トイレに紙を流せる国
トイレに紙を流すことができて、自動販売機が至る所にあって、料理が脂っこくなく、ファイアーウォールがなく、現金をつかっても嫌な顔をされない国に帰ってきた。
しかし、便利であるはずなのにどこか寂しさを覚える。それは、寧夏での日々が充実し、輝いていたからだろう。
寧夏にホームステイをしに行ってきた。僕のホームステイ先のYくんは僕と同い年で21歳。大学3年生である。彼は、日本の修士試験に向けて勉強しているとだけあって非常に日本語が上手だ。彼は日本で記者になりたいそうである。
僕は彼と終始ともに行動し、彼に様々な者を与えてもらったのだった。
現地の公園では設置されているピンポン台で現地の老人とピンポンをさせてもらった。5人くらいの老人が僕の相手をしてくれて、最後には彼らに「中国へようこそ」言われ、固い握手をしてもらう。
現地の図書館に一般利用者として訪れたりもした。そこには、アダムスミスの国富論、などもあり僕の予想を超えた。また、たくさんの子供からお年寄りまでが本を広げて勉強をする姿が見られたのであった。
そして、博物館。中国の歴史が飾られていることに加えて、驚くべきことに抗日の歴史が飾られているところにも、僕らは一緒に入ることができた。
YさんとYさんの友達と中国のカラオケに言ったりしたことも貴重な経験である。
Yさんの家族もすごく優しい人で、中国語が全く話すことができない僕に対して、食べきれないほどの料理や、お茶、お菓子などをごちそうしてくださった。
Yさんは移動中、そして話すとき、常に政治、文化、歴史といったものを織り交ぜて、深い内容の話をしようとする。そして、僕に立場を求めてくる。たとえ、僕が違った立場でも彼は否定しようとしない。彼の教養主義といったものに感動をした。日本では、友達と政治、宗教の話は避けるようにしていることを僕が言うと、彼に驚きながらなぜなのかと聞かれ。タブーだからという社会通念上の理由しか答えられない、惨めな経験もしたのであった。彼が僕に抗日の歴史を伝えたかったのも主張的な意味ではなく、お互いの国の主張を知ろうという趣旨であったことは言葉からも態度からも見受けられたのだった。
そして、Yさんの友達のSさんはエンジニアを目指しており、中国でのテクノロジーの発達について話した。中国では、路上で店を営んでいる人であっても、現金を使わないようになっている。その理由を聞くと、ただ一言「critical」という言葉が返ってきた。そこに、何かしらの差というものを感じたのであった。彼はまた、中国での競争の熾烈さも話してくれた。13億人のなかで勝ち抜くのは、生半可なことではないようである。Yさんも日本で修士をとるのは、自らに付加価値をつけ、少しでも競争に優位になるためでもあるという風に言った。
以上を踏まえたうえで、今回の旅行で、見つかった課題は以下のものである
・立場をとらないことは楽ではあるが、立場をとることによって生み出せるものよりも少ないように思える。
・僕らの外にはたくさんの勉強をしていて、教養があり、歴史や文化を持っている人がいる。
・中国語が話せないことは、13億人の熾烈な競争を経験している優秀な近くに住む人々との交流の機会を逃すことになる。
・重要な問題に対して、即座に反応することができるフットワークの軽さがより必要となる。
・自らの国の政治的立場、文化、歴史を語ることは結局のところ避けることができないように思える。
これらの命題を持って、再び僕は日本での日々を過ごす。さて、書店に中国語のテキストを買いに行こう。
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