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タイはいつだって最高。その始まりは、あまりにも偶然。そして、今思えば必然だったのかも知れない。
ネパールを目指して軽い気持ちで立ち寄ったバンコク。
単なるトランジットの予定が…
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#タイ語
1995 タイ -6-
流石に、好きな女性に告白がしたいからタイ語を教えて欲しいとは、誰にも言えないが、私がタイ語を教えて欲しがっているということは即座に伝わり、バンガローのスタッフは子供用のタイ語テキストを買ってきてくれた。
それ以外に私の手元にあったのは、いわゆる旅行ガイド。その巻末に、オマケ程度についていた会話集は、ハッキリ言えば使い物にならない。そもそも、タイ語を日本語で表記することは不可能なのだ。と言うことす
1995 タイ -15-
流石にサムイ島でのタイ語修行生活も飽きが来るものだ。私は更に歩みを進め、パンガン島という隣の島を目指すことにしたが、数日であえなく退散する事に。
パンガン島へは船で渡った。到着後、恐らく港で宿を決めて、ピックアップトラックに乗せられて移動したはずだが、その道中の悪路たるやとんでも無い。サムイ島に比べて道のアップダウンが激しいせいだ。
これは大変なところに来たもんだ。到着早々この先が思いやられた
1995 タイ -16-
インターネットがない時代の海外旅行というと、情報源は「地球の歩き方」あるいはJTBから発刊されていた「るるぶ」では無かったかと記憶する。
私はその両方を手にネパールを目指していたが、タイで主に使ったのは後者の本であった。巻末の会話集が唯一の私の拠り所となっていた。 やはり、現地行って情報を入手するのが確実で、言葉がそのツールだからだ。
カタカナ表記のタイ語は、糞(最近は糞の話ばかりで申し訳ない