で滞在制作開始します。
後々、レポートするのでみてね。
2019年5月20日 17:23 名古屋付近通過中にて
MEMO
What is Kiwa in 今帰仁村?
There are 19 villages in 今帰仁村…Lets' see what kind of KIWA exists among those villages.
Maps of 今帰仁村
https://www.nakijin.jp/material/images/group/3/52_2.jpg
隣接する集落の関係性調査
What is common and difference
上運天→フランス艦艇1ヶ月停泊、オランダ墓あり
渡喜仁→昭和15年に勢理客・仲宗根・運天・上運天の一部を割いて分字、首里や那覇、久米して形成されたヤーデュイ集落あり(海岸沿い北側)
崎山→茅葺きの神ハサギは崎山だけである(村指定)、スイカ栽培盛ん、かつて戦後清浄野菜米軍に出荷
中尾次→古くは中城と記、近世中頃(18世紀)になると仲尾次と表記されるようになる。移動してきた村。もとの場所は平敷地番のスーガー御嶽(ウタキ)付近
気づき:
①舞台、松の木の前におこなう。この習わしは、どこから?能?能の方が影響?どっち?
②ひとつの集落、字に神ハサギあり
③合併(玉城、諸志、今泊)、分割(呉我山、謝名、越地、渡喜仁)→字へ、寄留、移村(天底、仲尾路、渡喜仁)が各地にみられる * 9/19がなにかしら合併、分割、移村している
④村は合併しても祭りは融合されず、各々のやり方、風習を保持する
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