友沢こたお:分人と対峙し続ける画家
友沢こたおさんの作品を目にするのは、今回の阪急メンズ館での個展が初めてでした。そこで受けた衝撃は凄まじく、作品を通して、この方が向き合ってきた”自分との戦い”というドラマを見ました。そんな素晴らしい画家、友沢こたおさんに敬意を込めて、平野啓一郎さんが説く、”分人主義”に絡めて批評文を書かせて頂きました。
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【あなたと分人主義】
「”分人”とは、対人関係ごとに生じる様々な自分のことだ。一人の人間は、複数の分人ネットワークでできており、”本当の自分”という中心はない。私は、近代的な”個人”という考え方の限界を乗り越えるために、”分人”の概念を発想した。」
『マチネの終わりに』などで有名な小説家、平野啓一郎は人間の在り方として、この分人主義を提唱している。
あなたは無意識のうち、自らの分人を使い分け”私”という存在を保っている(厳密な"私"はないと平野は言う)。家族との私、職場での私、友人との私、恋人との私、それぞれの分人は接している相手や所属するコミュニティによって異なり、一人称が変化したり、言葉尻もその都度変換される。加えて、現代はスマートフォンがその分人たちを跨ぎ、”現実と非現実”、”オフラインとオンライン”の境界線を曖昧にしている。SNSのアカウントが複数あり、その用途は多種多様でオフライン以上の現実がそこにはある。あなたは分人をいくつも抱え、それらがどれくらいの時間で、どれくらいの質量でいると心地よいか模索しながら生きているはずだ。
【友沢こたおと分人主義】
友沢こたおも例外ではない。彼女の作品に見られるスライムを被った人物は、分人の象徴として描かれている。さらに言えば、自らの分人がその最適な形を模索する過程を表現しているのではないだろうか。スライムは仮面として纏わり付き、外的要因である重力や、内的要因である自らの質量によって、時間経過と共に形を変える。それは時に心地よく、時に煩わしい存在だ。この現象は、作家だけの事象ではなく、現実世界におけるあなたの分人も同様である。外的要因としての社会環境、内的要因としての自己認識や自分史。内外問わず、一瞬たりとも同じ要因である瞬間は訪れない。今日はこの形態が心地よいが、明日にそれが最適な形であろうはずがない。そして明日も同じ自分であるはずがないのである。分人の象徴たる仮面としてのスライムが、どの形態の時に精神的ゆとりがあるか、あるいは窮屈な思いをするのか。それを模索する過程とそこにある葛藤の生々しさを、友沢こたおは表現している。
【友沢こたお:《slimeXL》2020(上記作品の考察)】
白のスライム(仮面)は、この分人をどんな色にでも変化できる存在とし、友沢自身が最も”自分らしい私”と考えている分人として描いているのではないだろうか。安堵に満ちたその表情は、自身の分人の在り方に心地よさを覚えた瞬間であり、この仮面を見つけ出した友沢に祝福を捧げたい。しかし、この時が永遠に続くわけがないと本人はすでに気付いている。なぜなら、顔の角度をやや斜め上する事で、この状態を少しでも長く保ちたいという欲望が現れているからである。左顎には、重力に抗えずスライムが落ちはじめ、その形は変化する。変わり続ける外界に合わせ、最適化した自分を生み出さなければならない現代に、積極的でない抵抗をしているこの姿は、決して逞しくない。このような見方をすると、本作に見られる安堵の表情の裏には、どこか不安げな闊達でない魂の存在が隠れているように感じる。
【友沢こたお:《slimeXXIX》2020(上記作品の考察)】
本作品は、スライムが常に纏わり付き、その形や見られ方に一喜一憂していた”私”が解放された瞬間である。友沢は、分人の在り方に苦悩し、外界が変化する度にその形態を変えてきた姿勢に嫌気がさしていた。ならば、外界に影響されない姿に自分がなれば良いと戦ったのだ。分人が独立した存在として分化し、外界の影響を受けなくなった姿として描かれ、ある種の悟りに至った法悦の表情であろう。苦悩を乗り越えた末に見えた道、次なる目標、世界への希望を見つめる眼差しは、優しさを帯びながらも重心が低く非常に逞しい。そして、過去の自分を否定せず、受け入れる姿勢の現れとして、スライムはその手に抱かれている。しかし、喜びは束の間、次なる分人との対峙が友沢には残っている。白き分人と対峙し、その自我を確立した大きな喜びは、友沢に自信を付けたに違いない。
【あなたと友沢こたお】
人類史上、最も物質的に満たされた便利な世の中になっても、精神的な課題である「自分とは何か」「生きる意味とは」には共通の答えがない。この記事を読んでいるあなたもそうではないだろうか。そんな中、この問いに挑みより良い生き方を模索し、その過程の苦悩、葛藤を視覚化しているのが友沢こたおだ。彼女の作品に魅了され、感動したあなたは、痛々しくも逞しいその姿に敬意を示す。
さて、作品鑑賞というのは作家の素晴らしさに驚嘆して終わってしまっては味気ない。あなたが彼女から刺激を受けたのなら、また一歩踏み出して見ようではないか。そうして踏み出した瞬間、彼女の作品から受ける印象が変わり、自分ごとになるのではないだろうか。
最後に、、、
本展示のタイトル『caché』はフランス語で”隠された”という意味だ。さてこれにはどんな意味があるのであろう。私の答えは文中に出ている。さあ、上記2作品の考察の”友沢”という部分を”あなた”に変えて読み返してほしい。《隠された》あなたの存在が友沢こたおとその作品によって見えてくるはずである。
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