清く・正しく・稼ぐ
おはようございます。
社会福祉士×ダウン症児パパのTadaです。
Tadaのイントネーションは美化と一緒です。
小噺です
少し前に書いた
次のプロジェクトになりそうなもの
どうやら一歩前進したようだ。
下の記事の小噺で書いてます。本題も結構好きなのでよかったら読んでください。
そのプロジェクトは音声配信に関するもので、僕のような音声配信初心者を加えてくれそうな感じ。プロジェクト元がちょい大きめの会社なのでちょっとだけ産まれたての子鹿モードな僕がいる。
が、そこは持ち前のお気楽スピリットで
ドカドカと進んでいこうではないか。
時々耳にする
「恥ずかしかったりしない?」
うん、確かに恥ずかしい。
僕のnoteを読んでいただいてる皆様に僕がどう映っているかはわからないけど、実は僕は陽気な引きこもり気質なのだ。
何もしないなら何もせずに過ごしたい
誰かがやってくれるから誰かに任せたい
家が大好きであまり外出したくない
などなど言い出したらキリがないくらい消極的で無気力。
ただ、未来において自分や大切な人たちが幸せに暮らせる社会に近づくためならその労力は惜しまない、というか労力とカウントしていない。そこらへんちょっとバグっているのだ。
そんなわけで
Podcast始めてますのでよかったら
フォローして聞いてやってください
よかったら拡散してやってください
クオリティ?後からついてきますのでご容赦を
さて本題
清貧
この言葉を履き違えている人が多い気がする。
これに対して、
この文字を読んだそこそこの人数はどこかで
「貧乏な人は心が清らかだ」と捉え
↓
「心が清らかだと貧乏であるべき」
↓
「お金持ちは汚い心の人」
↓
「お金は汚い」
↓
「お金儲けは汚い」
と変換されてはいないだろうか?
そんなことどこにも書いてない。
海外は知らないけど、多くの日本人はそういう価値観を意識的に植え付けれたのかもしれない(陰謀論的な考えにはなるけど「ありえる」と個人的には思っている)。
多くを求めず、清らかな心を持って過ごした結果、貧乏であることを受け入れている。
と僕は捉えている。
これ自体は素晴らしい。
しかし、先日の記事でも書いたのだが
僕は資本主義社会においてお金は
誰かの役に立つ対価
だと考えている。
なので
究極の清貧というものがあるのだとすれば、
清く正しく
めちゃくちゃ稼いで
それを自分以外に還元していく
ことだと思っている。
実際にお金がないと救えない人はたくさんいる。
自分が清く正しくして結果稼げず貧しいことも誰に迷惑をかけるわけでもないから悪いことではない。
しかし清く正しくしてしっかり稼ぎ自分以外に還元できることが出来ればこれ以上はないんじゃなかろうか。
「じゃあ僕が清く正しく稼いでいきます!」
と宣言したいわけではない。
小噺でも書いたように僕の本質は陽気な引きこもりだ。
ただ少しでも大切な人たちの未来に繋がるなら
やれる範囲では頑張るし、この投稿を見て
清く正しく稼ごう!
と思って動き始めてくれる人がひとりでもいたら最高だ。
おわり。