「自己評価」だけを頼って進路を判断するのは危険である事が何となくわかった。
ブログを450記事書きましたが、稼げませんでした、ダリーブルースと申します。
たいていの人は「割と謙虚でマイナス思考」だと思うんですが、まあそれはちょっと、置いといて、いわゆる
「自己評価」というのもアテにならんなと。
そのように至りました。
ひろゆき氏の名言、「あなたの感想ですよね?」です。
たいていの自己評価は見当はずれであり、我々はほぼ何もわからず、それぞれのステージを生きているのではないか。
「自分のことは自分が一番よく知ってる」とか言いますけど、「ほんとに?」って感じなんですよ。
「何となく違うけどここにいる」みたいな人が多いし、
「多分こうだと思う」くらいで暮らしてるだけで、徹底的に考え抜いてそれが行動、生き方に至っている人なんて実はほとんどいないんじゃないですか。
例)「楽器屋の店員になりたい」とか思ってた大学4年生時代のぼく。いや、お前ギターにさほど興味無いやんけという。
上記はぼくの一例です。
大学4年といいますと、ぼくは完全に「就職活動から逃げ」ておりました。
いやーマジで当時は面接とか嫌だったんですよね・・・。
話すと長くなりますが、2004年なんてSNSも発展してない修羅の時代でしたからね・・・。
ブラック企業がモリモリ元気な時代でしたので、マジで吐きそうな時代だったわけですよ・・・。
で、「楽器屋の店員とかになれればいいな」とかに逃げてた時期がありました。でも自分でも「そんなに熱意は無いけど」ということはわかっていたので、面接とかも行きませんでしたが。
普通に考えたらおかしいのはすぐわかるといいますか・・・。
ぼくはあまりギターとかさほど興味無いし(ギターは弾いている)、
楽器を語る人もそんなにカッコいいとも思ってませんし・・・。
「そんな人が楽器屋なんかで働けますか?そんな人が楽器屋店員だったらいやじゃないですか?という・・・。
まさに「誰も得しない」消極的な状況です。
上記の例は極端に見えるかもですが、
なんか、そういうの実は多くないですか?
というのがぼくの今日言いたかったことです・・・。
ですので、
「自己評価」なんてはなはだ、あやしい。そんなの意識せず、壊れたロボットのように行動、アウトプットし続ける方がいいこと起こりそう笑
我々の「自己認識能力」なんてたかが知れてる気がしておりまして…。
例えば「ぼくって絵が下手だから苦手なんだ」とか。
いや、関係なくないですか?という・・・。
「プログラミングとか絶対無理・・・」
いやそれも、もしかして自分で判断しなくてもよくないですか??
「下手、上手」とかの判断は他人に任せておけばいいじゃないですか?
自己評価はフタしといたら?
とか、最近思うんですよね・・・。
判断の保留、遅延(リタード)というコマンドを一度、試してみてくださいよ。
retard(リタード)は遅らせるという意味です。
「私はこうだから、こうしたい」とか、さっさと決めるって実は「逃げ」の場面ってあると思うんですよ(上記の楽器屋店員の例)。
その判断の裏に「本当の欲求」が隠れていたりしてませんか?
その「欲求」の実現に向けて活動した方が、人生好転しませんか?という・・・。
「答えを急がせる人、状況」はちょっと置いといて割とマジメに自分勝手に考える時間も重要なんじゃないかと。
そして今、「就職活動マジメにしておけばよかったな・・・」と40歳になった今思います(笑い)。
そして、「でもあの状況じゃ無理だったな・・・」とも思います。
とまあ、駄文でしたが、そんな感じです。
「自分の夢」は本当にそれなのか。「本当の夢」が「仮の夢」によって隠されてはいないかをたまに考えてみてください。
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