三十路、成人式に行く
「成人式に行かなかった奴は予後が悪い」
成人の日になると毎年かならず目にするワードだけど、
まあ言ってしまえば鶏が先か、卵が先かにすぎない。
予後が悪い奴は成人式に行かないし、成人式に行かないような奴は予後が悪いのだ。
皆さんお察しの通り、僕も成人式に行かなかった側の人間である。
行かなかった理由としては「3月産まれでまだお酒も飲めないのに成人式と言われても……」と思っていた事。
自分と同じ早生まれ達が未成年飲酒をしている姿を見たくなかった事。
他には会いたくない顔ぶれがそこそこいた事……だったと思う。
24歳くらいまでは、成人の日にネットやニュースを見るたびに
「とはいえ成人式くらい行っておくべきだったのかだろうか?」と考えてしまうこともあった。成人式で会いたいと言ってくれた人も何人かはいたし、当日に今からでもいいから来いよと電話してくれた友人もいた。
それでも、会いたくない奴と会う可能性のデメリットのほうに天秤が傾いた。
25歳を過ぎたあたりからは、もう自分の人生の射程から完全に外れたイベントになっていて、特に話題を出すこともなかった。試しにTwitterでセルフ検索したら23歳の時でもう話題に反応すらしてなかった。
ところが、成人から約10年、奇妙な縁があり仕事で成人式に行くことになってしまった。三十路間近にして成人式に初参加である。
1月13日はハレの日らしい見事な快晴で、会場のホールにたどり着く前から、街全体が成人式ムードだった。
振袖の女の子達が草履をコツコツ鳴らす音と、飛び散ったファーがたんぽぽの綿毛のように町を包んでいた。
それを横目に会場に入り、スタッフの札を受け取り、自分の仕事の支度をした。まだ開場までしばらく時間が空いていた。
待機時間に、仕事仲間のマダム達に成人式にまつわる思い出話を振られた。僕には"行かなかった"思い出しかなかったので、逆にマダム達の成人式の思い出を尋ねた。
すると、待ってました言わんばかりに、僕の知らない女子ならではの成人式に対する熱意や、思い出話、準備の大変さが怒涛の勢いで語られ始めた。
振り袖は早いと高校卒業くらいで予約をして、フルオーダーだと完成まで半年近くかかるそうだ。着付けやヘアセットも成人式本番の1年以上前から予約して、19歳くらいで前撮り(写真撮影)をする。
その時に着付けやメイクやヘアセットの練習も兼ねていて、成人式本番までに何度も撮影、練習を頼めるそうだ(そのたびに料金はかかるが)
成人式当日は夜明け前から予約していた美容室に行き、着付けやヘアセットをしてもらう。
たった1日のためにそれだけのお金と時間と熱量をかけるそうだ。準備にかかる費用などは、女の子たちが自主的に頼むよりは、親や祖父祖母、親戚などがノリノリで用意してくれたりカンパしてくれることのほうが多いらしい。
それくらい女子家庭にとっては人生に一度の大イベントで、かつて二十歳だったマダム達も「あれはね、女の子のためのイベントなのよ」と言いながらそれぞれ個人的なエピソードを話してくれた。
聞いていると、なるほどな……と納得する点も多くあり、二十歳の自分にはまったく想像もつかない世界観の話だった。
でも、話を聞いた今なら少しわかる。
結婚や結婚式があたりまえではなくなった現代において、成人式は誰もが主役として胸を張って輝きにいけるハレの日だったのだ。
話を聞いているうちに時間が経ち、開場の時間になった。
ホールにぞろぞろと二十歳の集団が入場してくる。
やはり女子の華やかさたるや想像を絶する気合の入り方だった。
あまりにも華やかで、花束が歩いてるようだった。
圧倒的にキラキラした若さと自身に満ちあふれている。
全員が自分が主役という顔をしていて、世界に二十歳の自分を見せびらかすようにキラキラエフェクトを纏って席に並んでいた。
一方、男子はほとんどが大学入学式以来だわ(笑)みたいなノリの黒尽くめスーツで、2時間前に起きましたみたいな顔をしている。
男子が固まっているところは合同企業説明会かな?と思った。
なんだか、女の子の祝福されムードを見た後に男子の集団を見ると、
「男の価値はお金」「女の価値は若さ」という雰囲気をひしひし肌で感じてしまう。
男と比べると女の子というのはまあ、びっくりするくらい家族や環境に愛されて育ってきた生き物の顔をしている。そうじゃない人と比べて、野良猫と飼われてから半年後の猫の顔くらい差がある。
オスのように勝手に育って大きくなったら勝手に出ていけという感じではなく、本当に蝶よ花よと愛でられて育ってきた子が多いんだろうな……
午前の部と午後の部、両方でそつなく仕事をこなし、14時過ぎには上がりの時間だった。仕事の内容的にはさほど疲れるものでは無かったが、あまりの新成人女子たちのキラキラオーラに当てられて疲れ果ててしまった。
10年越しに成人式に行って分かったことは、
「ああ、やっぱり僕は成人式に行く側の人間じゃねえな」
ということだった。
あの時の選択は間違っていなかった。もし行っていたらキラキラオーラに当てられてイライラし、舌打ちしながらこっそり中指を立てつつ、ちまちま歩きやがってイキついてんじゃねえぞクソビッチ共が……とか悪態をついていたに違いない。
予後が悪い見通しがある奴は、成人式なんて行かなくても良かったし、それに後ろめたさやほんのりと蟠る後悔を抱える必要なんてなかったのだ。
やっとあの時の自分の選択を肯定してやれる、別にお前は間違っていなかったぞ。それで間違ってない側の人間だぞ、と。
まあ、それを身を通して実際に理解できたという点では、10年越しに成人式に関われて良かったのかもしれない。
20代最後の発見が「やっぱ成人式に行かなくてよかったんだわ」になるとは、見事に皮肉的で予定調和な20代を過ごしてしまったものである。