【三題噺】かえるの歌/灰染よみち
『歌を歌ってばかりのかえるがいるんだって』
空を泳ぐ魚たちが、そんなうわさ話をしている。ある魚は嘲笑し、ある魚は擁護し、けれどもうわさ話を止める魚はいない。田舎町の空の中を優雅に泳ぎながら、話し続ける。
『暗ーい歌ばかり歌って、陰気な奴さ』
妹と一緒になって魚たちを追いかける。安っぽい虫取り網を避けながら、魚たちのうわさはもはや陰口へと変わっていった。捕まりそうもない、足を痛めたタイミングでそう観念し、僕たちはついに諦めた。魚たちはあっという間にどこかへ泳ぎ去ってしまった。
妹に無理やり起こされて、僕はいつもより少し早く日差しの眩しさを感じる。午前5時。出かけるまで2時間もある。着替えて朝食を摂るにはだいぶ余裕のある時間だ。妹はどうやらかなり張り切っているらしい。
僕は妹と、昨日のうわさ話が本当か確かめに行く約束をしている。歌うかえるのうわさ話。それを見にいくのだ。かえるが歌うとはよく言うが、実際にはかえるの鳴く様を喩えた表現に過ぎず、恐らく当の本人に歌っているなんて感覚はない。なんてことはまあ知っているが、そんなことを妹に言うのも違うと思うので今日連れていかれる羽目になっている。尤も、あの魚たちがわざわざうわさをするくらいだから、と少し気になっているのもまた事実ではあった。
『かえるは池のほとりで歌ってる』
そう魚が言っていたことを覚えていた僕たちは、近所の池をしらみ潰しに探していった。ただ梅雨の時期ではないので、そもそもかえるの姿がない池ばかり。その代わりかえるがいたら、そいつは歌う可能性が高い。ほら今、5か所目の池のほとりにかえるが座っている。こいつかもな、と僕は妹に言った。妹の方は如何にも期待に胸を躍らせているような顔をしている。かえるが瞬きをした。2人してじっと、かえるの様子を見守る。
〜♪
歌い出した。ただの鳴き声ではない。これはちゃんと歌を歌っている。驚きのあまり、思わず声が溢れた。先ほど疑ってしまったことが少しばかり申し訳ない。
「にいさま、かえるが歌ってるよ!」
妹もまた、かえるの歌に感銘を受けたようだ。隣でワイワイとはしゃいでいる。そんなこちら側とは対照的に、かえるは静かに歌を歌う。とても悲しい歌だった。悲しみの涙でかえるの肌が潤っているようにも思えるほど、見るからに辛そうで不幸せな感じだ。それにつられる様に、次第に僕たちの方も暗い気分になっていった。日差しが雲に遮られ、視界もまた暗くなる。しばらくして、妹がポンと手を打った。
「にいさまにいさま、わたしたちがお歌を作ってあげましょ!」
僕の手を思いっきり掴み、走り出す。その勢いときたらまるで突風のようで、だから僕は必死に彼女についていく他なかった。
「お歌を書いてください、にいさま!」
紙とボールペンを僕に差し出し、妹はそう催促する。まあ彼女が作曲を出来ないことは分かっていたのでこうなるだろうなとは思っていたが、さてどうしようか。
「かえるさんが幸せになるような、楽しい曲を書きましょ」
なるほど、妹の考えが何となく見えてきた。あの悲しそうなかえるの姿を見て、そんな計画を立てたのだろう。彼女がそうしたいと決めたのなら、多分僕にはその流れを止められない。尤も、止める必要だってきっとないだろう。渡されたボールペンをただ握る。そして楽しげなメロディーラインをあれこれ模索した。僕は別に、かえるに喜んでほしいわけでも、幸せになってほしいわけでもないけれど、妹のまっすぐな善意を雑に扱うのは癪だった。幸いにも作曲自体は慣れている。僕はただ黙々と、五線譜に音を書き並べていった。
前回から数日も立たずに、かえると再び出会った。10小節程度の短い曲が書かれた紙を妹が手に持ち、僕はただ着いていく形を取った。かえるの方は、今日も変わらず悲しげな歌を曇り空に響かせている。妹は早速、曲の書かれた紙をかえるの目の前に置いた。歌は止まり、不審そうに彼女のことを見上げる。
「にいさまがお歌を書いたの。よかったら歌って?」
かえるは首を傾げた、ように見えた。こちらの言ったことが分からなかったのかもしれない。妹も何となく察したようで、メモ用紙を1枚ちぎりボールペンで"この歌を歌ってほしいの"と書いて渡した。その紙を、かえるはじっと見ている。その姿はしっかりと文字を読んでいるように見えて、やはり歌が歌える以上普通のかえるよりも賢いのだろう。僕たちが近くにいても歌いにくいかもな。僕はそう言って妹と共に道を引き返していった。
1分くらいは歩いただろうか。先ほどまでいた場所から、かえるの歌が聞こえてきた。それはそれは楽しそうな、そんな明るい曲調だった。妹が満足そうに僕の右腕をぐわんぐわんと揺らす。今の僕たちを見たらきっと僕まで楽しそうにしているように思われるだろうから不思議だ。
『今日のかえるの歌は楽しそうだねぇ』
魚たちが早くもうわさ話をしている。何もない田舎町に魚たちの軌跡が線となって輝いている。日差しが差し込んだ。数日ぶりに太陽が姿を表した。
『あのかえるがひからびて倒れている』
『あんな明るい歌を歌っていた後になぁ』
そんな魚たちの会話を聞いたのは、あの日の翌朝のことだった。慌てて駆けていった僕たちは、あのかえるがひからびた状態で仰向けになって倒れているのを発見した。今日もまた快晴。寧ろ昨日にまして日差しは強い。かえるはその強い日差しを全身で受けていた。妹がそばに咲いていた花をかえるの近くに置く。そして両手を合わせ弔った。そしてそんな妹に対して、僕はまじまじとかえるを見つめた。かえるは身体から心までカラカラに渇いてしまったように見える。惨めだな。何故だろう、そう思った。