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エジプトの犠牲祭~ある家族との記録~
今年の犠牲祭は、6月16日の日曜日に始まった。
これはヒジュラ暦ズールヒッジャ月(巡礼月)の10日目にあたり、メッカ巡礼の完了を記念して犠牲獣が屠られる。
神への信仰心と服従を示すため、預言者イブラーヒーム(アブラハム)が、愛する息子を供犠にしようとしたところ、アッラーが彼らの信仰心を認め、大天使ジブリール(ガブリエル)と身代わりの子羊を遣わし、息子の命を救ったというクルアーンの伝承(37章:102-107節)に基づく宗教行事である。
(大塚和夫「祭り」『岩波イスラーム辞典』)
注意:この記事では、最後の章に屠畜の様子を載せています。
屠った瞬間のものは載せていませんが、肉の解体や肉屋の軒先の様子を載せているので、苦手な人は最後の章を飛ばしてください。
また、本文中にそういう写真は載せていませんが、屠畜の描写があるため、苦手な方はご注意ください。
イード・アル=アドハーの朝
イードの日の礼拝は、ほとんどのムスリムがモスクやその近くの広場に集まって行う。
朝早く、眠かったので見には行かなかったが、近所のモスクからタクビール(「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)」と唱えること)とアザーンが流れ、礼拝が始まってからもスピーカーを通じてタクビールとフトバ(説教)が聞こえた。
家の近所には3軒のモスク(うち2軒はすぐ隣)があるため、かなりの大音量で聞こえる。寝るに寝られなかったので、珍しく早起きをして、礼拝後のスークの様子を見に行くことにした。
イードの街中
犠牲祭の1日目は礼拝が終わり次第、肉屋などで屠畜が始まる。
それを見に行こうと思い、庶民街のスークへ向かう途中、珍しく静かな街を新鮮な気持ちで歩いた。
礼拝後に朝ごはんを食べたり、家に帰ったりする人たちはいるが、バスも車も走っているのはわずか。
いつもは路駐車でいっぱいの道路も、今日は全然車がないので、驚くほど道路が広く見える。
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庶民街の肉屋
ダウンタウンの私が住んでいるエリアには、肉屋がほとんどないため、少し歩いてズウェイラ門を入ったところにある街区まで見に行った。
狭い路地を入っていくと、あちこちの空き地に羊や牛が繋がれ、出番を待っている。
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挨拶をしながら写真を撮っていたら「ここで何してるの?」と声をかけられた。
「犠牲祭の様子を見たいんだけど。できれば屠っているところを見学させてほしい。」と頼んでみると、近くにある肉屋を教えてもらった。
そちらへ行ってみると、既に屠られた羊が吊り下げられ、解体が行われている。
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ここでも「屠っているところを見せてもらえないか」と聞いてみると、「これから牛を屠る家族がいるから、彼らと一緒に見たらいい」と言われた。
肉屋の職人らしき男性に案内してもらい、その家族と引き合わせてもらう。
最初こそ「でも中国人でしょ、言葉分からないし・・・」と言われたが、肉屋が「こいつは日本人だがアラビア語が話せるから」と説得してくれ、その家族も快く受け入れてくれた。
牛を買った家族は3世帯くらいの親族同士で来ていて、男性陣が到着するのを待っているところだった。子供たちを周りで遊ばせながら、お喋りに華を咲かせている。
イード・アル=フィトル(ラマダーン明けのイード)の時ほどではないが、大人たちはやはりオシャレをしており、綺麗なガラベーヤを着ていた。
そのうち、「どこから来たの?エジプトで何をしているの?」「どうして犠牲祭を見に来たの?」という質問タイムになる。
「日本人で、こっちでアラビア語の勉強をしながら、エジプトの歴史を研究している。イスラームにも関心があるから、こういうときに色々見て勉強している。」と答えると、そうなんだー、よく来たねと一時盛り上がった。
男性陣はなかなか到着せず、2時間ほど待ったころだろうか、ようやく人が集まり始めた。
もう一度自己紹介をして、「いいよいいよ、見ていきなよ」と許可をもらう。
しばらくすると、いよいよガレージに繋がれていた牛が建物の中に連れてこられた。
ところで、カイロでは数年前から、犠牲祭のときに路上で屠畜したり、政府公認の肉屋・屠畜業者以外が屠畜したりすると、罰金が科されるようになった。衛生上の懸念から、ということらしい。
そのため、ダウンタウンなどの町中では普通、屠っているところは見られない。
この日私が行った場所でも、肉屋の周りの地面には屠畜のあとが見えるものの、牛のような大きな動物は、肉屋の近くにある建物の玄関ホールで屠畜が行われていた。
後日、他の院生に聞いてみたところ、ドッキ(ナイル西岸)や、ザマーレクでは、ガレージなどで羊が飼われ、朝からその中で屠畜が行われていたという。
犠牲を捧げる
とある家族の犠牲祭
ちょっと狭いように思える場所へ、男性たちが5、6人がかりで抑えながら牛を連れてきた。その周りに更に男性たちが輪を作ってやいのやいの言っている。
屠畜を依頼した家族たちは、男性も女性もそれを見守りながら、タクビールを始めた。
いざ牛が運び込まれ、暴れないように縄が掛けられると、いよいよ緊迫した空気に満ちてくる。
かなり大きい牛で、蹴られたり踏まれたりしたら大けがに繋がる。
そこ気をつけろ!しっかり押さえていろ!などと叫び合いながら、ナイフやフックなどが持ち込まれ、さて誰が屠るんだと騒ぎになった。
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輪の周りは、屠る家族の中でも若い男性たちと肉屋。その奥にはそれを見守っている人たち。
牛が横倒しにされ、動かないように抑えながらいよいよ屠ろうとしたとき、何やら騒がしくなり、場は一時騒然とした。
人を探しているのか、何かを確認しているのか、皆が怒鳴りあっているので何が起こっているのか全く分からない。
周りで見ていた家族も何やら慌てている。
屠りかけていたのを中断して(ちょっと血が出ていた)、皆がもう一頭の牛が繋がれているガレージへどやどやと行ってしまった。
どうやら、繋がれていた2頭の牛のうち、その家族が買ったのとは違う方を連れてきてしまったのではないかと騒ぎになっているらしい。
「小さい方の牛がなんたらかんたら、でもこっちの方がなんたらかんたら」
と話し合いが行われたものの、結局連れてきた牛の方であっていたらしい。
それでは仕切り直しとまた戻ってくる。
再び緊張感が高まり、周りでタクビールを唱える人、牛を縄で引っ張り抑える人、屠るのをサポートする人、屠る人が一気に牛の周りに集まって、いよいよ屠畜が始まった。
女性陣と子供たちも、その輪の外から身を乗り出し、屠る瞬間を見逃すまいとしていて、私も記録を撮るのに必死だったが、彼女たちもスマホでその様子を撮ろうと必死だった。
犠牲を出す人(実際に首を切って屠る人)と屠るその瞬間が重要らしい。
親たちは子どもたちに「ちゃんと見なさい!」と怒鳴り、小さな子どもも絶対に見逃すまいと、押し合い圧し合いしながら牛の方をじっと見つめる。
誰が誰に叫んでいるのか分からない大騒ぎと緊迫感が続き、一瞬緊張が走ったあとに、血のついたナイフが見えた。
屠られた瞬間である。
周りが一斉に大歓声を上げ、「サラーアッラッレー、サラーアッラッレ!」(صلى ألله عليه 彼(預言者のこと)の上に神の平安あれ)と預言者を讃える大合唱をしながら、牛の周りにいた男性たちはその血を互いの顔と身体に擦り付け合う。
街中でも、白い綺麗なガラベーヤに血の手形がついている人たちを見かけたが、こういうわけらしい。
「犠牲をささげた!」という歓喜の渦に沸く中、そばに用意してあったタンクの水がまかれ、床の血が洗い流されていく。
放血している間も、しばらく牛の身体や足が動いていた。
もうとっくに絶命しているのだが、反射で動いてしまうため、放血が終わるまで人々は怪我をしないように離れている。
周りのひとたちが、「ちゃんと見られたか?」「どうだった?」と声をかけてきた。
「こんなの、初めて見た。すごいですね」と答えると、「犠牲祭のときだけじゃなくて、ラマダーンのときにもやるんだよ」とのこと。
屠るのを待っている間、皆が犠牲祭について説明しながら、「これは神のためにやるんだ」と上を指さしながら口々に言っていたが、この「犠牲を捧げる」という宗教的に重要な瞬間のひとつに立ち会わせてもらえてよかったと思った。
さっきまで生きていた牛が屠られ、解体されていくのを見るのが生まれて初めてだったので、その一部始終を私は固唾をのんで見つめていた。
一方、周りのひとたちはといえば慣れたもので、屠られた瞬間のお祭り騒ぎと、神や預言者を讃える大合唱でひとしきり盛り上がったあと、女性陣はワイワイと奥へ引っ込み、おしゃべりをしながら解体が終わるのをのんびり待ち始めた。
男性陣も、解体の様子を見守りながら、互いの近況報告をしたり、のんびりたばこをくゆらせたりしている。
解体する
放血がすむと、今度は職人たちがもくもくと皮を剥ぎ始めた。
小さなナイフで手早く、でも皮に穴をあけることなく綺麗に剥いでいく。
背中の方まで剥ぐと、皮を床に敷く形で今度は解体が始まった。
お腹をひらき、内臓を出す。
水で洗われたあと、内臓は袋に入れられどこかへ持ち去られていった。
スークを出た後に分かったのだが、街にあちこち(ゴミ置き場と思しき場所)に、皮の切れ端や内臓の入った袋が置かれており、野良猫や野良犬の餌になっているらしかった。
内臓が入っていたお腹部分を綺麗に水で流したあとは、背骨を割る作業に入る。
男手ふたりがかりであばらを両側から支え、もう一人が見るからに重そうな肉包丁で、ガンッガンッと骨を割っていく。ちょっとでも滑ったら大けがに繋がりそうな危ない作業だが、危なげなくどんどんと進めていくので迫力がある。
写真を撮ったり動画を撮ったりしていたら、時々サービスもしてくれた。
「写真うつりよく撮ってよ!」という声も飛ぶ。やはり、気分はお祭りのようである。
背骨が割られたあとは、ももや腰の肉が順番に切り取られ、後ろに用意してあった台の上に並べられていく。
床の周りは結構汚れているのだが、それを時々水で流しながら、肉そのものは床につかないようにしながら手際よく解体されていった。
屠った瞬間からここまで1時間ちょっと。まだまだ大きな塊が残っている。全てを解体し終えるまで、まだ1時間弱はかかりそうだった。
こうして解体された肉は、1/3を家族用にして、もう1/3を親族や友人に、そして残り1/3を貧しい人に配る。
犠牲祭においては、犠牲中を屠るということと、それを貧しい人にも振る舞うということが重要だという。
今回、この牛を屠った家族は最終的に3~4世帯の兄弟姉妹同士の家族で、子どもも合わせたら20人はいる大所帯。皆で同じ食卓を囲むのか、別々に家に帰るのかは分からないが、この日は豪華なご馳走になりそうだ。
犠牲祭の日のひとコマを一緒に経験させてもらえて、とても貴重な体験だった。
肉を分ける時間になる前に、一緒にいた家族に別れを告げる。
女性たちに祝福してもらい、「イード・ムバーラク」「クッル・サナ・ウェントゥム・タイビーンكل سنة وانتم طيبين」と、イードの挨拶を交わしてスークを出た。
もちろん「お客様」扱いだからというところがあるのだが、いっとき受け入れてくれるこういうあたたかさが嬉しい。
11時を過ぎていたので、屠畜のピークは過ぎているようだったが、街のあちこちの肉屋で屠った羊の解体や、牛の枝肉の解体が行われ、肉屋の前には血で濡れたあとが残っていた。
人通りがほとんどない静かな通りを歩きながら、また清潔でまっさらな世界へ戻ってきた。
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ほとんどの店が閉まってる中、
料理器具を売る店は開いていた。
グリル用品が売られている。
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礼拝終わりの子どもたちが遊んでいた。
注意:以下では、屠畜の写真を載せています
屠った瞬間のものは載せていませんが、肉の解体の様子や肉屋の軒先を載せているので、苦手な人は開かないようにしてください。
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建物の中は人でいっぱい。ちなみに普通のアパートの玄関ホールで屠畜をしている。
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牛が連れてこられる前に、
玄関ホールは念入りに掃除がされていた。
注意:以下は、屠畜の様子です。
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小さい子どももこれを手伝う。
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野良猫が漁っていた。