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ぼくのあやちゃん

                  2024.11 駄洒落栖人

勝って嬉しい花いちもんめ
負けて悔しい花いちもんめ
5歳のみっちゃんがいます。7歳の健ちゃんもいます。もたもたしながらみんな楽しそうに足を挙げて、花いちもんめに興じます。
 
 その中にいる一番年上のお姉さんが「あやちゃん」です。大きな声でみんなの声を率いています。笑顔が優しく、目が合うとさらに優しい顔と目をして、笑いかけてくれます。「あやちゃん」のお陰で小さい子も一緒に遊べることが分かっています。大きくて元気で少し乱暴な子も「あやちゃん」には、逆らいません。そんなことしようもんなら、みんなからブーイングの嵐です。まだ、小さかったり、遊びの輪に入れない子は「味噌っかす」とか「お味噌」と呼ばれて、仲間に入れてもらえます。正規のルールでは、ハンディキャップがありすぎて一緒には、遊べません。かといって正規のルールを変えたりしては大きな子にとってはつまりません。そこでみんなが楽しくうまく遊べるために考えられたのが「味噌っかす」というあり方だったのです。 
 
 正規のルールは変えない。正規のルールをあてはめたら絶対に勝てない、遊べないので。その子に合わせてルールを変更して、レベルを下げてやるのです。少々のズルがあっても多めに見てあげます。できなくともできたことにしてあげます。「味噌っかす」は、お兄さんやお姉さんと一緒に遊べたことの「栄誉」に、とても嬉しくて、充実感がみなぎります。認めてくれている嬉しさです。そのハンディを決めてくれるのも「あやちゃん」です。傍にいてくれて、励ましたり、声をかけて応援してくれます。その「あやちゃん」の応援してくれる顔、声にまた周りが嬉しくなります。
不思議な力です。

 「あやちゃん」がいない日は、チビ達はつまらなそうです。待っていても来そうにもないことが分かると、みんな諦めて砂遊びをしたり、三々五々になるか、一人遊びにならざるを得ません。「あやちゃん」がいれば、集団遊びができるのです。
 
その、あの時の「あやちゃん」に偶然、私の2番目の仕事場で会いました。
  
 椅子に座っている「あやちゃん」、私にはすぐにわかりました。
「あやちゃん」って声を出しそうになり、慌てて止めました。
60歳の白髪の男が「あやちゃん」なんて公衆の面前で声出したら、みんな何事ぞ!と集中砲火間違いありません。嬉しいことに、傍による前に私に気が付いてくれた「あやちゃん」は、もうあの時の笑顔で私を受け止めてくれました。
   「どうしてこちらへ?」の私の問いに
「今、息子の所に住んでいるんです。そこで息子に教えてもらいながらパソコンを自己流でやっていたんだけど、基礎から、やっぱりやってみたいと思って、ここに通い始めたのよ。ゆたかチャンはどうしてここにいるの?」
年下を見る目の優しさと明るさは、まったく変わっていませんでした。しばらくお互いの境遇を語り合って、時間になりました。パソコン教室に向かう階段を上っていく「あやちゃん」を見送りました。小柄な後ろ姿は、やはり気持ち丸くなっていました。

 帰宅して妻に話題にすると話が弾みました。
妻にも「あやちゃん」が居たのでしたから。
 
 あの時代、晴れればみんな外遊びでした。少なくとも私の地域は、狭い家に大勢の家族がごちゃごちゃ暮らしていました。家の中に居ようものなら「外行け、そと」とどやされて、蹴散らされていました。雨の日は、誰かさんの家の縁側が解放されていて、みんなそこに集まってきて、将棋を指したり、それを覗いていたり、トランプしたり、おままごとしたり。
いまでも全国のどこかに遊ばせ上手で公平なコーディネータ―お姉さん「あやちゃん」は居るのでしょうか。
  
  次の日の夕方、仕事帰りにマンション群の整備された広場で大勢の子どもたちが遊んでいました。野球、砂遊び、自転車乗り、水鉄砲を持った男の所に、みんなが集まり始めました。人にひっかけて、本人はとても面白そうです。ひっかけては逃げます。逃げるから追いかけます。押し合いへし合い、ひっけかられた子が腹が立つのでしょう。くってかかります。ちょっと大きめの子が寄ってきて、止めます。

 こんな日常が子どもが育つにはいいんだよな…とづくづく思いながら、帰宅しました。

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