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デザイナー・クリエイターのための"人生100年プラン"の立て方。松井龍哉氏「優しいロボット」出版記念インタビュー

デザイナーやクリエイターとして独立するには、どれくらいの修行期間が必要なのだろうか? アイデアを噴出させ続けるにはどうすればいいのだろうか? そして、その仕事は一生やっていけるのだろうか……。

目にした来店客の反応を学習しポーズを変化させるマネキン型ロボット「Palette」、東京カテドラル聖マリア大聖堂でもフラワーガールを務め、様々なイベントに招待される愛くるしい「Posy」など、これまで様々なロボットをつくり、国内外から注目を集めているロボットデザイナー・美術家の松井龍哉氏。彼の初の単書「優しいロボット」が大和書房より出版されました。

今回は、松井氏への単独インタビュー。ロボットの未来について、そしてデザイナー・クリエイターとして活動を続けるための秘訣をうかがいました。
【オビあり】優しいロボット

子どもの頃から、
「誰かのためのロボット」を目指して

大和書房編集部(以下、●●) ロボットに興味を持ち始めたのは、いつごろからでしょうか?

松井龍哉氏(以下、松井) 幼稚園の頃からロボットの絵ばかり描いていましたね。小学校1年生の七夕では、短冊に「科学者になって野球ロボットを作りたい」と願いを書きました。発想のきっかけは、近所に野球好きの友達がいて、その子のためにと、というものでした。まあ僕は野球には興味なかったですが。

小学校4年生の頃は、大工ロボットですね。自宅の改修をしているとき、瓦をベルトコンベアーのような機械で2階に運んでいる大工さんを見て「ロボットみたいだな。将来的にこれはロボットがやった方がいいな」と思っていました。そのとき、大工さんに図面の書き方を教わったので、デザインをスケッチして。ロボットが完成したら、その工務店さんでロボットと働こうと思っていたんです。

―― すごい子どもですね!

松井 僕は今、52歳なんですけど、子どもの頃は、ロボットが出てくるSFの映画やアニメが沢山あった時代です。ロボットがいると明るい未来になると思っていました。ロボットは希望の象徴。映画「スター・ウォーズ」シリーズの影響も大きいですね。

―― 野球ロボットも、大工ロボットも、「誰かのためにこういうロボットがあったらいいな」という発想なのですね。

松井 「がんばれ!! ロボコン」という、子ども向けの特撮のテレビ番組が好きだったんです。いろいろなロボットがいて、社会に役立つロボットもいれば、反対に泥棒をするためのロボットがいて……泥棒をするために作られたロボットなのに泥棒をすると開発した先生に怒られる(笑)という複雑な設定もあったユニークな作品でした。こういうのも面白くて子どもながら楽しんでいました。

やさしい

早朝のアウトプット、夜のインプット

―― 「大学を出て10年で独立が目標だった」と著書に書かれていますが、なぜ独立を志されたのですか?

松井 デザイナーになると決めたのは小学6年生ですけど、独立を考えたのは高校生の頃ですね。当時、世界一の満員電車だった東京のJR山手線で通学していて、満員電車に詰め込まれる毎日でした。高校は美術科でしたので、学校の課題で作った作品を持って電車に乗ったら人混みでボロボロになることが多くて。「満員電車に乗りたくないので絶対、会社勤めはしない!」と心に誓いました(笑)。

そうしたことがきっかけで、始発で学校へ行くようになりましたね。学校で課題をこなして、夕方になると学校から帰って人より早めに寝る。そして、夜に起き出して勉強をして、始発で学校へ行ってデッサン……そういう生活でした。

―― 松井さんは、今も朝方なんですよね。

松井 「早起きして、ジョギング!」みたいなことはないですが、早朝の貴重な静けさを大事に過ごしますね。コーヒーを淹れて、音楽を聴きながら、仕事にとりかかるみたいな。NHKの朝ドラが始まるまでには、何かひとつ仕事を終えているイメージです。

―― かなり早い時間からですね!

松井 朝の方が仕事は断然いいですね。朝はクリエイティブやアウトプットの時間にあて、夜はインプットですね。情報収集だったり、本を読んだり。もしかしたら学生時代の習慣が功を奏しているかもしれません。

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人生の計画は「30年単位」

―― 独立までの道のりを教えていただけますか。

松井 満員電車の話に限らず、そもそもデザイナーを目指す人は、基本的にサラリーマンになるという発想はないのでは? デザイナーはたいてい3年から5年くらいで独立するんですけど、僕は独立まで10年掛けました。

最初は、丹下健三・都市・建築設計研究所で5年間経験を積みました。ただ、建築家になるつもりは全然なくて、丹下健三先生という「建築界の巨人」の仕事をどうしても間近で見たかったんです。丹下先生が手がけた東京都庁庁舎ができた年に入社したので、僕の社会人歴は庁舎と同じ。今年でちょうど30年です。

都市計画というのは、クリエイティブの中では最も多くの複雑な情報をまとめて、50年先ぐらいまでを予測して計画する構想を構造的に解いていく仕事ですね。このノウハウは学ぶ必要があった。未来を考えてアイデアをつくり込み、そして実際の設計活動。丹下先生の代表的な建築でもある代々木体育館や東京カテドラル聖マリア大聖堂、100年、200年先を考えて設計されているんです。膨大な時間を乗り越える作品のスケール感の視点を吸収したいと思っていました。

その後フランスヘ渡り、帰国後は国立研究開発法人科学技術振興機構の研究員になりました。その研究員を辞めて独立する時、「なんで国家公務員を手放すんだ、もったいない」とさんざん周りに言われましたが。けれど、働き始めて10年を過ぎるともう独立のチャンスは来ないと思い、他に受けていたお誘いも含めて全部断り、独立しました。

―― 将来の予定を細かく立てておられたのですね。

松井 人生の計画は30年単位で立てていて、大きくはその流れに逆らわないよう生きている感じですね。そんなにぴったりとはいかなくても。

独立までの約30年間(年少期、学生時代を経て科学技術振興機構までの期間)はとにかく修行。そして独立後の30年間は修行時に取得した技と知識で社会にとことん関わりデザインをする、そしてロボットを作る。そして62歳から92歳までの30年間は、芸術家として自分のために生きる。そこで作る作品は未来を活かすためになる。その後は余生でもなんとでもなれ、と(笑)

―― そう考えると「美術家」としてのアート制作も始まっていますよね。

松井 そうですね。平等院奉納プロジェクトのような仕事は、10年くらい先に依頼を頂けるイメージでした。ただ、62歳から突然芸術家にはなれないので、徐々に、10年くらいかけて芸術の世界を俯瞰しながら作品を出しながら、準備期間として過ごしたいですね。

―― 今の30年間の蓄積を、次の美術家としての活動で昇華するイメージですか?

松井 たとえばカメラをつくるとき、自分だけでは考えられません。やはり新しい技術、素材、予算、市場、メンテナンス体制など、いろいろな要素を含めたものづくりが必要だからです。62歳まではデザイナーとして日常の社会に関わっていく中で、その「社会のリアリティ」をもっともっと吸収したいと思っています。

最初からアーティストで、自分の哲学で素晴らしいものができたら良いですが、僕はそんな甘くはないな、と思っています。

―― ロボットとアート。それぞれ全然違う活動だと思いますが、その違いはどういうところにあるのでしょうか? 

松井 僕はものを作る場合、自分の思想部分からコンセプトをまず作りますので、実際に創造性の部分ではロボットもアートもほぼ変わりはありません。
しかしアウトプットまでのプロセスで関わる専門家の領域は変わっていきますね。まあロボットの場合は大勢の専門家に関わるのでリーダーシップのあり方が問われますし終わりの見えぬ地道な仕事に精をださないといけません。

―― なるほど、工程に違いがあるのですね。

松井 コンスタンティン・ブランクーシという、ルーマニア出身の芸術家をご存知ですか? 

“神のように考えて、王様のように指令を出して、奴隷のように働く。”

これは彼が考える芸術家の生き方。新しいものを産み出すために考えているときは神のようであり、それをつくるときはチームに指示を出す王様でないといけない。その上で自分が他の誰よりも先んじて働く……。これは、僕のような仕事の本質を表す言葉だと思っています。

やさしい3


思考を阻むバイアスを蹴散らし、
アイデアを噴出させる

―― ロボットデザイナーとして、最も大変だった出来事を教えてください。

松井 実はあまりなくて……。そのこと自体では悩んだことはなくて、プロジェクトに対して良いアイデアがすっと出てくる。出てくるうちは、幸せ者……なんですよね(笑) 開発する技術的に難しい事や資金などは解決すべき術でなんと努力する範疇なのだと思いますが、アイディアだけはクリエイターの存在意義=命そのものですから。

―― アイデアが出なくて行き詰まらないのは、なぜですか?

松井 僕の場合、仕事に向き合うときに、”未来にとって最善のコンセプト”に集中するので「あの人にこう言われるだろうな……」とか、関わる他者の存在を一旦消し去っているからだと思います。案外そんな事だと思います。

多分、誰でもいいアイデアを持っているんだけど、悩んでしまう人は考えるプロセスでいろいろなバイアスがかかっていると思うんです。先ほど言ったような他人の発言や、評価など。そうすると、アイデアは出て来なくなるのだと思います。僕は呑気な性格もあって自分から出たコンセプトが一旦社会に出てダメだったダメなんだと割り切っています。だから、芳醇な創造性を保つためにバイアスを蹴散らすことがとても大事です。そうしたら重要なアイデアは必ず湧いてきます!

やさしい5


社会の機運を掴む

―― 家庭にロボットを浸透させるために、今抱えているハードルは何ですか?

松井 機運が一番大事ですね。社会が新しいロボットを求める機運とも言えます。

ロボットは生活が劇的に変わるような、革命的なものだと思っています。インターネットや、スマートフォンのように、です。

コンピューターやインターネットも随分昔からありましたが、リアリティをもって「一般の人が使ったらどうなるか」を考えられたのがスティーブ・ジョブズなのでしょう。面白い技術をみんなが使えるようにしたわけです。

ロボットも、どういう風に生活を変えてくれるのか、社会が受け入れるのか。課題になっているのは、そのマッチングを把握することだと思います。

やさしい6

いずれ人は「ロボットの中」に住む

―― では、今後ロボットはどうなっていくとお考えですか?

松井 最近では、コロナ禍で指先を器用に使うロボットの必要性は出てきました。たとえば物流センターはどうでしょうか。物を見て判断するのは精密なカメラと人工知能である程度の範囲まで選別できますが、それを実際に仕分けるのはまだまだハードルが高いのも現実です。最近Amazonで注文したものが粘土と差し替えられているという話もちらほら出てきています。これも自動で荷物を選別する現状の限界ではないでしょうか。

そして、僕がしばらく考えているのは住宅のロボット化。いわゆるIoTの世界です。

朝起きて、部屋に向かって「おはよう」と言うと、カーテンが開き、コーヒーが入って、お風呂が沸いて……という生活です。一人の人間だと、これらは順番に一つずつやっていく必要がありますよね。ロボット化された住宅の“朝”は、それらを一気に解決する「ひとまとまりの価値」を持つことになります。他にも地震が起きたら、ガスが止まり、すべての電気がついて、逃げるために玄関のドアや窓が開いて、逃げる方向が壁などに表示される……という「ひとまとまりの価値」も考えられるでしょう。そうして、家がだんだん賢くなっていくのです。

つまり、住宅は「住むためのロボットである」ということです。だからこそ”優しさ”に視点を注ぐ必要があります。

やさしい7

人間と道具、
その関係を突き詰めた先に「優しさ」

―― 松井さんの半生とともにロボットへの想いをお聞きし、ここで改めて著書『優しいロボット』というタイトルに込めた想いを教えてください。

松井 本のタイトルは、まず初めにつけました。ロボット開発をするときも、コンセプトを決まったら、それにふさわしい名前をつけます。そこから具体的な作業を始めるのですが、今回の本も同様です。

でも、最初はタイトルを『カオスの輪郭』にしようと思っていたんです。

たとえば、成熟産業である自動車だと開発をする場合ファミリー向けとか、独身向けとか、数多くのマーケティングができていますよね。でも、ロボットにはまだマーケット自体がなく、これからつくらないといけない。ロボットをデザインするとはそうした「カオス」に輪郭をつけるもの。僕のやってきた仕事はまさに未知のものに形を与えてみる事でした。だから『カオスの輪郭』と思いつきました。

ただ、わかりにくいし、暗そうだし、本屋さんだと「哲学」のコーナーに入れられそうだな……と(笑)。そこで、デザインという言葉を洗練させていく方面で考えてみました。すると、kindnessとかgentleとか「優しい」という意味になってくる。

自分のためにつくるアートと違い、ロボットが属する工業製品は誰でも使えるもの。人間と道具の関係を突き詰めると、「優しさ」だったんです。

ロボットをつくるということは、優しさを新しく発明することじゃないのかな、と。それでタイトルを『優しいロボット』にしました。

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クリエイターやデザイナーを
目指す人に伝えたいこと

―― これからクリエイターやデザイナーを目指す人に向けて、メッセージをお願いします。

美術大学の入学式の祝辞などで、「私の世界と、世界の私」という話をよくしています。

まずは、私の世界。

なにより大切なのはオリジナリティです。自分探しを何年掛けてもいいからやる。自分の好きなものって本当はわかっているものです。しかし、それにどうやって気づけるか。もしそれが内面にしかないと、誰にもわからない。だから、それを突き詰めて考えて、世界に向けて露出させていくことがオリジナリティにつながります。

そして、世界の私。

世界のいろいろな人に会い様々なプロジェクトを見たり体験したり、自分が良いと思ったものを使ってみたり……。そうすることで、世界の中での自分の居場所がわかってきます。この立ち位置を、まず見つける。その見つけた位置はもちろん変化することもありますが。デザイナーやクリエイターを目指す人には、自らを保つための意味のある世界観=考え方だと思っています。

松井龍哉 
ロボットデザイナー/美術家
フラワー・ロボティクス株式会社代表
1969年東京生まれ。1991年、日本大学藝術学部卒業後、丹下健三・都市・建築設計研究所を経て渡仏。科学技術振興事業団にてヒューマノイドロボット「PINO」などのデザインに携わる。2001年、フラワー・ロボティクス社設立。これまでにさまざまなロボットのデザイン/開発/販売に携わる。ニューヨーク近代美術館、ヴェネチア・ビエンナーレ、ルーヴル美術館内パリ装飾美術館等でオリジナルロボットの展示を実施。2014年、松井デザインスタジオを設立し、幅広いデザインプロジェクトを展開している。また近年は美術家として現代美術作品を制作、発表。これまでにグッドデザイン賞、第六回日芸賞、ACCブロンズ賞、iFデザイン賞(ドイツ)、red dotデザイン賞(ドイツ)など受賞多数。日本大学藝術学部客員教授、成安造形大学客員教授、早稲田大学非常勤講師、東京理科大学非常勤講師を兼任。2021年、新型コロナウイルス感染症終息を祈念し発足した「平等院奉納プロジェクト」に参画し、本藍染ガラスアート作品「oeuf ho-oh(鳳凰の卵)」を京都府宇治市・平等院へ奉納した。

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