断罪狂い

 砂色の街の、砂色の通りを、男が歩いて行く。
 日差し避けの古ぼけた白いフード付きマントを被っているため、目元と口元、そして前髪の幾ばくかだけである。黒髪黒瞳、ただし寝顔のように細い目つきのために、瞳の色はかすかにしか見えない。背丈は低くもなく高くもなく、肩幅はいくらか広かった。
 しかし本人以上に目を引くのは、背中に担がれた巨大な剣だ。鞘の代わりに覆いをかけられて鍔は無く、先端に向かって僅かに細まった刀身に大人の拳四つ分ほどの鋼の柄がついており、先端は卵形の弧を描いている。まるで薄く伸ばされた墓碑のようであった。
 男は名を、アッシャー=ダストと名乗っている。


 街の大通りには市が立ち、左右両側に露店が立ち並んでいた。生鮮食品、菓子、衣服、装飾品、器、工具、香辛料、甕(かめ)入りの酒、煙草のような嗜好品。人の日常に関わる多くが売り買いされている。生活の糧の匂いが混じり合う事で、生活そのものの匂いが生まれる。雑多で猥雑で、なのにどこか魅力的な、前向きな生命の気配。
 だがアッシャーは違った。まるで焚き火の中に放り込まれても溶けぬ氷のように、市場の空気を己の回りだけ冷たく変質させてしまう。一瞬前まで口角泡を飛ばしてがなりあっていた商人達が、近づいた途端に口を閉じて息を潜め、彼が行き過ぎるのを恐る恐る見送る。アッシャー当人は商人達を気にする風でもなく、露店から串焼きを一本買って食べ歩きを始めるほど緊張感がない。焼き肉屋の店主は、代金の受け取りも釣り銭を渡す時すらも、息を殺してじっと視線を伏せたままだったが。
 強い日差しが起こす陽炎すら、周囲を避けているかのようだった。目立つ得物の影響も無論あるのだろう。商人達の中にも自衛のため、これ見よがしに刀剣を吊っている者達はいたが、アッシャーほどの大物を担いだものはいない。だが武器が全てかと言えば、そうでない事も明らかだった。武器は言わば看板でしか無い。持ち手の個人情報を一部表示、代弁する標識(タグ)としての役割を、大剣は十分以上に果たしたと言える。

 アッシャーは通りを抜けて、街の外縁部にまでやってきた。
 もう賑やかな市は影形も無く、建物は低く古ぼけて薄汚れ、人通りもまばらにしかなくなっている。時折目つきの悪い男達が連れ立って通りがかったが、アッシャーの会釈一つで綺麗に回れ右をして足早に来た道をとって返した。彼らは相手が何者かまでは知らなかっただろう。だが治安の悪い地域で生きる人間にとっては、野生動物のように危険に対する嗅覚が生存率に直結する。人の命が底値で買い叩かれる場所で生まれて今日までを生き残った者達には、アッシャーはもはや人には見えなかった。
 やがて小道から店の少ない日当たりの悪い通りに入りった。無秩序な細い道を進んだ先に待ち受けてきたのは、飾り気の無い長屋……平屋の集合住宅だった。扉の一つの前で止まり、二回ノックする。中から音沙汰無い事を確認し、アッシャーは無造作に勢いをつけて扉を蹴り破った。

 中では立派な体格の男が椅子から中途半端に腰を上げた姿勢で固まっていた。薄手のハーフコートを着込み、片手剣を腰に差している。色あせた金髪に浅く日に焼けた肌、髪と同じ色の短めに刈られた髭。そしてそのすぐ側で泣き叫ぶ、小鳥ほどの大きさの少女の姿をした生き物。肌は青黒く、背中からは蝙蝠の翼を生やしている。

「キタヨ! キタヨ! ワザワイガキタヨ!」

 それはゲートインプと呼ばれる生物の、一形態。魔神使い独自の使い魔にして、魔神召喚の文字通りの“鍵”である。

「クブレ、戻れ」

 金髪の男の一声でクブレと呼ばれたゲートインプは煙のようにその姿を消した。封入器――腰の剣か、あるいは別に存在するかは当の魔神使いにしか分からない――への帰還を確認し、男は椅子に腰掛け直して二人の闖入者を睨め上げる。

「何者だ、てめぇ」
「オルド=ライモンドさん、で間違い無いですかねぇ」

 誰何の声には取り合わぬまま、アッシャーが軽い口調で確認を投げる。
 その間に灰髪が部屋の中を見回した。椅子とテーブル、窓際の作業用デスク。小さな本棚と水瓶と暖炉。家具らしいものはそれくらいか。にも関わらず、部屋の中は雑然としていた。
 壁といい家具の上といい、あるいは床の上までも、室内は規則性の無い物品で溢れていた。薬草と思しき乾燥植物の束、動物とも魚類ともつかぬものの干物、不気味な動物や意味不明の記号を象った木彫刻、無数の黒い渦だけで画布を埋め尽くした絵画、何の破片かも分からぬ捻れと曲線で構成された金属片、煤に塗れたように黒い鎖の切れ端、硝子の欠片に似た赤黒い小石。
 種類の雑多さは市場にも劣らないが、ここには生の匂いは無かった。あるのはただ、見ようとも嗅ごうとも不安と不快を募らせるばかりのどす黒い無秩序であり、全方向に否定的な混沌だった。
 常人ならこんな場所に長居すれば精神に異常をきたしかねない。だがオルド=ライモンドは苛立った様子はあったが、見た目には理性を保っているようだった。

「だったらどうした。ドアの弁償はしてくれるんだろうな?」
「勿論ですよ。貴方には関係無い話ですけどねぇ」

 アッシャーの声には何処か間延びした響きがあった。

「どういう意味だ」
「そのままですよ、割と」

 目をさらに険しくさせながら、オルドが吐き捨てる。

「……お前、イーヴ神殿の魔神狩りか?」
「イーヴに仕える身である事は認めますが、魔神狩りなんてエリートじゃあありませんよぅ」
「何にしろ勘違いだ。俺は登録済の、真っ当な冒険者で、研究者だ。イーヴ神殿の世話になるような事は何も無い」

 魔神狩り。奈落の盾神イーヴの神殿に所属する神官の中でも選りすぐりの、対魔神用の祓魔師達。遙か彼方、奈落の壁の守人に由来するという、魔神と魔神使いの天敵とも言える集団である。
 だがその割に、相対するオルドは平然としていた。

「本当に?」
「当たり前だ。この件は魔術師ギルドや召異組合に報告させてもらうぞ、ただで済むと思うなよ」

 魔神使いは別名召異術師といい、操霊魔術から枝分かれした魔術系統と言われている。実際、一番最初に魔神を召喚し利用したのは古代魔法文明期の魔術師達だ。
 結果として、制御仕切れなくなった魔神が彼の文明が滅びる一端にもなったわけだが。
 ともあれ、合法的な手続きを経た魔神使いはその多くが魔術師ギルドの一員として登録される。召異魔法が忌まわしき過去から今に至るまで存続しているのは、奈落の魔域から偶発的に現れる魔神に対抗するための研究が必要とされ続けているからである。故に多くの魔神使いは、魔神研究の従事者であるとも言える。
 そして組織に所属し目的に沿って活動する限りにおいて、組織が構成員を守るのは自然な事だ。

「……あなた、組合のバッチはどうしました?」

 不意に、唐突にも思える問いをアッシャーが放った。

「何?」
「バッチですよ。登録を済ませた時に免許証としてもらったでしょう? あれがないと身の証は立てられないはずですが」
「バッジは……そこだ」

 オルドが指差したのは窓際の古ぼけたデスクだった。
 デスクの上にハンカチのような布が広げられ、二つに割れた陶器のバッジが置かれている。元は甲を上にして重ねた掌を模していたようだ。

「先日、仕事の帰りに壊れたんだ。明日組合で交換してもらうつもりだ。これで満足か?」
「ええ。証は立てられました」

 アッシャーが背負っていた剣を鞘ごと下ろす。切っ先を下にして、重ねた両手を置いて杖のように床に突く。

「貴方が、課せられた誓約を破った証が、ね」
「……何?」

 オルドの疑問符に、アッシャーが答えた。

「言うまでもないことですが、魔神使役には多くの制約がかかっています。その多くは魔神の行動を制限し、制御の逸脱を防ぐためですね」

 淡々と、令状を読み上げる役人のように告げる。

「制約を外し、魔神に自由を与えれば与えるほど、出来る事の幅は飛躍的に広がります。……が、同時に命令の外の暴走や召喚者への干渉も容易になります」
「……」
「なので制約を外して魔神を召喚した時に、違反を検知する仕組みが用意されてるんですよぅ。この街ではそのバッジがそれ。違法な制限の解除に反応して壊れます。事前に魔術的に紐付けられた後、協会側で管理、監視されているもう片割れのバッジと一緒にね」

 異なる二者に関係性という繋がりを持たせて同調させるのは、操霊魔術の一種である。通常一瞬しか機能しない感知系の魔術を付与魔術として受動的な形で長期間維持する技術は、多くの魔術を失伝して剣の時代と言われる現在では、それなりに高度なものに分類される。

「その結果僕にお声がかかった訳で。この後は長い長い尋問が待ってますよ。一般には出回ってないはずの、制約を解除する方法を入手した経緯とか、じっくり聞かせていただきましょうねぇ。なんで扉の修理は経費で負担しますが、貴方には当分関係の無い話ですよぅ」
「……魔神狩りじゃあ、無かったんじゃないのかよ」
「ええ、本神殿のそんな上等な身分じゃないんですよ。イーヴのお声は拝聴しましたが、残念ながら外注の使いっぱしりでして」

 神官とは思えぬ俗な物言いを、平然と口にする。

「僕はアッシャー=ダストと申します。『紫花槍遊撃騎士団(ラヴェンダー・ランス・ランダバウト)』って有志による互助組織の、執行者(エンフォーサー)っていうゴミ処理係の一人ですよ」
「ラヴェンダー・ランス……『魔除けの紫(タリスマンズパープル)』。実在してたのか」

 それは公には認められていない軍勢。魔神使いの理想の極致――『転生』した魔神使いすら殺しきると言われる、皆殺しの狂信者達。その実働部隊にして、外法に堕ちた魔神使いに対する首切り役人――死刑執行者の最先鋒。

「あんまり大きい組織じゃあありませんので、有名じゃないのは認めますよぅ。お恥ずかしいところで」
「ふざけんなよ、無名なのはそんな理由じゃねぇだろ。……捕まった奴、関わった奴が誰も生きて帰ってこねぇからだろうが」
「それはちょっと言い過ぎですねぇ。そこまで見境無い活動はしてませんよぅ。……ただまぁ、魔神狩りは神殿直轄。どうしても小回りが利きませんからねぇ」

 かつん、と大剣の上に顎を乗せて、アッシャーは笑う。

「草の根活動は、僕等みたいなボランティアがやった方が早い事もあるんですよ」

 説明を聞いた後、オルドの頭は力無く垂れた。
 垂れて顔を伏せたまま、小さく魔法文明語の一言を呟く。

「『奈落・開門(ゲート・オープン)』」

 瞬間、長屋の一室は爆発した。窓と壊れた扉から激しく炎を吐き出し、土壁がひび割れて崩れ落ちる。壁を突き破って大きな塊――アッシャーが転がり出た。素早く立ち上がって背負っていた大剣を構える。
 巻き起こる土煙の中から、オルドが姿を現す。だらりと垂らした手には腰に差していた片手剣と、何処から取り出したのか銀のランタンが一つ。 

「……随分とまぁ、いい気になってたようだが。ああ、そりゃ今ので死んでないんだ。調子にも乗るか」

 背を軽く丸めた姿勢から首をもたげて様子を伺う。何の感情も浮かばない無機質な視線と合わせて、何処か蛇を思わせるような仕草は結局のところ、人を人と思っていない歪な精神構造の現れだった。
 金属を引っ掻く音を幾重にも重ねたような絶叫が、オルドの後ろから響き渡る。現れたのは身の丈十尺を超える、蝙蝠に似た翼を生やした赤肌の鬼であった。翼を含めた全身から陽炎のように熱気を立ち上らせ、肩から胴にかけて捻れて歪んだ渦のような黒い痣が浮かんでいる。
 さらにその背後には、人の頭より一回りほど大きい漆黒の球体が浮かんでいた。
 『奈落の門』。魔神達の潜む異界に続く、世界に空いた穴であり、魔神の召喚と使役のために人為的に生み出される『魔域』の卵。未成熟の災禍。
 あるいはこの術式形態そのものこそ、魔神使いが普遍的に人々の嫌悪と忌避を招く最大の原因かもしれない。

「こんな場末にひょこひょこ現れやがって。言っておくがどれだけ騒いだって誰も来ねぇよ。そういう場所だから住んでたんだ。他人の事に首突っ込む奴から死ぬんだよ」

 虚ろな表情を浮かべたまま、オルドは打って変わって饒舌になった。どこか熱に浮かされたように早口で喋る。

「割りに合わねぇんだよ。白い目で見られてさんざ苦労して、使っていいのは出来る事のほんの一部だけだ? ろくに盾にもできねぇとか、馬鹿じゃねぇのか」

 吹き出す言葉は身の内に、いや魂の内に籠もった熱量だったのかもしれない。ただし歪んでねじくれた、正当とは言い難い熱意であったが。 

「何のための人外の力、異界の理だよ。イモ引いてんじゃねぇよ。とことん突っ込んでナンボだろうが。始まりの剣の奴隷以下で終わってどうすんだよ」 
「ふむ。ザルバート、のようには見えますが、やたら熱いわ痣はあるわ、サイズも一回りは大きい気がしますねぇ」

 ゆっくりと立ち上がったアッシャーは、剣の覆いに手をかける。

「ザルバートじゃねぇ、『リガヌグィ』だ。俺の、俺だけの相棒さ」
「名持ち(ネームド)……特異個体ですか」
「舐めんじゃねぇぞ、その辺の半端野郎と一緒にすんな。たかだか使いっ走りの坊主風情に、遅れなんざ取るかよ!」

 オルドが叫んだ。魂の捻れをそのまま音にしたような、軋むような叫びだった。だが意味の無い声では無い。魔神語の別名はデーモンスクリーム。魔神の言語は叫喚そのものなのだ。
 『リガヌグィ』と呼ばれた魔神が一つ翼を震わせて、砲弾のような勢いで飛び出した。全身から吹き出す熱量は更に増して、自身を生きた炎弾としてアッシャーに襲い来る。先に長屋の壁を吹き飛ばした吐炎など比べるべくもない破壊力の塊は、まだ覆われたままの大剣の間合いより僅かに手前で直上に飛び上がり、ほぼ真上から燃える鉤爪を振り下ろした。普通の人間には眼前から不意にかき消えたようにしか見えなかっただろう。
 だが、その鉤爪は虚しく空を切った。

「確かに、早いですねぇ」

 鉤爪の届くよりも早く、アッシャーは身を捻り終えていた。正面に構えた剣の平に身体を転がすように、剣を軸にして身体を回転させていた。多少武器を使える人間が見れば気持ち悪さを覚えたかもしれない。本来人の身体の延長として動くはずの得物と、まるで主従が逆転したかの如き動きであったから。
 そのままアッシャーが身体を旋回させた。剣と使い手が螺旋を描くように回転し、一陣の旋風と化す。横殴りに一閃した大剣は空振りで姿勢を崩した『リガヌグィ』が地面に辿り着くよりも早く、その胴体を両断。突然軽くなった上半身は地面に頭から衝突して潰れ、下半身は引っ張る力を失って上半身よりも少し遠くまで飛んでから、地面を転がった。輪郭が崩れだしたのは二つに分かれてもほぼ同時であった。
 全ては一瞬の事であった。瞬きの内に、魔神は飛翔し、絶命し、風に溶ける灰と化して消滅した。
 オルドにとっては、悪夢じみた手品であっただろう。

「所詮ザルバートにしては、ですが」
「……は?」

 オルドの顔が呆ける。しかしその虚ろさは、むしろ人間らしさを取り戻していた。
 よもや、全ての制約を解除した特異個体の魔神が、ただの一太刀とは夢にも思わなかった事だろう。

「……ふざけんな。ふざけんじゃねぇ! 何のペテンだこりゃ! こっちがどんだけリスク取ってここまで来たと――」
「知ったこっちゃ無いですよぅ、魔神使い(ヒトデナシ)の苦労なんてねぇ」

 オルドの外れんばかりに開いた顎を、一瞬で近づいたアッシャーのつま先が蹴り上げる。さほど力を入れたようには見えない蹴りで、しかしオルドは大げさにのけぞった。更に容赦の無い拳による追撃が顔面に突き刺さり、オルドは鼻と口元を押さえて転げ回る。口を覆った手の下から、抑えきれずあふれ出た血が顎先から滴って、地面を汚した。
 拳は鼻を折り、歯を砕き――それ以前に、つま先の蹴りは顎骨を割っていた。
 もはやごぼごぼと泡立つような音を立てて呼吸を続ける事しか、哀れな魔神使いには赦されていない。

「僕等が何で魔神使いが息をする事を見逃してるか、教えてあげますよぅ」

 立ち上がれないオルドの前で、かがみ込んだアッシャーが指を立てる。オルドはただ恐怖で見開いた目で指先を見つめた。目を逸らせば眼窩にそれが突き込まれる妄想に意識を縛られて。

「一つ。魔神研究。魔神使いがいなくたって魔神は奈落の魔域や遺跡から現れますからねぇ、少しでも相手の戦力を調べるためには召異魔法で呼び出して調べるのが一番安全確実なんですよぅ」

 アッシャーが二本目の指を立てる。

「一つ。対魔神戦闘の練習相手。実地訓練ばっかじゃ損耗率が馬鹿になりませんからねぇ。計画的に呼び出して戦う事が可能なら、連携なんかも訓練しやすいでしょ?」

 よりゆっくりと、三本目が立った。

「そして最後の一つ。魔神の誘惑に負けるであろう間抜けの監視。召異魔法を禁止したって完全に根絶やしにするのは難しい。時には魔神自身が人族蛮族問わずに伝授する事もありますからねぇ。狭くても間口を設けて管理した方が刈り取り易いんですよぅ。イーヴ神殿が特務神官を設ける理由には、そういう連中を内偵する事も含まれる訳です」

 アッシャーの笑みは変わらない。死神の被った仮面が、偶然笑顔のそれだっただけとでもいうように。

「無論、たまに墓漁りが死に損ない(アンデッド)になる事も有るわけですが……それはそれで、不心得者の始末もまた信者の務めですからして。僕等みたいな汚れ役担当の仕事になるわけですねぇ」
「くそ、なんだそりゃ……」

 どうにか言葉を絞り出したオルドの顔が蒼白なのは、出血だけが理由では無いだろう。
 アッシャーの言うことが本当ならば、イーヴ神官の少なくとも一部は、外法に落ちる使い手が発生する事を承知で魔神使いを養成している事になる。堕ちた場合には抹殺することを前提として。
 マッチポンプと言う言葉も生易しい。人を正しく教え導くはずの神殿が、人命を軽んじる所業を認めていいはずはない。
 少なくとも建前上は。

「狂ってやがる……」
「ははは、魔神使いに言われたくは無いですが、まぁ認めなくも無いですよ。イーヴへの献身のためならば狂いもしましょう」

 笑い声を上げる時すら、表情は動かない。

「狂気に立ち向かうためには、時に必要なんですよ。狂信という、揺るぎようも無い在り様が、ね」

 言葉には不気味な熱があった。先のオルドの静かに滾るそれに近く、だがより濃度の濃い、危険な熱が。
 揺らがず、消えず、凍てつく程の冷気を纏い、しかし触れれば骨まで焦げんとばかりの熱量を胎む。煮詰まりきって半ば固まった黒い火炎。 
 すっかり戦意を喪失したオルドを携帯式の手枷で拘束した後で、アッシャーは《傷癒(キュアウーンズ)》の祈祷で顎に応急処置を施した。

「とはいえ、元々別に命まで取る気はないですよ。尋問のために蘇生させるのも手間ですからねぇ」
「ウウウ、カワイソウ! オルドッタラ、ナンテカワイソウ!」

 不意にけたたましい嘆きが割り込んだ。見れば封入されていたはずのゲートインプ――オルドはクブレと呼んでいた――が、手の届く僅かに外に浮かんでいた。
 本来封入されたゲートインプは術士たる魔神使いの許可無く封入器から出てくる事は出来ない。理由も無く解放するような真似をアッシャーが許すはずもなく、オルドの表情にも予期せぬ状況への驚きと不安が張り付いていた。

「コンナトコロデ無駄死ニナンテ! ミジメデ無意味デカワイソウ! ……『心が折れたな』」

 少女のようで人とは違う、舌足らずな文字通りの金切り声が、不意に豊かで流暢な男の声に変わった。
 オルドの顔にまた別の恐れと焦りが浮かぶ。テストで落第点を取った事が親にばれた子供の如き、絶対的な存在に対する無力な懇願。

「お、俺は! まだ何も!」
「『時間の無駄だ、不履行の代償を払ってもらおう。……さらばだ、【騎士団(ナイツ)】。また何処かの地獄の片隅で』」
「まっ待――ッ!?」

 オルドが言い終えるのも待たずにクブレは言葉を切り、次の瞬間風船のように膨れ上がり、音を立てて破裂した。

 同時に、オルドの喉の奥が光った後、頭の前面半分を巻き込んで爆散。顔面を構成していたパーツが方々に千切れ飛び、次々と燃え上がって黒く縮れた炭と化していった。後ろ半分は勢いで首からもげ落ち、綺麗に吹き飛んだ脳髄と引っこ抜けた脛骨の隙間のせいで、半分に割って中身を啜り終わった後の、不気味な果実のようにも見える有様だった。
 アッシャーは爆発前にとっさに距離を取り、顔面を外套で遮っていた。おかげで爆風と飛び散った骨肉の破片による被害は受けなかったが、残った惨状に対しては疲れ切った溜息をついた。
 結局、背後の情報を得るという目的に対しては、完全な無駄骨に終わってしまったが故に。

「……やられましたねぇ。そりゃまぁ保険はかかってるだろうとは思いましたが、少々手際が良過ぎますよぅ。思ったより厄介な相手のようですねぇ」

 立ち上がり、大剣の表面を拭った上で覆いをかけ直し、足早に現場を後にする。流石にここまで大騒ぎをすれば、程なくして様子を見に来る野次馬も出るだろう。面倒な説明と事後処理は本神殿の事務係に押しつける事にして、アッシャーは一人小さく零す。

「大物が釣れるのは結構ですが、しっかし弱りましたねぇ」

 ぽりぽりと頭を掻く。そろそろイーヴ神殿にも、魔術師ギルドを経由して、オルド=ライモンドの制限解除容疑が伝わった頃だろうか。あるいはもう少しかかるかもしれない。
 誓約を監視する仕組みは確かに存在する。しかし、実際は発見から初動までには結構なタイムラグが存在し、調査が始まるまでに数日かかる事もざらである事をオルドは知らなかった。
 アッシャーが他の冒険者の目撃談という、酷くあやふやな情報と己の勘を根拠に、滅茶苦茶な先行を断行した事も。

「ハッタリとカマかけで誤魔化しましたが、本神殿通す前に動いちゃいましたからねぇ……折角の手がかり死なせちゃったとなると、我らが上司殿にどやされますよぅ、こりゃあ……。ま、一先ずクッションに土産の一つも買って帰りますかねぇ」

 色んな意味で、アッシャー=ダストは神官としては素行不良の人物であり、『紫花槍遊撃騎士団』という組織もまた、騎士団という名乗りに対してこのような人物を子飼いにする程度にはまともな組織ではありえなかった。

「本神殿にも叱られますねぇ。……ああ、まぁ、仕方在りません。僕に取っては、イーヴ様への献身は結果でしかないですからねぇ」

 不信心極まりない事を呟く時も、その口元は笑みの形に固まったままだった。

 狂信にも、二通りある。
 同じく人心と人道を蔑ろにするものであっても、信仰に対する狂信と、教義に対する狂信が。神に尽くす事への傾倒と、神に尽くすための手段に対する妄執として。
 アッシャー=ダストは、紛れもなき後者の狂信者であった。

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