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春までのことと、春からのこと ー早稲田大学を卒業しました。ー

卒業式が終われば少しは時間ができるだろうという考えそのものが甘かった。

なんだかんだバタバタとバタバタしていて、気づいたら明日はもう4月。

改めて、時間はくるものでなくつくるもの!
何を想うか誰を想うか、日々練習だなあ。

明日から4月。新たな季節。そしてサラバ、「学生」というわかりやすい肩書き。

そのわかりやすさを脱ぎ捨てて、ひとことでは語れない社会人になる前に、4年間のことをどうしてもきちんと言葉にしておきたかった。

ところが3月、残るはおよそ3時間!てなわけでなるだけ簡潔に。
これまでのこととこれからのこと、届くといいな、伝えたい大事なひと達のために。

これまでのこと。 

大学1年の前半は、想像に容易い日々を過ごしていたなあ、という感じ。
憧れの東京、憧れの大学生活。
田舎あるあるなしがらみに絡まって、いろんなものを捨てて抑えて東京へ来た一人のいなかっぺ。
知らないもの、こと、楽しそうなこと、もうなんでもかんでも片っ端から経験した気がする。
いやはや想像に容易い。絵に描いたような大学生活。
だけどその半年?1年があったから、そこから想像もできない世界に飛び込んでいけたんだなと。
感謝感謝。大学1年生、前半。

マルタ短期留学を終えて、1年生後期。
今後人生のターニングポイントは?と聞かれたら、間違いなく選ぶであろう出会い。
今はもうない早稲田大学リーダーシップ授業、大隈塾。
運営チームのmtgにはじめてお邪魔した時、せめてできることをやろうと議事録をとっていて褒められたことを、嬉し恥ずかし覚えているのだけど。
よくよく考えてみれば、突然議事録を書こう!という啓示が降りてくるはずもなく。てことは1年生前半も、議事録を当たり前に書くようなことをしていたんだなあと。(国際学生寮WISHでのプロジェクト活動とかかな?)
やはりなんだかんだ、遊びながらも学んでいたんだな、1年生。

そこからは大好きな大隈塾三昧の日々。
1年後半から2年生にかけて、特にお世話になった4期SAさん達、そして「大隈塾日本一PJ」略して日本一。
大隈塾で学んだこと、得たこと、それをあげるともうキリがないのでここでは大部分割愛するけれど。
だいすきな先輩達にたくさん面倒をみてもらって、たくさんやってみたいことにチャレンジさせてもらった。
Slackが使えるようになったのも、議事録を早く的確に打てるようになったのも、Googleドキュメントの改行機能を使いこなせるようになったのも、きっとはじまりは日本一。そして4期SAさんたちのおかげ。
教えてもらったこと、今もちゃんと活きてます。

2年生の夏休みは、「さとのば大学」の地域留学で福島県南相馬へ。
時期はちょうどコロナど真ん中。いろんなリスクを抱えながらも、私達を受け入れてくれた小高のみなさんには感謝してもしきれない。
そこで出会った(仲良くなった)4人のモンスター学生達。
はじめて知った、「DOができない自分」への悔しさ。
爆進していくモンスターたちが隣にいてくれたからこその、清々しいくらいに苦々しい「できなかった」の失敗体験。
あの1カ月、一緒に過ごしてくれてありがとう、4人とも。

2年後期から3年前期は、5期SAとして大隈塾の授業をつくってた。
100人以上の学生達に向けて、当時はまだ前例のなかったオンライン+対面のハイブリッド授業に挑んだこと。
学生中心で、ゲスト講師の決定から交渉、当日のファシリテーションまで担ったこと。
誰に何と言われようと、この1年間もまちがいなく私の誇り。
日常茶飯事的にぶつかりながら、それでもいい授業をつくりたいと最後まで一緒に走ってくれた5期SAの2人。
そして私達を常に支えてくれたSSのみんな。
笑いも涙も、喜びもしんどさも、ぜんぶぜんぶひっくるめて、本当に心の底から、かえがえのない時間だったね。

さて、SA卒業3年後期。
ここから大学外とのつながりがどんどん広がってく。
北海道の島プロきっかけのひとびと。
熊本、宮崎、
そして日本橋のコアキナイコミュニティ。
出会う先々の人達が、みーんな楽しそうでキラキラ輝いて見えて。
南相馬からはじまって、いろんな場所で出会った方々のおかげで、働くって楽しいことなんだな、って思えた。

そして面白いのが4年の後期。
西田幾多郎にヒーヒー言いながら書いていた卒論と、4年も終わりになって仲良くなれた哲学コースの仲間たち。
卒論のおかげで、私は哲学と生涯一緒に生きていくことを選べたし。
流石哲学コース、ヘンテコでかっこよくってナイスな仲間たちのおかげもあって、自分を貫いて大丈夫だな、ぜんぜん全うだなって思えた。

…濃いなあ。
面白いなあ。なんでこんなに面白いんだろう、私の人生。
4年前、ちっぽけな田舎でちっぽけな頭の中に、こんな未来果たして描けていただろうか?
東進に貼られた「祝合格!早稲田大学文学部 久保田杏海」の写真にニヤニヤし、高校卒業式当日には、当時のやさぐれ友達と卒業をひたすら歓喜していた当時のワタシ。
大丈夫だよ、4年後には思いもよらない経験と、怖くなっちゃうくらいに豊かでステキでナイスな人達と、自分で自分に胸を張れる、カッケエ私!って言っちゃえるくらいの自信を、持ちきれないくらい両手いっぱいにかかえて、これからの未来にワクワクしながら卒業するから!!!
って言ったら、誰よりも短いスカートと誰よりもヒールの高いローファーを履いて、黄色いリュックを背負い虚勢を張ってたあの田舎者は、一体どんな顔するんだろうな。

これまでを振り返って、これからのことを書こうと思っていたのだけど、
ちょっと筆が進まなくなってきた。

お風呂に入ろう。
お風呂は思考の泉だ!!!

てなわけで、これまでとこれから、と書きつつこれまでの話になっちゃったけれど。
実は、本当に書きたかったのは以下。
これからもよろしくを言う前に、書かなきゃいけなかったのは、
ごめんなさいと、ありがとうのことです。

さいごに。というかこれから。

4年生になって、それももう終わって。
色々考えるアタマで思うのは、やっと人間になってきたなあ、ということ。

というのも4年も残り僅かのタイミングで、私やっと、少し素直に人を愛せるようになりました。

流石末っ子と言うべきか、愛され方は先天的にわかっていて。
だからこそ極端に嫌われたり、孤独になったり、生き方を変えるほどの関係性の欠如に出会うことはなかったのかなと。

それでも中高で傷ついたこと、分かってもらえなかったこと、そんな痛みに怯えて、愛することで傷つくことに耐えられずに、人を愛そうとすることを高校生で一度やめまして。
(ちなみにここでいう愛するって、好きの先の特定の誰かへの、恋愛的な愛じゃなくて、人類愛、根本愛みたいな愛です。わかりにくいかもですが…)

母曰く、まさに愛そのものだった幼少期のあみさんは、いつの間にか「人間が嫌い・興味がない」あみさんになっていて。

大学1年生も、2年生も、3年生も、なんなら4年生の大部分も。
私はまわりの人達を、「愛そうとして」関わっていたんではなく、
ただ自己中心的に「愛されようとして」関わっていたんだと思います。

だからこそ、友人関係は長続きせず、1年スパンで変わり、
応援されることもあまりなく。
そりゃ、当たり前だなと、ものすごく今納得しています。
だって私、愛せてなかったんだもの。
続かず、離れるのは至極当然の流れだと。

そう思った時に、愛そうとしない私を愛してくれて、これからもを望んでくれる人達、一体どうしたの!?と、愕然としました。
どうしてこんな私と、つながり続けていてくれるんだろう。

実はこのこと、つい1週間ほど前、後輩たちがつくってくれた卒業祝いのムービーを見て、家へ帰りながらの道中に気づいたことなのですが。
愕然?驚愕?なんだろう。
言葉でなんて言えばいいのかわからない感情で、暗がりの帰り道、メッチャ泣きました。
愛したいな、大切にしたいな、って思いました。

もう全く文章がまとまらなくなってきて、稚拙の極みで申し訳ないのですが、このことだけは書ききらねばの精神で、書ききります!

邪な感情ばかりで、素直にちゃんと愛せずごめんなさい。
それでもつながり続けてくれて、本当にありがとう。
いっぱい愛してもらって、いっぱい素敵な人達に愛し方を教えてもらって、
やっと、大切にしたい人達とどう関わっていけばいいのか、どう愛していけばいいのか根本的な部分がわかってきました。
これから、私も素直に(素直にはむりかもしれない…私の愛し方は多分坂口安吾的なのです…)愛を返していけたらなっておもっています。
こんな人間の1歩目のような私ですが、これからも末永く、つながり続けられたらうれしいです。

坂口安吾的な愛なので、具体名を出して直接伝えることはとてもじゃないけどできませんでした。
どうか私を愛してくれた人たちのもとへ届きますように。。。
なんて柄にもない神頼みで、おわりにします。

これからも、どうぞよろしくおねがいします。


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