大好きな後輩達ができた
京都からの帰路についている。
タイトルにもあるように、高校3年生になって人生で初めて「後輩ができたなぁ」と思うようになった。
今日後輩に、「縦社会の本について課題をやっているのでインタビューさせてください」と言われた。が、「いや俺は縦社会を経験したことないから答えられないよ。」と返答した。そう、日本の社会には、公立の小学校6年間と、中学校2ヶ月に通ったくらいしか属した経験がない。
プラス、東京では比較的リベラルな地域の学校に通っていたことから、厳しい校則に縛られたこともない。唯一「日本の縦社会は窮屈だ!」と思った記憶といえば、中学校で入ったテニス部で、一個上の小学校は知り合いの先輩にタメ口で話したら、顧問にものすごく怒られたことだ。
あの時は、「なんでこの人は英語教師なのにこんなにも保守的なんだろうか」と疑問に思ったものだ。
話を戻して、学年横断でタメ口が普通なアイザックで生活で、話しかける時かならず「先輩」と呼んでくれるg10(高一) の子達がいる。
「タメ口でいいよ」と言うのだか、「いえ、僕 / 私は、日本で育ったので敬語がなじんでしまって無理です」と言う。そう言われると、「ほぉ、これが日本の先輩後輩文化か」と目が丸くなる。
他にも、相談されたりして「自分の場合こうだったよ」と話していると、「先輩をやっているなぁ。」と思うのだ。同時に、果たしてそのアドバイスは役に立っているのだろうか?悩みを解消できただろうか?話しすぎたりしてないだろうか?と不安になったりもする。
相談によく乗ると、良い先輩とはどんな人なんだろう?と考える機会が多くなる。しかし、そんなことを考えると、「クールで優しい先輩になりたい!」という幻想と、実際の自分の差が大きすぎてなんとも言えなくなる。笑
そのギャップを知って落ち込みはしないが、自分はまだまだ未熟だなあと思う。
しかし、そうやってネガティブに考えていてもなんだなぁと思い、自分なりの後輩との関わり方を定義?することにした。
と言っても、自分のコミニュケーション論を作るといった立派なもとではなく、今までの自分の後輩とのコミュケーションを振り返っただけなのだが。振り返っていて気づいたのは、自分は後輩?と同じレベルで感情的に盛り上がって、話すのが好きだということ。
なぜなら、尊敬されていて目上な存在よりも、同じ目線で楽しく話している方が楽しいから。(後輩たちにはうざがられてるかなぁ笑)
長々と書いてしまったが、相談に乗っていて、尊敬?してもらったり、話を聞きたいと言ってもらえるのはとっても嬉しいことだ。話すのが大好きで、いつも話しすぎちゃう身としては特に笑 後輩にはいつもアドバイスしている感じのニュアンスになっていますが、絡んだり、散歩しながら話したり、朝飯を食べたりと仲良くしてもらっています。笑
そんなこんなを、今日午後久しぶりに会った後輩と3時間ダラダラと話したあと考えていた。
帰り際には、「ぁああと彼らともあと5ヶ月しか、アイザックでどうでもいい話で盛り上がったり、笑いを分かち合ったり、お互いのパッションを熱く語り合うことはできないのか〜」ととっても悲しい気持ちにもなった。
これからの彼らとの時間を1分、1秒楽しみつつ、大切に噛み締めたい。
みんないつもありがとう
12/28 (木曜日) 22:45