L'Arc〜en〜CielのDIVE TO BLUEのテーマは「憧憬と救い」 歌詞解釈・意味・考察
「DIVE TO BLUE」概要
1998年3月にリリースされたシングルで、作曲はtetsu(ya)。『ark』 収録です。仮タイトルは「Ah !香港」。
アルバム『HEART』のリリースが1998年の2月ということもあって、曲自体は『True』の時からありました。そのときから大幅にアレンジしたらしく、残っているのはAメロだけ(※1)とtetsuyaは語っています。
ポップな曲調がいかにもtetsuyaらしく、夏の日の高い空を想像させます。
サビだけでなく、曲全体を通してボーカルもギターもメロディーラインが非常にキャッチーで「売れそう〜」という感想を多くの人が抱くと思います。
実際、セールスは好調で「winter fall」に続いて2作連続で首位を獲得します。
(「DIVE TO BLUE」の次のシングルは伝説の3枚同時リリースなので、この記録は「Driver's High」までどんどん伸びていきます)
作詞はhyde。hydeはインタビューで本作の歌詞について、
と語っています。
特に、「前向きとも後ろ向きとも捉えられる」という面をいかに深く掘っていけるかが、「DIVE TO BLUE」の解釈では重要になります。
男がビルから飛び降りるセンセーショナルなPVも話題になりました。
(tetsuyaの女装もなかなかセンセーショナルですが)
このPVの影響もあってか、いまだに多くの人が「DIVE TO BLUE」を自殺の曲だと捉えています。
ポップでキャッチーなのに、否、ポップでキャッチーだからこそ、その死の暗さを逆説的に描けているようにも感じます。
また、こうも思います。「DIVE TO BLUE」が描くのは、「明るい自殺」__死ぬことでさまざまな苦しみから解き放たれるそのカタルシスを描くために、あえてポップな曲に暗いPVをあてがったのではないか、と。
※1 『L'Arc〜en〜Ciel Box Set of The 15th anniversary in formation CHRONICLE of TEXT 02』、p.41、ソニー・マガジンズ、2006年(『WHAT's IN? 1998年4月号』の再掲)
「DIVE TO BLUE」歌詞分析・解説
「DIVE TO BLUE」のテーマは、ひと言で言うなれば「憧憬と救い」です。過去のhydeと現在のhyde。L'Arc〜en〜Cielの歌詞を見ると、hydeの歌詞のほとんどが「憧憬」をテーマにしていると思わざるをえません。
「DIVE TO BLUE」を正しく理解するには、このテーマを捉えておく必要があります。
もう一つ。歌詞に出てくる登場人物です。「(言葉としては登場しない語り手としての)自分」「誰か」「あなた」「君」。この4人が誰なのか、ここを読み解いていくところに面白さがあります。
鉤括弧のついた部分のセリフを「ささや」くのは「誰か」。
捉え方によっては、救世主とも、悪魔ともとれる甘言を囁く誰か。
思うに__。
この悪魔は、tetsuyaではないでしょうか__。
ご存知の通り、hydeはtetsuyaからの熱烈なラブコールを受け、結成したばかりのJelsarem's Rodを解散させて、L'Arc〜en〜Cielを組む決断をしました。
「はばたくのさ すぐに(早く俺とバンドやろうよ)」
「ひざ下の境界線飛んでしまおうよ(Jelsarem's Rodじゃなく、L'Arc〜en〜Cielの一員としてやっていこうよ)」
「さびた鎖に 最初からつながれてなんてなかったんだよ(結成したメンバーは友人だし、結成したばかりで心が痛いかもしれないけど、バンドってそんなもんでしょ。そもそもそいつらちゃんと友人って呼べるほど仲良かったの?)」
tetsuyaはhydeに対してそう囁いているのです。
「背中合わせの自由」とは、「Jelsarem's Rodを続けていくという選択」と「tetsuyaとL'Arc〜en〜Cielを組むという選択」、どちらをとるかということ。決定権を持っていたのはhyde。だからこその「背中合わせの自由」なのです。
L'Arc〜en〜CielのCielは空の意味。
「胸に空をつめる」というのは、hydeがL'Arc〜en〜Cielになる決意を固めたことを意味します。
「青色の深くに沈みたい」の「青」は、自由や希望と解釈するのが一般的かなと。
つまり、L'Arc〜en〜Cielのメンバーのひとりとして、これから希望に満ちてやっていこうとするhydeのポジティヴさが垣間見えます。
しかし、見事なのが「空」と「沈む」の対比!非常に文学的で、個人的には「DIVE TO BLUE」で最も好きな歌詞です。
だって、「空」なら「飛ぶ」「浮かぶ」ですし、「沈む」なら「海」や「水」でしょう。ここに、hydeの強く複雑な感情を読み取ります。
後半の部分だけを後ろ向きに捉えるなら、憂鬱に沈んでいくという受け取り方もできます。
胸に希望(音楽で有名になること)を詰めながら、憂鬱の底(やりたくない音楽をやっていくこと)へ沈んでいく__この解釈が一番しっくりきます。
近年上がっているインタビューなどを見ると、hydeのL'Arc〜en〜Cielをやるモチベーションはかなり低かったことが分かります。
実際、あんなにセールスが好調だった「flower」は最近まで好きじゃなかった(※2)と語っていますし、「瞳の住人」には「なんでオレいまラルクやってんだろ」という遣る瀬無さが色濃く出ています。
この背景を理解してこの歌詞を見ると、L'Arc〜en〜Cielという、自分を有名にしてくれた___他方でそれ以外ではなくなってしまった___バンドとともに、自分のやりたい音楽ではない、J-POPという音楽に沈んでいこうとするhydeの、その切ない表情が脳裏に浮かんできます。
「前向きとも後ろ向きとも捉えられる」とはそういう意味なんです。
L'Arc〜en〜Ciel結成当時、hydeはhideという名義で活動していました。
(Xのhideに紛らわしくて申し訳ないと謝罪したという話は有名ですね)
L'Arc〜en〜Cielになったとき、hideはhydeに変わったんです。
少し話は逸れますが、hydeと聞くと『ジキル博士とハイド氏』を思い浮かべますよね。
ハイド氏は、ジキル博士の欲望が露わになった姿で、人を殴ったり殺したりします。そして、ハイド氏が現れるのは常に夜です。
だから、「夜空をまと」うんです。L'Arc〜en〜Cielとして活動するにはhydeにならなければいけません。
面白いのは、『ジキル博士とハイド氏』のハイド氏は、ジキル博士の欲望だったのに対し、L'Arc〜en〜Cielのhydeは、むしろ自分のやりたいことを胸の中に閉じ込めなければならなかった。
だから、「夜空をまとい」ながらも「新しい世界を探」すんです。
「会いたくて会えなくて」も二通りの解釈ができます。
「会いたくて(でも見つけられないから)会えなくて」
「会いたくて(でもそんな資格がないから)会えなくて」
このあとに続く歌詞は「揺れまどうけれど」ですので、②の意味で捉えます。
(たとえば、「探し回るけれど」などが続くならば①の意味が正しくなります)
(でもそんな資格がないから)は、「恥ずかしいから」「みっともないから」でもいいです。とにかく、なんらか自分に非、もしくは責任があって「会いたい」人に「会えない」のです。
__では、いったい誰に会いたいのでしょうか。いったい誰と会う資格がないと己を恥じているのでしょうか。
思うに、過去のhyde自身ではないでしょうか。大人のhydeは、幼少期の、朝焼けを眺めていた頃の自分に対し恥じている__という解釈です。詳しくは後半で説明します。
では、「目覚めた翼は消せない」とは。
今は立派な翼に変化しましたが、昔hydeの背中には小さな羽のタトゥーがありましたよね。2000年の12月に発売された「SWITCH」という雑誌にこの羽のタトゥーについてhydeが語っているので、もしかしたらこの頃にデザインを考えていた可能性はあります。
話を戻すと、L'Arc〜en〜Cielとしてhydeに変身したあとの人生は、自分が思ってもいない方向に向かいます。だから、「目覚めた翼を消さない」という前向きな歌詞ではなく、自分のコントロールの範疇を超えたという意味を示す「目覚めた翼は消せない」なんです。
L'Arc〜en〜Cielを選んだ道が正しかったのか、Jelsarem's Rodを選んだ道が正しかったのか、そもそもバンドマンという道が正しかったのか、そんなことは神様ならともかく、人間には到底分かりえないことです。
そして、結局はL'Arc〜en〜Cielとしての道を選んだhydeの人生は、崖から転がる岩のように、未来へ向かって加速しながら進んでいきます。
その先で自分が予想もしなかったことが次々と起こるので、緊張と不安から鼓動が高まっています。
「DIVE TO BLUE」のキーポイントとなる部分です。ここでようやく次の登場人物、「君」が出てきます。
この「君」とは誰か。
ここでは「幼少期のhyde」と捉えます。
売れること、有名になることを優先してしまったhydeは子どもの頃のような純粋さを失ってしまいました。「自分のやりたい音楽をするために、やりたくない音楽をやる」というジレンマはhydeの中に根深く残っており、「瞳の住人」でも同じようなことが歌われています。
hydeという名前でありながら、その様態はまさにジキル博士そのもの。そんな自分みたいになるなと現在のhydeが過去の幼い自分に語りかけるのです。
やりたいことを我慢して、やりたくないことをやる。そしてそれがあたかも美徳のように語られる(誰もそれを望んでいないにもかかわらず!)。自分の心の声を抑圧することが「大人」で、そのように変化していくことを「成長」と言わず「堕ちる」と表現しています。
「堕ちる」という漢字を当てていることもあり、安吾の「続堕落論」の一節を彷彿とさせます。
「堕ちてくけど」──hydeは、こういった意味で「DIVE TO BLUE(憂鬱に堕ちていく)」というタイトルをつけたのです。
そして__。
ここで最後の登場人物「あなた」が出てきます。
わかりやすくするために、歌詞を入れ替えて、言葉を補足してみます。
このように補足すると、情景が変わってくるのではないでしょうか。
そう__ここからの視点は幼少期のhydeに変わるのです。
つまり__。
L'Arc〜en〜Cielでの活動に割り切ってしまった大人のhydeに優しく手を振られ、幼いころから見ている、決して忘れることのできない憧憬に導かれて、その後の人生を歩んでいこうとする幼少期のhydeの視点でこの部分の歌詞が歌われているのです。
「見なれた未来にも別れを告げて」はL'Arc〜en〜Cielのhydeとして歩む未来。
「壊れた幻想をえがこう」とは、本当に自分がやりたい音楽をやっていく未来のことを指しています。大人のhydeが成しえなかったことなので、「壊れた幻想」なんですね。
L'Arc〜en〜Cielとして割り切った大人のhydeは、それでも、胸の奥底で燻るものがあるわけです。どんなに堕ちても、どんなに大人になっても、どんなにいろんなことを忘れてしまっても__頭に焼き付いている、朝焼けだけは、忘れようとしても決して忘れることができないわけです。
安吾は言います。
L'Arc〜en〜Cielのhydeとして堕ちきったhydeはその後、ようやく自分自身を掴み取り、剝き出しのhydeとしてVAMPSやソロ活動に励んでいけるようになります。いまのキャリアを歩むには、hydeは憂鬱に堕ちる必要があったのです。
「DIVE TO BLUE」リリース当時は苦しい環境にあったとしても、令和hydeから平成hydeに対する救いの歌詞だったのかもしれません。
※2【詳細レポート】HYDE、<黑ミサ BIRTHDAY -TOKYO->2日目「これからも一緒に、僕と歩んでください」". BARKS. 30 January 2019.
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