痛痒

宮崎に戻ってもう三ヶ月が経とうとしている。
一人で暮らしていたときに比べ、柔軟性がなくなってしまったように思う。

日の昇りきってない朝方から本格派カレーを作ったり、思い付きと気合だけで原付で大分~大阪を旅したりしていたような、たしかなときめきをはらんだそれらを、新たに構築できないでいる。
そしてそれはおそらく、友人と「会う」機会が減ったことと、一人で暮らせないことの窮屈さが関係していると思う。

私はできた人間じゃないので、でも大概の人も各々の理由でそうだろうけど、他人と接するときは常に自分を演技する。大学進学後に身に着いたものだけど、オンオフのメリハリをつける意味で、それはとても有用だ。
多面的な自らの性質を、誇張ぎみに表して、家に帰って緩めて... これによって自分の知らない新鮮な感情を、より鮮明に感じ取れていた。
こちらに戻って、そういう経験を数回しかできていないのは、機会が貴重なものになってしまったからだろう。

また、ありがたいことに、私の両親はちゃんと実家にいる。感謝はすれどトラウマもあるので、感情をできるだけ見せたくない。

そうこうしているうちに、成長を止めた情緒は端から急速に枯れていった。
大きく様々な側面を見せていた感情の立体は、ほぼ平面の薄っぺらいそれに変わった。


そのすべてが、堪らなく腹立たしい。


あるはずだと思っていたそれは、とんでもない好条件のもと成り立っていて、それに気づいた時には、すでに享受できないところにいる。
あの起伏を再現できる何かか、それと遜色ない別のものか。その不明な何かをいつまでも見つけられない自分に怒りが込み上げる。
見つけるために、手当たり次第動いて足掻くという自分の中での「当たり前」が実行できていない不甲斐なさに情けなくなる。ヒントは動かなければ見つからないのに。

幸いなことに、他責的な考えは取り払えている、はず。
あとはどうしようもなく私のことだから、前できていたそれを実行する。

先ずは時間の確保。できれば平日の日中がいい。実行のエネルギーの励起を起こしやすくするためには、特別感が一番即効性がある。
続いて行動の指針。なんでもいい。平野と山と海しかない宮崎においてどこかへ頼るのは良いことではない。できるだけ何かを作り出せるようなもの。
エネルギーは大きいに越したことはない。健やかな生活を送り、体力でもって目標に向かうことも戦略としては正しいだろう。
いちばん必要なのは完璧を求めないこと、見切り発車を受容すること。
これから先も、なにはなくとも生きてゆくのだ。毎回100点満点を目標にするよりは、一連の出来事により私自身の感情の波を大きくうねり上げることのほうが大事だ。

書いた。見切りはついただろう。
また会っていたんだな弱い私。
わざわざ宣言するのも癪だが、今度こそさよならだ。閉じこもるよりもっと他の可能性を、体験を、対話をしたいんだ。晩年に「文句なしに楽しかった!」といえるジジイになってたいんだ私は。
もっと多くのきらめきで私の一生を満たしたいんだ。