8月15日は終戦記念日ではない?
終戦記念日は9月2日?
8月15日。終戦記念日である。しかし、なぜ今日が終戦記念日なのだろうか。
1945年8月14日 ポツダム宣言受諾
8月15日 天皇陛下の終戦詔書の読み上げの放送(所謂玉音放送)
8月16日 停戦命令
9月2日 降伏文書調印
終戦の定義をなんと捉えるのかにもよるが、「戦争が終わる」ことととすれば、戦争が終わったのは9月2日である。また、ポツダム宣言を受諾し、降伏に合意した8月14日とすることも考えられるだろう。1945年8月15日は終戦詔書の読み上げの放送があった日でしかない。さらに、その終戦詔書の日付も8月14日。つまり、8月15日とは国民が日本が終戦をはじめてしらされた日でしかないのだ。しかし、知らされた日をもって終戦と語ることはできるのだろうか。やはり、降伏文書に調印した1945年9月2日をもって「戦争が終わる」、文字通り終戦と考えられるのではないか。ポツダム宣言の受諾を終戦と解釈するにしても、8月15日をもって終戦とするのは定義上は無理があるだろう。
では、百歩譲って8月15日を終戦記念日として、よくやられるようにそれの以前と以降でわり切れるのだろうか?
1945年8月15日以前以降でわり切れるのか?
一般的には戦前と戦後は割り切って考えられることが多い1945年8月15日以前以降である。
この解釈は憲法学の世界でも見られる。憲法学の世界では、日本国憲法の制定が大日本帝国憲法の73条にある改正手続きを経ていないことの理由を説明するために、8月にポツダム宣言の受諾によって革命が起きたとされる説が広く知られているのである。
しかしながら、戦前と戦後を竹を切って割るように断絶すると、割り切れないことがある。戦後GHQが復帰させたのは、幣原、吉田、芦田といった1920年代の体制派であり、彼らの思想である国際協調主義や国連中心主義は、戦後の経済外交に思想的な面で、反映されたとされているのである。つまり、確かに戦前と戦後は思想的な連続性のなかにおいて成り立っているのである。これは、1920年代に蓄積された思想は、軍部の台頭によって一旦は停滞したものの1945年以降に再び勢力を取り戻したという連続性のなかで捉えるほうが、歴史的空間を見るうえで、戦前と戦後をつながりのない断絶したものとして捉えるよりも整合的であると考えられるのだ。
戦後の体制、構想、思想は戦後に突如として産声をあげたものではないのである。もともと戦前の日本には、戦後民主主義を作りあげられるような思想的な土壌が存在したと言えるだろう。
8月15日の意味
以上では、8月15日を終戦記念日ということには史実としての限界があり、また戦前と戦後は1945年をもって、竹を切って割るような断絶はできないということを述べた。それでは、8月15日の意味はなんだろうか。それは、この文章で行っているように、日本人が歴史を見つめ直す、そして過去から現在への連続性を考え直すという日だと私は思う。8月15日を終戦記念日とすることに疑念はもちながらも、戦争の歴史については検挙に学ばなければならないと考える8月15日の朝であった。
【参考文献】
井上寿一(2014)「日本外交史講義」.岩波書店
井上寿一(2004)『戦後日本の外交構想』「年報政治学」
毛利徹(2016)「グラフィック憲法入門」
「大日本帝国憲法」(https://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html)
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