鉄道好きの祐也君


 小中学校の同級生に祐也くんという子がいた。彼は自他ともに認める鉄道好きだった。「鉄道好き・・・」こう聞いただけで、少し腰を引いてしまう人がどれほどいるだろう。僕の同級生たちもまさにそのような感じだった。祐也君は「鉄道好きの特異な人」というのでそれを種に茶化されたりしていた。僕自身は鉄道に多少なりとも興味をもったこともあり、表立って祐也君をからかうことはなかったが(からかうような距離にいなかったというのが正しいのか・・・それはさておき・・・)、祐也君はその後もほそぼそと小中を鉄道好きとして日の目を浴びないまま過ごしていたのだった。
 祐也君とは高校を離れた。だから、その後祐也君がどのような人生を過ごしていたのかわからないし、仲も大してよくなかったので祐也君のことを気に留める機会もなかった。
 祐也君を気に留めるようになったのは、先日彼のTwitterアカウントを僕がみつけたからだった。見つけたと言っても偶然だ。彼のツイートは地元のローカル線がニュースになった時のニュースの画像をツイートしていて、それは相当なリツイート数を稼いでいた。アカウントの名前は本名ではなかったのでツイートを見た当初祐也君とはわからなかったが、彼が家の近くの駅名や近くを走っている電車、そして祐也君とわかるような情報をプロフィール画やタイムラインにちりばめていたので祐也君だとわかった。
 彼のTwitterは電車好きの人からのリプライや身内のTwitterでは見ないようなリツイート、お気に入りの数だった。彼は学校ではいわば、虐げられている方だった。しかし、祐也君は自分の好きで、得意な分野を生かし、それと価値を共有する人々からは全く虐げられていなかった。むしろ人気者だった。
 僕はなにか、現代における可能性と希望の一旦を垣間見た。この時代は価値観を同じくする共同体を、そしてつながりを持つことが容易になったのだ。それは、学校で虐げられていようが関係ない。よく「陰キャラ」とかいって学校でなにか特異性をもっていて交われない人が馬鹿にされることがある。しかし、それは祐也君の例をみてもわかる通り、一部の共同体の一部の価値観で弾圧をうけているのに過ぎない。祐也君は共同体が変われば、たちまちそこで名だたる人物となったのだ。それは人と人とがつながることが容易になったこの現代において、自らの存在価値を見出す手立てになるだろう。
 ちなみに祐也くんはユーチューバーもやっているらしく、チャンネル登録者数は五千人超だ。祐也君を虐げていた人は今頃なにを思うのだろう。祐也君を虐げていた人々もまたどこかの共同体で自らの存在価値を見出しているのだろう。
 自分の存在価値を見失っている人は一度共同体を変えてみるのもいいかもしれない。それができるのが現代なのだから。

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