友よ

友よ

友よ。なんて臭いタイトルだよ。あえて臭くしているんだよねえ。

大学時代の友達なんかほぼいないのね。
バイトにお芝居に忙しくて出席日数足りないどころか、試験の日も知らなくて休んでばかりで卒業まで7年もかかってしまったもんだから。友だちなんか親しくなっても先に卒業していなくなっちゃうんだもの。
でも、ま、今でも付き合いのある友人もいる。てか、40代になってから付き合いが復活した奴がいる。アイツだ。
出会い的なものは覚えてないのだが、アイツとは妙にウマがあってよく大学時代に飲み歩いた。
早稲田の第二文学部演劇学科。武智鉄二さん、清水邦さん、鈴木忠志さん、郡司正勝さん、西村博子さん、岩本憲児さん、鳥越文蔵さん、河竹登志夫さん、内山美樹子さん、名前覚えてな映画学の人。いいセンセイ多かったなあ。ちゃんと行っとけばよかった。
劇団の方も暇になって、でも気がつけば卒業も危うくなったりして、どうしよう、やっぱり親の手前卒業だけはしとこうかなあ、でもバイトしないと食っていけねえしなあ。なんて考えていた頃。
いろいろ凄い人たちの講義にでたりした時にアイツにつかまっては酒飲みに行ってた。早稲田から高田馬場まで飲兵衛行脚。
映画の話。演劇の話。紅テント、黒テント、歌舞伎、浄瑠璃、早稲田小劇場、シュルレアリスム、写真、三島由紀夫、寺山修司、デ・パルマ、黒澤明、キャンディーズ、ロマンポルノ、etc.。話はつきなかった。
アイツのマンションで飲み明かしたこともあった。早稲田と神楽坂のあいだにある瀟酒なマンション。ドアを開けた瞬間に現像液の強烈な匂い。アイツはカメラをやっていた。
森山大道さんの写真塾に通っていると聞いた。ひと部屋を暗室にしていた。
「プロになんの?」
「ふふふふふふ。」
金持ちじゃあ。ボンボンじゃあ。うらやましいぞう。札幌出身でどことなくおおらかな印象もあったな。
好きな女の話になった時アイツは、
「自分は女でも男でもどちらでもウェルカムだなあ。」なんて言ってひとりの友だちに秋波を送るようなそぶりをみせ始めた。
もちろん冗談のつもりだったがその友だちは本気で逃げ始めた。何をそんなに恐れとんじゃい!
何が思うところがあったのか?
アイツは逆に困っていたようだ。

人見知りでコミュ障な俺にアイツは「ハブ人間」みたいなものだった。アイツを通して他の人と繋がれた。
なんだか民青に関わってしまって学内の多数派の革マルの奴らに追っかけ回されていた奴がいた。
気が弱そうで無口なやつがいた。本当は無口じゃなかったんだがアイツと俺がとにかくよく喋るから隙間がなかったんだろうなあ、Mは。
そいつ、Mがある日、あるところで照明と音響やっているから観に来ないかと誘ってきた。
「少年探偵団」というところだった。だいぶ後で、新宿アルタができる前に同じ場所にあった「二幸」から生中継をするラジオ番組のレギュラーで割と有名になったグループ。
「人間カラオケ」なんていって、要はアカペラですべての楽器の音も歌もこなすというものをウリにしていたな。ま、「口三味線」なんてえ言い方もありますけど、コミカルで見事なアンサンブルだった。
新宿の神田裏にあった小劇場まで3、4回観に行った。人間カラオケはもちろん、テンポの速いミニコントを音楽でつないでいくやり方は小気味良かった。男性三人に女性三人。全員革ジャンにジーンズ。ロケンローなんやね。
で、女の子がとにかく可愛かったのよお。
Mを通して仲良くなって飲みに行った男優もいた。「少年探偵団」の中でも人の良さそうな奴だった。
当時「リカちゃん電話」なるものがあって、電話すると、
「もしもし、わたしリカよ。今日GIジョーとあったの。云々」と話しかけてくる。
これをその役者とゴールデン街で飲んでいる時、イタズラで、
「ちょっとさあ、知り合いのコがあなたのファンになったみたいでさあ、電話してくれるとうれしいって言ってんのよ。電話してやってくんない?」
なんて言って電話番号書いたメモを渡してやった。けっこう酒も入っているので、「いや、別にやましい気持ちじゃないからね」なんて言いながら店のピンク電話でかけ始めた。ニヤニヤしながら見守る俺とM。
「あ、もし…… 」
やったあ、引っかかったあ。
次の瞬間、かれ、ゲロ吐きやがった!
店にも彼にも平謝りした。
同じことを大竹まことさんにやったらまったくの無反応だった。
何ヶ月かあと、Mから高円寺の俺の下宿に電話があった。かくまってほしい人がいるとのこと。高円寺駅まで迎えに行くと、かくまってほしいのは「少年探偵団」のより可愛いほうの女優さん。えええ!俺が?
Mは緊張した面持ちで「そんなに長くはかからないと思うからよろしくな」と言ってそそくさと改札を抜けていく。
残された彼女と俺。下宿に向かう。何を話したらいいかわからない。いろいろ聞いてみたいがなんだかそれも無粋な気もする。
当時その下宿は2階の4部屋だけ。兄と俺が一部屋ずつ。丸山くんという法政大に通う、兄と俺の間の学年の人の3人で残った一部屋をサロンみたいにして使っていた。
とりあえずその部屋に通した。唯一の白黒テレビがある。丸山くんが拾ってきたやつ。お茶をいれる。思い詰めた表情。か、かわいい。舞台で観た時より大人っぽいじゃあないですか。
何があったんですか? 俺は誰からかくまったんすか? 演出家に手を出されそうになったんで逃げてきたんすか? Mとの仲を親に引き裂かれそうになったんで逃げてきたんすか? 劇団の借金の肩代わりとして苦界に売り飛ばされそうになったんで逃げてきたんすか?
んなこと聞けるわけがない。なんせこちとらコミュ障なもんで。
「あとはごゆっくり」なんてマヌケなセリフを言って自分の部屋に引き上げた。兄も丸山くんも夜まで帰ってこないだろうからなんだかホッとしていた。
何度か顔だして、「お茶お代わりします? あいつ遅いですね。」なんて言ってみる。お茶に手をつけた形跡もない。
Mから電話がきた。三時間以上経っていたなあ。もう大丈夫だからってことで高円寺駅まで彼女を送って行った。
やはり何も聞けなかった。仲良くお話ししたかったがそんな雰囲気ではなかった。今度Mに会ったら何があったか聞き出してやろうと思ったが、在学中2度とMには会えなかった。
8、9年後人力舎がシアターアップルでやった「バカ爆発!」の時、Mらしき奴を見た。音響さんのチームで撤収作業をしていた。声をかけようと思ったが姿を見失った。プロデューサーやっていた俺は忙しかったからね。

話は戻る。アイツから突然電話をもらい、新宿の「千草」で久々に再会した。
この店は演劇関係者がよく集まる店。昔は新宿周辺の興行を仕切っていた事務所だったらしい。仕事がない時、ここへ来れば何かしらの仕事がもらえたと聞いた。今は居酒屋。
入り口近くの炉端風のところに東京ヴォードビルショーの石井愃一さんがいた。
10年以上ぶりのアイツはすっかり人相が悪くなっていたよ。仕事の付き合いのある人から「組長」なんてあだ名をつけられているとのこと。人相の悪さで旧日本軍が出るお芝居に将校役で出演することになったってチラシを見せてくれた。
学生時代はまことにボンボンらしい雰囲気で、繊細な感性が前面にでていた印象だったのになあ。
バカ話ばかりして盛り上がった。アイツは読売広告社を辞めて自分の会社をやってることを聞いた。近況報告のあと、Mの消息も聞いてみた。なんか普通に音響関連の会社にいるらしい。なんでお前と連絡取り合ってんのに俺には連絡ないんだよ。
「ハブ人間」だからか。
なんか一緒に仕事できたらいいね、と言って別れた。
この歳になると時間の感覚が変わってしまって、会う間隔が数ヶ月あいてもつい最近みたいなかんじになるのだが、アイツからは忘れた頃に必ず電話があったので全然ご無沙汰感がなかった。
その度「会わせたい人がいるんだよね。」とか言っていろんな人と会わせてくれた。
「探偵はバーにいる」(映画にもなった)などで有名な小説家、東直己さんのファンだと言うと、「かれ、僕の同級生なんだ。今度会った時、あなたのこと話しておくね。」なんて言っていたのだが、2、3ヶ月後、東さん本人から次作の小説が送られてきたことがあった。サイン付き。本当に話してくれたんだあ。感激した。
我がワイフと一緒に四谷三丁目のジンギスカン屋で映像関係の人と会った時、隣にいた自衛隊の文官と「シン・ゴジラ」の話で盛り上がってことを思い出した。
番組企画なんかも一緒にいろいろ考えた。
息子さんが仕事で悩んでいるので会ってくれ、なんて時もあった。いや、お笑いのこと聞かせてくれ、だったかなあ?
会えば必ず酒になった。しょうがねえなあ。

Facebookでも友だちになった。恐ろしいほどの距離を毎日歩いていたみたいだ。早稲田の穴八幡にしょっちゅう行っていた。時たまあげる小説みたいな文章が面白かった。さすがはコピーライター!と思わせる文章。ボキャブラリー豊富だなあ。
学生時代、全共闘世帯の空気がまだ残っていた。なんだか論争みたいな会話をよくしていた。いろんなもの読んで知識豊富な奴が勝ちだった。当時の俺らは博覧強記をめざしていたのよ。その時の名残りなのかしらん?
コロナが明けて(ホントにあけたのか?あけちゃいないよね)、また会って飲んだ。
そして今年。暇になった俺はひょんなことで知り合った制作会社の人に何か企画はないかと聞かれ、アイツのことを思い出した。アイツの企画のことを話したら是非会いたいとのことで、5月30日に築地にある制作会社で打ち合わせをした。
もう少し揉んでからまた持ってくるということになった。
「この後時間ある?」
きたきた。アイツと会えばやっぱり酒だよねえ。まだ16時。築地から東銀座、銀座から有楽町まで開いている店を探して居酒屋行脚じゃあ。街にまつわる蘊蓄と思い出話のミニ旅。カメラ回してほしいよ。面白いんだよ。
そして、ベタに「日の丸」ご入店。
「Facebookにも書いている小説進んでんの?」と聞いてみる。だいぶ書き溜まったみたい。なんか誰かに前金渡されて書けって言われていると聞いた。アイツの才能だけで投資されてんのか! すげえじゃん!
その後うだうだ話して別れた。
その後のアイツのFacebookには体調が良くないと書いてあって少し不安になった。でも、「看護婦が可愛いから元気になった」なんて記述もあって、アイツらしいなあ、これは大丈夫だな、と思った。
そして6月13日の午後、アイツから電話がきた。
「しょうちゃん。おれ、ガンになっちゃった。」
何を言ってるのか一瞬わからなかった。
アイツらしいレトリックで何かギャグでも言うのかと思ったが声の調子が変だった。
「どこ?」
間の抜けたことを聞いてしまった。
「肺だって。」
「早期だよね。」
願望を口に出した。
「いやそれがだいぶ進んでいるらしいよ。これから緊急入院なんだ。」
なんとか元気づけようと思うが言葉がうまく出てこない。
「必ず復活してこいや。また飲もうぜ!」みたいなことを言ってみた。
「また電話するね。」
と電話はきれた。
なんだかショックだった。この歳まで生きてきた。明鏡止水。人の死の話には慣れているつもりだったし、まだ手遅れと決まったわけじゃない。が、なんだか怯えていた。

7月6日のFacebook。
「今日ICU卒業。◯◯さまを先輩と呼ぼう。」
なんて書いてあった。ICUって!
相当酷かったんだろうが、アイツらしいジョークで締めていた。冗談いえるなら大丈夫だ。
7月10日。アイツから電話がきた。少しホッとした。
元々滑舌が悪い奴だったがこの時はさらに滑舌が悪くなっていた。というか声にまったく力が入っていない。病院からだった。
「筋肉がほとんどおちちゃってさあ、これからリハビリなんだよ。」
「しんどいってよく聞くけどさ、ツラいーワーワーって声だしながら全部やると意外とできるらしいよ。あんだけ毎日歩いてるんだから大丈夫じゃね?」なんて言ってみた。
その後のアイツのFacebookはポエムらしきもの、小説の続き、入院中の仕事のやり方での格闘なんかが綴られるが、7月14日には、「いろいろ文句を言ったが、結局スマホ打ちが一番早い」と書いてあった。
どうしても仕事やりたいんだね。
あとは回復を待つだけか。リハビリ大変だろうけどなあ。
7月23日、スマホに見慣れない番号からの着信。
アイツ=土倉の息子さんだった。
一瞬でさとった。
2日前の日曜日、容態が急変して亡くなったのだという。
既に家族で密葬は済ませて、お墓は札幌のほうだとのこと。
もう一回顔見たかったなあ。
大学時代の繋がりもほぼなくなっちゃった。「ハブ人間」がいなくなっちゃったんだもの。
泣けちゃった。歳のせいか涙腺がゆるゆる。めそめそめそめそめそめそ。
自転車で疾走したくなった。空気が抜けていたので必死に空気入れ。汗だく。疾走。Apple Watchで最長のサイクリングワークアクトを記録したとバッチをもらう。
へとへとになって夜、仕事終わりのワイフとおちあって献杯をした。
津軽味噌をつかった鯵のなめろうが絶品だった。
友よ。絶品は食わなくちゃダメなんだぞ!

土倉くん、また会いましょう。


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