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ボイストレーナーへの道
こんにちは。
『音楽家として生き続けること』を永遠の課題としている、だいぞう(坂本大蔵)と申します。
今回は、ボイストレーナーの仕事を始めるきっかけとなった話を書いてみたいと思います。
・・・
1.なんでも良いから生きる為に
前回記事『ストリートで生きた日々』で書いた様に
『音楽活動のみで生計を立てることは今は無理』
そう判断した直後、すぐに求人広告を調べていました。
条件は、即入金であれば何でも構わない。
記憶では全財産1万切っていて、全く余裕が無い状態でした。
(33歳無職 笑)
見つけた職種は建築業。
10代の頃、建築業の経験があったこともあり、躊躇は一切ありませんでした。
『翌日払い可!がんばり次第では日当2万~3万も!』
もう、そこしか見ていませんでした(笑)
即電話→即面接→受かる→翌日から仕事が決定。
ただ、荷物を入れる為のリュックも買えなかったので、普段使用していたPRADAのショルダーバッグにヘルメット突っ込んで、業務内容も知らないまま現場に行った記憶があります(笑)
内容は現場に着いてから知ったのですが、いわゆる建築業界では体力的に一番きつく、『現場のアスリート』と言われる資材搬入専門業者である『荷揚げ屋』であることが判明。
収入の単価目安としては、1人工辺り2トン強の資材を現場に搬入しきって、1現場約8,000円。
広告にあったのは、その数をこなせばそれだけ稼げるというものでした。
(単純計算、7トン位を搬入すれば24,000円)
まず、新人はほぼ1現場で死にます(笑)
例えば、1枚約14kgの石膏ボードを1枚ずつ運ぶなら大したことありませんが、それでは仕事が終わらないし稼げません。
(この業界では、1度に4枚持つ(約60kg)からのスタートが基準でした)
これらを背負って、階段で3F、4Fと揚げて行くこともあります。
夏場に入った新人は30人中、1人~2人残れば良い方です。
8時~仕事を開始し、10時休憩には荷物が消えて居なくなる新人も少なくありません。
特に格闘技をやっている腕自慢、体力自慢もたくさん見て来ましたが、僕の知る限りでは初日で辞める方がほとんどでした。
(格闘技とは全く違う筋肉を使うらしいです)
真夏の炎天下の中、リアルに死人も出る仕事なので、一般的には30歳過ぎてから始める様な仕事ではありません。
ただ、当時はそんなこと言ってる場合じゃない。
とにかく、最初は必死でした(笑)
この仕事は続けている内に、筋力も付き体も慣れたことで、真夏でも1日で最高80,000円位稼いだ日もありました。
(単純計算16トンの資材搬入 笑)
一度に持つ量も100kgまで可能となり、スピードもどんどん上がり、日に日に体幹や筋力が強くなって行くのが分かりました。
次第に、1日10トンレベルは当たり前の感覚になり、結構でかい会社でしたが、新人賞、MVP賞と頂き、最終的には親方になりました←
34歳で、体内年齢は17歳と診断され体脂肪は7%。
また、音楽活動をする上でごつい身体にはなりたくなかったので、極力細身のまま鍛える為に食事制限もしていました。
結果、チャラめのブルースリーが出来上がりました。
(なに目指してんだ)
2.音楽スクールの門を叩く
2~3ヶ月が経過して、生活もひとまず落ち着き仕事にも慣れた頃。
身体を動かすことは好きなので、仕事はそれなりに楽しいものの、ずっと音楽の仕事をやって来た流れから欲が出て来ました。
『音楽活動以外で音楽の仕事もやろう』
そこで思いついたのが『講師』という職業でした。
妹が多いからか、昔から『人の面倒を見る』という行為は好きで、人に教える・伝えることも好きでした。
実は、上京した当時のバイト探しで、子供も好きだし『保育園の音楽講師のバイト』の面接を受けたこともありました。
(結果落ちましたが 笑)
今なら、音楽経験も活かして講師の仕事ができるのではないだろうか?
早速、都内で講師を募集しているスクールを探すことにしました。
3.初のボイストレーナーの面接
まずは都内で大手且つ、講師を募集しているスクール3校ほど目星を付け、1つ目のスクールに電話をしました。
書類選考はすぐに通り、面接&実技試験が決まりました。
ここでは、その場で曲の楽譜を渡され、まずは面接官の前でピアノを弾くという内容でした。
感触としては、これは難なくクリアできた様に思います。
しかし、次の歌唱実技で緊張感が襲います。
ピアノの発表会、ライブ、ストリートライブとも違う緊張感。
出された曲は、ミスターチルドレンの『Tomorrow never knows』だった気がします。
緊張感で硬い体から発した歌声は、中途半端に桜井さんに似せた、クオリティーの低いモノマネとなり、歌い終えた瞬間『終わった...』と思いました(笑)
結果は後日連絡。
案の定、落選でした。
でも、ここで諦めません。
この面接での失敗を活かし、2つ目のスクールに電話をしました。
その場所が、勤続8年目となる現在の職場、アミーズボーカルスクールとの出逢いでした。
4.アミーズボーカルスクール面接
まずはこのスクールも書類選考からでしたが、今回も書類選考は通り、面接日が決まりました。
(あとで話を聞いたら、結構な応募数があったみたいです)
さて、前回の経験から面接も実技もイメージはできていました。
また、今回は課題曲が予め決まっていたので、かなり練習を積んでから臨むことができました。
『絶対受かってやる!』
トレーニングを重ねた自信を胸に、いざ勝負!いざ参らん!!
指定の場所に向かい、スクールのドアを開けました。
すると...
Σ(゜Д゜)
・・・あれ...?
なんか人数多くね??
面接担当の先生の他に、スーツを着てる男性が3人いました。
面接が始まると、本校オーナー、新宿校オーナー、下北沢校オーナーであることが解りました。
あ、なるほど。
面接は多人数で行い、面接のあとに先生の前のみで実技試験するスタイルですね、分かります。
「それでは面接はここまでで、このあとは実技試験に移らせていただきます!こちらの防音室にお入りください!」
・・・あれれれ...?
4畳~6畳位の防音室に、自分も含めて5人いるよー。
イメトレでは居ないはずの男性3人が、背後にいらっしゃるYOー!!
はい。
軽く想像を超えて来ました(笑)
ただ人数が多いとは言え、曲の練習はしっかり積んでいたので、緊張はあまりしませんでした。
ちなみに、歌唱の課題曲は唱歌でした。
更にその後、突如「ピアノを弾きながら歌えますか?」との指示があったので、震災後に描いたオリジナル曲を弾き語りしました。
(今聴くと声が固すぎ力みすぎ)
『やれることはやった!』
こうして密室で熱唱し、2校目の面接と実技を終えました。
5.結果発表ぉぉぉぉっ!(浜ちゃん風に)
結果は、合格でも不合格でも数日後に電話を入れるとのことで、ドキドキしながらその時を待ちました。
数日後...
「お世話になっております、アミーズボーカルスクールの◯◯です」
来たぁぁぁっ!!
「面接と実技を見させていただいた結果...」
(・・・あ、これダメなやつや)
※おそらく普通のテンポで喋られていたと思うのですが、錯覚で僕にはゆっくり聞こえました。
「ぜひ宜しくお願いします!」
\(゜ロ\)(/ロ゜)/
\(゜ロ\)(/ロ゜)/
\(゜ロ\)(/ロ゜)/
・・・確か心境はこんな感じでした(笑)
こうして、同期として受かった他2名の方と共に、3ヶ月の研修期間を告げられ、トレーナー稼働に向けて準備を進めて行くことが決まったのです。
研修を終えて稼働後、同期の先生と撮影した広告用写真の1コマ。
・・・という訳で、ここから音楽活動以外に、僕の講師人生がスタートしました。
この時に心底思ったことは、一度で諦めないで良かった!でした。
人生は長期戦。
なにごとも、NEVER GIVE UP!ですね。
さて、今回はボイストレーナーの仕事を始めるきっかけとなった話を書いてみました。
次回は『研修初日の前日に、救急車で運ばれて行けなくなる!?の巻』です!←(何があった)
皆さんの毎日が、心豊かなものになります様に。