鼻腔をくすぐるさわやかな粒
最近おいしい唐辛子を頂戴した。滋賀の余呉町の在来種で「よのみ」という品種の唐辛子。青唐辛子は新茶のようなさわやかな香りが特徴で、大変に美味である。少し辛味を足したいとき、そうそう、柚子胡椒が合うものであれば大抵なんでも合う。皿の上で指で一粒すり潰すようにしてパラパラと降るように散らす。
そもそも実家の料理は「辛味」とは縁のないものがほとんどだったので私自身辛いものが好きだとか得意とか考えたこともなかったのだが、最近どうやら辛いものが苦手ではない、ということに気づいた。
飲んだ帰り道、よせばいいのに夫がコンビニで「蒙古タンメン中本」のインスタントラーメンを買った。最初のうちは「うまい、うまい」とかっ込んでいたくせに、途中で辛くて食べられないから食べて、と私に手渡す。子供じゃないんだから、とボヤいたかは覚えていないが、なんだ、ちょっと辛い程度じゃないの、と拍子抜けしたことは覚えている。
辛味は痛覚というが、ある種の旨味なのではと思うようになったのは、その後の2019年、チベットと昆明を訪ねたことが大きい。ピンク色をしたポテトサラダを食べたら唐辛子入りだったり、なかでも市場で手渡された青山椒の香りはそれは心地よい初夏の風が吹き抜けるように鮮烈で、山椒=痺れであると思い込んでいた私の辛味に対する認識を塗り替えた。
気に入り過ぎて、幼稚園の頃に左の指で育てていた鼻くそのように一日中コロコロ転がしていたら、あの頃と同様どこかに落としてしまった。無念。
鼻つながりで話は変わるが、祖母は洋裁が得意な人で、よく姉と私にお揃いの洋服を手作りしてくれたものだったが、彼女がお裁縫用に用意していたボタンがたくさん入ったオレンジ色の缶が私は大好きで「ボタンのカンカンみせて」と貸してもらっては色とりどりのボタンを並べてよくひとり遊びをしていた。
あるとき、幼い私は何を思ったかスナップボタンを左の鼻の穴につっこんだ。「なんちゃって」と思いながら何度か繰り返していたらいよいよ奥に入り込んでしまい取れなくなった。母に言ったらこっぴどく叱られると思ったので祖母に伝えてもらったと思うが、叱られることには変わりない。結局電車に乗って3駅ほど先の耳鼻科で取り出してもらったが、あのときの母の顔は怖くて見上げることができず、今でも母が履いていたスカートの柄が鼻の奥に焼きついている。
だからだろうか、今でも人より鼻の粘膜が敏感らしく、食べるより前に鼻が先に反応してしまい、辛味の強いものは避けていた傾向にある。嗅覚と味覚は繋がってはいるものの別の感覚だと気づいたのはつい最近のこと。ああ、あの山椒たっぷりの麻婆豆腐、食べときゃよかったな。
ということでその気になって、「よのみ」を丸のまま芋焼酎に数粒放り込んで飲んでみた。炭酸で割ってみるとなるほど、若干フルーティな風味が加わりジンソーダのような味わいにも感じるが、しっかり和食にも合う。辛味はほんの少し感じる程度。こりゃあいい。そういえば、アブソルートウォッカに唐辛子入りのものがあったっけ。
ちなみに唐辛子を指ですり潰したら必ず手を拭くこと。そのまま目をこすったりするとそこそこ大変な目に遭う。もちろん鼻に指を突っ込むなどもってのほかだ。
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