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雨とステテコ 2/2

2017年7月5日から6日にかけての九州北部豪雨にて被害を受けた僕の故郷、日田市
避難所に下着が足りないという情報を聞きつけた僕は紹介でステテコ屋さんと繋がることができます

ここからのことは正直あんまり覚えてません
とにかく日田にステテコ運ぶべく、仕事の合間、仕事でみっちり残業したあと、それこそ深夜まで、どうやって届けるかということを考え、連絡を取り合いましたました

ステテコ側の配送は紹介してくれた人とやり取りし、現地に届いてからの配送は母と僕が共通の知人に任せました

そして雨が降りはじめた頃から4日後の2017年7月9日、やっと現地に服とステテコが届きます

ステテコが届き笑顔になる人、涙を流す人、そんな写真が母からいっぱい送られてきました


さらにこんなエピソードも教えてくれました


避難所のある老夫婦の話です
ステテコの配布を見るや否や、おばあさんの方は喜んで受け取ってすぐに着替えました

ただ、おじいさん

おじいさんの方は、ムッとしています

するとおばあちゃんが
「お父さん、これ履いてごらん」
と言いました

おじいちゃんはこう言いました
「そんな派手なのは若いのが履くもん、俺は履かれん」
拒否したのです
きっと恥ずかしかったのでしょう

それにおばあさんはこう言いました
「こういう若いの、こういう時じゃねぇと履かれんやろ?」

それを聞いたおじいちゃんはしぶしぶ履いてみることに

するとそこには、恥ずかしそうに笑うおじいちゃんと、それを見てニコニコするおばあちゃんや周りの人いました


避難所という空間でこんな朗らかなやりとりがあるものでしょうか

このステテコは単純に衣服としてその機能を提供したわけではなく、鬱屈とした避難所に楽しく、明るい空気感ももたらしてくれました

この報告を聞いて僕はやって良かったと心から思いました

ちなみにこの日はちょうど僕の誕生日でした
こんなに嬉しい誕生日は未だかつてないです




被害がひとまず収束し、避難生活も終わった頃、母がある街の変化に気づきます

おじいちゃんおばあちゃんたちが配ったステテコを履いて、スーパーに入って行ったり、コンビニにいたりと
ステテコと共に普通に生活をしていたのを母が見かけたのです

あの色鮮やかなステテコを履いて

以前より少しだけ色が増えた街がちょっと元気になったように見えたと、母は言いました




程なくして僕はこのsteteco.comの社長さんにお礼をすることとなります
実は友人を間に介してやっていたので直接会うのは初めてでした
僕は最大限のお礼と、このおかげで被災者の人たちが、街の人々がどう変わったかを伝えました

するとその社長さんがこんなことを言いました


「本当によかったです。これが僕たちのやりたかったことなんです。オシャレな若者たちにも着て欲しいけど、本当はおじいちゃんおばあちゃん、そういった方々に着てもらって、日常がパッと明るくなる、そういうことがしたいんです」


涙が出ました、人と人の思いがつながった、それをすることができてよかった、そう心から思いました

「この話、是非御社のプロモーションに使いませんか。私たちからできることはそれぐらいです」

そう言うと社長は一言


「いや、これでいいんです。これだけで。」


と答えました

その言葉通り、このことは広報として紹介することもなく、日の目を見ずに、全ては終わりました




でもごめんなさい、僕は我慢できませんでした書きました
これは記録に残すべきことだと思いました

このひとつの物語を残すべきだと思いました
それがこの件で僕のできる最後のことだとそう思いました

その後もsteteco.comさんの商品は買わせていただいています
僕が入るサイズをわざわざ作ってくれて…大感謝です
さらに僕が大きくなったのでもう服は入りませんが…

こういう小物

steteco.comの扇子

こういうのを時折買っては大事に使わせてもらってます

もし気になるならこちらからどうぞ


人が人を繋いで大きな物事になる
それがステテコだろうとなんだろうとできることをやって、それに仲間がいたら、いっぱい救える人がいる
そう思える体験でした

でももう一回できるかと言われたら…無理かもしれない…
だってあの時1〜2時間睡眠とかだったんだもの
今だったらもっと上手くできるようになってるかもしれないですけどね


もうこんなことはないことを祈りつつ
もしそうなってしまったら、またできることをやりたいと思います




おわり

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