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車輪〜3・11の思い出〜

12年前の今日。2011年3月11日は金曜日だった。それが始まったのは午後2時46分。

当時の職場は品川区の東急池上線戸越銀座駅の近くにあり、自宅は大田区の同じ沿線の雪谷大塚駅の近くだった。

私は職場の三階の事務所にいた。近くの棚が倒れないように手で押さえながら、立ったまま、足を踏ん張って揺れに耐えた。揺れは今まで経験に無かった長さだった。

揺れが収まって一階に降りて外に出てみると、少し離れたビルの工事現場の上で大きなクレーンが揺れ続けているのが見えた。

母は既に介護認定をされていて、その日は通所介護(デイサービス)もない平日だった。

事務所の三階に戻ると、事務の女性が私に言った。

「何やっているの、お母さん、この時間は独りなんでしょ、帰ってあげなさいよ」

会社の自転車にまたがり、事務所前の国道1号線から国道420号線に入り、武蔵小山方面へ。平塚橋の交差点の手前を斜めにショートカットして、中原街道(都道2号)に出ると車道の路肩を全力で走った。

右手に昭和医大の高層ビルが見えた。池上線と交差する大井町線のガード下をくぐり、長原交差点の大ガード下を抜け、洗足池方面への下り坂を高速で走り降りる。小さな段差で車体が飛び上がり、自転車の前カゴでカバンが跳ねヒヤリとした。ここまで信号で止められたという記憶が無い。

坂を降り切ると、右手に洗足池が広がり、左手の道路脇にある池上線の洗足池駅の改札前には沢山の人達が立ち尽くしていて、池上線が止まっていることがわかった。

再び坂道を登り、また降りる。呑川という小河川が流れる場所が谷底になっていて、雪谷大塚駅方面へ向かって再び坂を登った。

雪谷大塚駅の手前を街道から左手に少し入った場所に当時の自宅があった。
家の前に自転車を急いで止め、門扉を開いて庭に入った。

母は一階の自室の窓を開け放ち、ベッドに座り、呆然としてテレビを眺めている。身体の小さな母だったがその時はもっと小さく見えた。

私が庭から部屋をのぞくと、母がこちらを見て、泣き顔になった。

「大助・・・怖かったよ」

ここ数年、新型コロナには感染しなかったけれど、様々な病で救急車で運ばれ、入退院を繰り返す度に、母は病院に閉じ込められた。最後の病院でもなかなか会わせてもらえなかった。見舞いに行っても小さなタブレット端末の画面の中で私の名を呼ぶ姿を見るばかりだった。

今朝も早朝の地震で起こされた。
母の一周忌が過ぎ、あの日に亡くなった方達の十三回忌となるこの日がやってきても、漠然とした不安は離れてくれず、足元がまだ揺れているような気がする。

#新岳大典
#東日本大震災
#十三回忌

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