ファムファタルのイメージが現代の私たちにもたらした事
”ファムファタル”は”運命の女”と訳され、そこから転じて「男をその性的魅力を用いて、破滅させる女」として認識されている。このイメージに大変違和感を感じたのは、私がモローの『出現』を見たときである。
ギュスターヴ・モロー『出現』1876年
本作は少女サロメが聖ヨハネの幻影に対峙しているシーンである。サロメが、ファムファタルの代名詞として、多くの人がこのイメージを取り上げる。しかし、本作を観察していくうち、サロメは俗に言う”ファムファタル像(=男をその性的魅力を用いて、破滅させる女)”ではないのではないだろうかと考え始めた。
その結果、現代の私たちが抱いているサロメへのイメージは、モロー以降の文学者たちによって作り出された概念であると分かった。その系譜は上記の記事に詳しく載せてある。
ここまで、サロメ像の変容に目を向けてきたが、そこでまた一つの疑問が出てきた。「そもそもファムファタルの概念は変化してないだろうか?」と。つまり、サロメのイメージが時代とともに変化し、大衆が好む物になったのと同様に、ファムファタルの概念も変化しているのではないか。
これを紐解いていくうちに、男性性と女性性の枠組みがフランス革命を起点に変化したことや、マネの『草上の昼食』の美術史と社会的意義、現代のフェミニズムやMe too運動の源流を視認した。今回その詳細は記述しないが、アート作品とその背景を調べると縦と横へ広がっていき、現代の私たちの価値観が同定された源流にまで辿り着けた喜びを伝えたい。やはり、学ぶのは楽しい。
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