俺は海になりたい
俺がなりたいものになるために必要な自分の強度が足りない。いや、強度のせいにしている。俺はずっと自分のせいにしている。それでいて自分が自分であることを誰よりも認識していない。
俺は海を見る度に思う。ゆっくりと足で砂の感覚を味わいながら海に埋もれていく。脛、腰、胸、口、鼻、目、頭のてっぺんまで浸かっていく。呼吸はできないが苦しくは無い。ゆっくりと自分の枠が壊れていく。馴染んでいく。そうして俺はでっかい海になる。とても穏やかな気持ちになる。自分の中を魚達が泳ぎ、子供たちがはしゃぐ。海は俺になる。こんなことを考えているとカモメが啼いて現実に引き戻される、日光で肌がヒリヒリと焼けている。汗もたくさんかいたしお風呂に入りたいと思って家に帰る。この一連の行動に私は介入しない。したくない。ずっとこうしていたい。でもこの気持ちがずっと自分の強度を下げている気がする。いや、上げているのかもしれない。そもそも強度ってなんだ。俺がなりたいものになるために必要な強度って必要か?なりたいものになってどうするんだ。なりたいもの完全コピーになってどうするんだ。望んでそうなったとしてそれは俺か?
俺はわがままだからなりたいものが沢山ある。面白いことを言えるようになってみんなを笑顔にしたいし、全員がハッと気付かされて泣くような文章が書きたいし、みんなが溶けて消えるような音楽を歌いたい。でも何も出来ない。私に出来るのは私がそう思うことで自分を元気付けることだけ。
私は海のようになりたい。海はあらゆるものを与えてくれる。でもそれは押し付けじゃなくて、その人が求めてるものを与えてくれる。とても優しくて冷たい。私がいてもいなくてもどうでもいいと思いつつも、私に何かを与えてくれる。
お前も俺と一緒に海を目指さないか?
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