エリートの、ふりしてアート「革新は批判を伴う」
ビジネスや政治でチャレンジをし、いままでにないサービスや施策を行うことは常に批判の対象となりますよね。
アートでも同じです。
いまだから、有名で偉大になった作品、作家も、生きている当時は絵が売れなかったり、サロン(公募展)で入選できなかったなんて、ザラにありました。
そんな偉大な作家がチャレンジして、新しさを提示して、発表当時は認められなかった作品を今回は紹介して、皆さんのチャレンジの後押し?が出来たらなと思います!!(おこがましい。わら)
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19世紀後半のパリにおいて、サロン(公募展)で認められることがアート業界で認められるということでした。
そこへ応募したが、認められなかった作品を集めた落選展なんかも開かれ、マネやモネ、ピサロといった今となっては有名な画家も名を連ねます。
その中の一部メンバーが集まり開催した展覧会が、後に第一回印象派展と言われる催しです。
その第一回印象派展を見た批評家、ルイ・ルロワが下記の絵を見て書いた批評の一部を紹介します。
モネ『カピュシーヌ大通り』
「大通りの群衆、数え切れないゴミ」
ルロワさん、わからんでもない。というよりは、このような表現が新しすぎて、ゴミという言葉を選ばざるを得なかったのでしょう。わからんでもないが。。。わら
ピサロ『白い霧』
「パレットの引っかき傷」
ルロワさん、まあ、譲歩しよう。理解できなくわない。もう少し鑑賞する位置を引いてみよう。そしたら情緒あふれる景色と、そこに生きる人の哀愁が感じられるんじゃない?わら
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批判されるだけ良いですよ。まだ見てもらえているのだから。
さあ、なんでもやっちゃって、批判される人間になりましょう。新しさ、表現したいことを極めた人々がそうであったように。
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