苦いものは味わえない/晴牧アヤ
ブラックコーヒーというものを、わたしは美味しく飲めたことがない。
初めは、わたしが子供舌なのが原因かと思っていた。けど毎日飲んで慣らそうとしたって、安いものだから不味いのだと品質を上げてみたって、ただ苦いだけだった。砂糖やミルクを入れても、苦味を誤魔化しただけに過ぎない。というか、それをしたって苦いことは変わりなかった。多少マシになっただけだ。
どうしても、わたしはブラックコーヒーを味わうことができなかったのだ。もはや、わたしはそれを「苦しみ」とまで感じていた。
この苦しみから解放される方法を、わたしは知っている。飲むのを止めればいいだけだ。なんとも馬鹿らしくて、でも一番確実な方法。それをわたしはしなかったのだ。
これまた馬鹿らしい理由なのだけど、好きな人がコーヒーが好きな人で、特にブラックコーヒーを好んで飲んでいたのだ。それに合わせようとしたのがきっかけで、そのおかげで親密になれた。まあ、もう会えないんだけど。
唐突に、彼女は消えた。正確には、わたしの元からいなくなってしまった。気付けば連絡がつかなくなって、好意どころか言葉の一つも伝えることができなくなったのだ。居場所すら全くわからない。
どうしても気になって他の友人にも聞いてみたのだけど、ほとんど何も教えてくれなかった。ただ一つわかったのは、彼女に男ができたということ。わたしはいつの間にか、失恋していたらしい。
まあ普通は男を選ぶよな、と妙に納得してしまった。女のわたしが選ばれる訳がなかった。彼女はもう、届かない所に行ってしまったみたいだ。
結局、最後まで彼女には本当の事を言えなかった。わたしから直接的に言ったわけではないのだけど、接点を作るがためによく同じものを頼んでいたからか、どうやらブラックコーヒーが好きなのだと思われていたらしい。それで、彼女が私の元からいなくなってしまうその時まで後に引けず、それ以降も罪悪感からか飲み続けていた。飲んでいる時だけは、苦い顔をしないようにしながら。
ある時、一通のメールが届いた。彼女からだ。どうして、だってもう、届くことなんかないと思ってた。
すぐに開いた。そうして、私は崩れ落ちた。全部バレていたのだ。わたしが彼女に好意を持っていたこと。わたしがコーヒーが苦手なこと。無理して彼女に合わせて飲んでいたこと。そして彼女は、それらを気持ち悪く思っていたのだった。
なんで今更こんなものを送ったのかはわからない。感じるのは悪意だけだ。けれど、もうどうでもよかった。なんだ、じゃあもういいか。
わたしはカップを投げ捨てた。決して苦いものが嫌いな訳じゃない。彼女が好きなものが嫌いな訳がない。でも、これ以上は耐えられなかった。
わたしは、この身を投げ捨てた。彼女に会うことすらできない、苦い苦い現実と共に。