カップ麺的な音楽、ラーメン屋の音楽、空気を振動させる専門的な職業。
訳あって小規模な演奏会に行った。
プロとして音楽を生業としている人たちの演奏だ。
ピアノとフルートとバイオリンとヴォーカルの三重奏とヴォーカルで、
地域のイベントで秋の音楽を奏でていた。
そのたった3種類の楽器の中に女性ヴォーカルの声が加わると、その声は世界にひとつしかない楽器に思えてきた。
目の前で聴いていても、僕より背が低くて華奢な人間の身体からあんな音が出ていることが信じられない。
少しだけ目を閉じてみると、フルート、バイオリン、ピアノと、
その音を出すために調整しされ続けた名前も知らぬ特殊な楽器の演奏みたいだった。
以前、これまた縁があってMay.Jの中規模なコンサートに行ったことがある。その時も楽器が人間の形をしていると思った。
一時期、あれだけ毎日テレビで耳にして、流石に"もうええわ"とさえ思った『Let it go』に全身を打たれてボコボコにされた。
フリフリのドレスや表情の作り、身振り手振りまで表現の一部として取り入れている。
『Fly me to the Moon』はしっとりとセクシーに揺らめき、
『Let it go』は静けさからカタルシスを爆発させるように。
少し離れたところから見ていると、そういう妖精の形をした楽器かと思った。良い意味で人間には思えない。
その時に、May.Jの(たぶん)オリジナル曲で「結構良いな」と思った曲があった。家に帰ってSpotifyで聴いてみたら微妙だった。
本格的な喫茶店でコーヒーを飲んだ夜に、家でインスタントコーヒーを飲んだときみたいだった。同じ名前の別物だ。
3万円以上はするそこそこ良いヘッドホンで聴いたにもかかわらず、ただ耳に音の情報が入っている感が否めなかった。
「ああ、音楽にも本物のラーメンがあって、俺がいままでラーメンだと言ってたのはカップ麺のことだったんだ」と思った。同じ名前の別物だ。
あの手のミュージシャン、いや、表現方法は、歌詞と曲調で共感を得る音楽とは同じ名前の別物だと思った。
あれは、表現を押し付けて人間を圧倒する職業だ。
特殊なかたちに空気を振動させる専門的な職業。
VOCALOID楽曲を思春期の胎響に育ってきたので、歌詞の楽しみ、リズムの楽しみを主軸とした"感性の音楽"の楽しみについてはよく知っていたけれど、現実的な体験として立体的に視覚、聴覚、触覚に影響を与える音楽についてはまったくの無知だった。
だから音楽家やミュージシャンは、ぜひ実際に聞いて欲しい、パフォーマンスを見て欲しいと言っていたんだ。カップ麺ばっか食って満足してないで俺たちがお出しするラーメンを食いに来いと。
また1つ賢くなったし相手の立場で考えることが出来るようになったかもしれん。
幼少期にそういうものに連れて行ってもらったような人間は、幼い頃からこのような感性があったのかと思うと、教育格差を実感して悔しくもあるが、この歳になってもまだまだ人間的な伸びしろがあるなと感じる。
ともあれ、20代後半になってようやく、カップ麺的な音楽の楽しみ方と本格ラーメン的な音楽の楽しみ方は別物だということを理解したというわけである。
まあ、わざわざラーメン屋に行ってならんで高い金出してラーメン食うという前提と比較すれば、やっぱりカップ麺のほうが好きではある。出不精なもので……でもたまには本物のラーメンも食わなきゃ舌がバカになってしまうし、本物のラーメンを語る資格はない。
たまには本物のラーメン食いてえな。