「普通」の幻想

「手放す」で思い浮かんだのは
「普通」になること。
ただ考えてみても、いつからか?
何か一つの出来事が転機になって?
というのは分からない。

最近ようやく心の整理がついたのか
口にできるようになってきたのですが
私は高校生の時、不登校になってしまいました。

行きたい気持ちはあるつもりでしたが
身体が動かず、行けない
いろいろあって荒療治で海外留学で
オーストラリアへ。

1年頑張って学校に通っていたら
日本でも大丈夫な気がして
(他にも要因はあったのですが)
戻り、やっぱり馴染めなくて…
逃げるようにアメリカに渡りました。

短大に行っていた時、できるだけ単位を詰め込み
春に卒業できるように計算していたのは
4年制大学からは日本に戻れる?
と心のどこかで願っていたからだと思います。

手続きなどで挫折し、アメリカで進学させてもらい卒業。帰国しましたが、バイトをしながら劇団に入る、という生活を選びました。

自分で選びながらも
「普通」から外れている自分が
悪いことをしているような
不安や居心地の悪さを感じていました。
また「普通」でいられない自分に
劣等感のようなものも抱いていました。

でもいろんな人がいて
人の数だけいろんな生き方があることを知ったこと。そして近年、さまざまな働き方が増えていっているのも後押しになってか、「普通」ってないのかもしれない。そんなことにこだわらなくてもいいのかもしれない。そうい思えるようになってきた気がします。

どこにもない「普通」を目指して
自分を押し込めようとしないと
身軽になった気がします。

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